The Sword of Truth
22
タルスムの主宮殿を囲む広大な庭園の一角。瀟洒なあずまやが季節の花に包み込まれるようなかたちで立っている。ふたつの人影がみえる。光る黒と―そして、白。
「ドゥグマのやつ、今しきりに『そんなことを言った記憶はない。』と自分があの時しゃべったことを、必死に否定しているんだってさ。あれだけ大勢の前で『わしが指図して、やりました。』と言い切ったくせに。何かあったとしても、参謀のモホラが勝手にやったことだろうって。・・・信じられないや。」
ナユはこめかみをボリボリかいた。あずまやの中のクッションをたっぷり敷き詰めた長椅子に横になったままの姿勢で、イラムは小さなため息をついた。
「言う気になってくれただけでもよかったよ。ほんとうに人殺しになるんじゃないかと、私は内心ひやひやしていたんだから。」
弟は声を立てて笑った。
「あの場には宮廷や長老院の人間もいたんだ。。しらを切りとおしたって、ごまかしきれるもんじゃない。今は監禁状態に留めているけど、近いうちにしかるべき裁判が行なわれるって、ペアレス剣聖公が断言したよ。
大臣がどうあがいても、もうだまされる人間はいないさ。」
「けっして自分の罪を認めようとしない人がいる。・・・なにが真実で、なにが真実でないかを見極めることが、どれだけ難しいことか。
フラゥンは、罪を認めない、と―始めからありもせぬ罪のために処刑されかかった。そして、あの男はどれだけ真実が明白になろうと、これからも一生、生きている限り、自分の罪を認めようとはするまい。」
イラムは悲しそうにつぶやいた。精神感応力をもってしても、彼の魂は救われまい。彼がみずから心を開いてくれない限り。心の治療師といえど直せぬものがあるのだ。
兄はシンプルな白い衣を巻きつけただけのおなじみの姿。まだ手足・・・とくに足の方は体重をわずかながらでもかけることは不可能のようだ。弟のほうも、あちこちに包帯と湿布が張り付いているが、いたって元気でいつもの身軽な剣士姿である。
「火傷のほうは少しは―大丈夫?よくなった?」
「大丈夫だよ。明日は僧院に戻るつもりだ。」
イラムは庭園の向こうに浮かぶ壮麗な宮殿、かって自分がそこの主になるはずだった権力の象徴のほうに、見えぬはずの目をおよがせた。火傷の傷あとはまだ体中に生々しく、見舞いにきた婦人たちののどを毎回つまらせていたが、会って少しするとそのむごたらしい痕が全然気にならなくなり、昔と変わらず美しいとさえ感じてしまうのだった。
「え、もう?!」
「瞑想園に戻らないと、ね。瞑想中だった方々はもうひとあし先に戻っている。グリュミ殿や、ダ・ガバラ殿・・・みんなには、ずいぶんと無理をしていただいたのだ。
聖ヒジャイン・・・あの方が、王家の私事には参入しないという僧院の規律を破ってまで―すべての非難をご自身で負う覚悟で、働きかけてくださったのだよ。大僧正は、瞑想園から呼び戻した方々とともに、昏睡状態に陥っていた私に秘事である超心理治療をほどこし、覚醒させてくれたのだ。」
「そうだったのか。ガローに聞いたけど、あのグリュミって人が、連絡係になっていたんだってね。」
風がそよそよ吹きはじめた。すがすがしい、さわやかな花の香りをのせた空気が、ともに死の一歩前から生還してきた兄弟の髪をなでている。イラムの髪は切りそろえられてまだ短いままだったけれど。
「覚醒した時はすでに、お前は出発したあとだった。審判の結果がどうあれ、私はあの丘に行き、ドゥグマの罪を告発しなければならなかった。
審判の結果が下された直後に丘に到着している必要があった。ドゥグマは用心深い。不審な姿があの場に早くからあれば、なんらかの指図を出していただろう。
それでも―
お前が無事に出てきていなかったら・・・」
「ガゥーズのたてがみと、そして・・・レオファーンの剣のおかげさ。」
日頃の威勢のよさに比べて、幾分、ためらいのある口調。
「あの剣は・・・?」
「お前の希望通り、また聖樹アルトメトラに預かってもらった。」
「よかった!あの剣は本当にすごい。剣そのものの威力もだけど、オレの力を極限まで引き出してくれたみたいだった。剣士の理想の剣だよ。剣士宮に帰ったらみんなに一日中質問責めにあった。レオファーンの剣なんて伝説にしかないと思われていたもんね。だれもが見たがったけど、あの時はもう兄貴に返していたし。
でも―」
「お前は何かを感じたのだね。お前の表情ですぐわかった。剣に二度とふれまい、という顔だった。」
少年はこっくりとうなづいた。
「そうなんだ。ガゥーズと戦っている時は、ひたすら快かったんだ。けど、洞窟を出て、あいつの顔を見てカッときた・・・その時だった。
剣がささやいたんだ。そうとしかいえない。何といったらいいんだろう・・・ひたすら強力で、魅力的で、さからいがたいんだ。自分の欲することをしろって。
オレはあの剣の持ち主にはなれないよ、イラム兄貴。あっという間に兄貴の言ってた“剣の奴隷”になるとこだった。オレの様子がおかしいのに気がついたフラゥンが声をかけてくれなかったらあの時―
ドゥグマは殺されたって仕方のないヤツだと、今も思っている。でも―殺すことが正義だと、勝手に決めつけてはいけないんだ。」
ナユはあの苦しい戦いを一つ一つ思い出していた。素晴らしい戦いのパートナー。あれだけの輝きを放っていたのに・・・どうして?
ドゥグマ大臣に対する憎しみをすぐ吸収し、ささやき返してきた、あの剣。モゥリーンの嘆きを、彼は実感した。
「レオファーンはお前のものだよ。
剣に執着しないことが、あの剣の持ち主には必要なことなのだから。
ナユ、お前はもうりっぱな剣士だ。肉体的にも、精神的にも。」
レオファーンは今、元のように封印され、“卵”にかえって、聖樹のなかで再びねむりについているはずだった。
「今は遠慮しとくよ。今後必要になったら、その、また借りるかもしれないけどね。」
神妙な顔がほころび、黒髪の少年は、持ち前の陽気さでニヤッと笑った。
主宮殿の方から、誰かがやって来る。金色の髪。青い清楚なドレス。
「フラゥン、ここだよ!」
恐ろしい監禁と心労でやつれていた面差しもすっかり回復し、みちがえるほどの、つややかな、幸せそうな美しさにあふれている。娘としてショッキングであろうはずの真実も、それを受けいれ浄化し、敬服と愛情で満たしてしまうつよさは、たしかにイラムの見抜いた通りのものであったようだ。
よってたかって非難してくせに、彼女がパディ王の実の娘であったこと、そして大臣の陰謀が公表されると、宮廷の人々は自責の裏返しもあって、このけなげな少女をほめたたえ、ちやほやするようになった。そんな浮気な人々に対する彼女の態度はつつましく、気短の恋人が感嘆するくらい、りっぱにそつがなかった。
「フラゥン・・・彼女はたとえ女王位についたとしても、それで変わってしまう女性ではない。お前もそれはわかっているだろうに。」
兄の、みえぬ瞳に見透かされたような気がしたナユは、顔を赤らめた。
「オレは・・・。」
「ここでぐずぐずしていると、また私を王位にすえようという困った動きが出てくるからね。」
イラムはくすくす笑った。
「お前が宮廷儀礼だの、型にはまった生活が大きらいなのはよく知っている。自由に、生きたいと。
でもね、ナユ。お前自身が王位につくというのなら別だけど―お前の望む道は、フラゥンの夫となったら歩めないというものではけっして、ないはずだ。」
弟の日焼けした顔が、夕陽のように赤く染まった。
「あ、兄貴、ちょっと・・・」
少女はすぐそこまで来ていた。
「どうなさったの?お二人とも。」
フラゥンがあずまやの下から、不思議そうに二人を見上げ,階段を上がった。イラムはにこやかに、すました顔で少女の手を取った。
「今、あなたのお話をしていたところです。」
「ええと、その・・・。」
朱色の顔の少年は、腰に二本しかない剣の数を何度も確認したり、花樹の花びらを急にむしり取ったりし始めた。
イラムは合図をして、庭園に控えていた二人の従者を呼び寄せた。椅子の形をした小さな輿が持ってこられる。
「あら、もう宮殿にお戻りなのですか。・・・お具合でも?」
心配げな少女にやさしく微笑みかけると、聖イラムはかかえられて輿に体を預けた。
「パディ王―あなたのお父上が知っていれば、もっとも望んでいたであろうことを、わが弟に説きつけていたところです。
今からナユがそれは何か教えてくれますよ。」
イラムはするりと言い、二人を残してあずまやを離れた。
「・・・?」
ややいぶかしげに、輿が宮殿の方ではなく、外苑の方に向かって行くのを少女は見送った。その間にナユは意を決したらしい。
「フラゥン。」
少女はふり向いた。未来の夫でありのちの剣聖公として名高いナユ・シムルグが立っていた。