The Sword of Truth  19


 それは、少しばかり前、街道をガゥーズの洞の方へ向かって進んでいた輿だった。
 すりばち状になった“見物席”の縁に、女物の輿が見える。他にも輿は見えたが、一目でそれとわかった。輿の側にいる人物も、彼の目に親しい者だった。
 「ガロー!」
 「ナユ!」
 大柄な異国の少年は叫んだ。人垣のため、互いにすぐ駆け寄ることはできなかったが、辺境の地で巡り会った時のままの輝きを持つ黒髪の友人を、ガローはうっすらと涙のにじんだ目で見つめた。
 「イラム・・・だって?」
 少年の声は響きわたったので、大半の人々がざわめき出した。彼らはナユの視線の方、ひたたれのかかった地味なつくりの輿を見上げた。傾斜面を、輿をかついだまま降りていくことは、この人ごみの中では難しそうだった。
 ナユがフラゥンの手を引いて、一気に人垣をかき分け上ろうと思った時、輿に動きがあった。
 ほこり避けのベールを、従者達が次々はずし始めたのだ。
 人々は目をみはった。僧院のそうそうたる顔ぶれがそこにはあった。
 アンティオの僧院は“民への奉仕”に徹しているため、高名な僧侶の顔は、宮殿奥の大貴族より、一般大衆にとってなじみ深い。
 「ダ・ガバラ師だ!」
 「ピピト様だよ!」
 「ローディン・マー師も!」
 口々に叫ぶ。
 ドゥグマ・ゲンが多忙でなかったら、この突然の僧侶の群れに対して、殺人も辞さない部下達に何らかの指示を出していたはずであった。
 だが大臣の方は、たてがみとの格闘に必死で、それどころではなかった。部下達が小刀で切り取ろうとしても、刃がすべって役にたたない。ガゥーズのたてがみのしめつける力はじりじりとではあるがきわめて強固で、何人もの屈強な人間がけんめいに引きはがそうとしても、うまくいかなかった。
 「やめ・・・わしの首のほうが切れてしまう!」
 「ドゥグマ様、動かないでください、・・・つかめないっ!」
 「あ・・・なんだ、あの騒ぎは―?ぐぐ、早くこれを取れ!」
 常に主君のフォローをかかさぬ参謀モホラも同様の状態のため、他にしかるべき指図を下せる者はいなかった。
 群集は大臣の大騒ぎにも目を向けたが、ガードだけは万全で、殺気だった部下が何重にも取り巻いており、状況がはっきりしない。自然と目は彼らにとって親しい僧侶達の方へ向く。
 即座に大臣のことなど眼中になくなったナユは、人垣の頭を飛び越えんばかりの勢いでフラゥンとともに斜面を登り始めた。
 輿が降ろされる。輿の上の屋形の布が、かついでいた屈強な僧達によって上げられた。
 中にいる人影が、僧二人の手にとって抱きかかえられるようにして運び出される。
 対象がガラス細工でもあるかのように、ゆっくりと。
 白い寛衣。

 元の姿を見慣れている人々にとって、その姿はショッキングなものだった。
 名高くそして美しかった白と銀の髪は、やっと肩くらいまでしかない。そのためかえって少女のようにもみえる。端正な美しい―美しかった顔は、火傷の傷跡も生々しい。でもなぜかそれが、けだかい魂の健在を浮き立たせているようにみえるのはなぜだろうか?
 輿から出て、体躯のよい僧らに支えられ、かかえられたままの姿を不審がる者はいなかった。
 足先はとくに丹念に布靴のような湿布が厚く巻かれたままで、自分の足で立てる状態ではないことがひと目でわかったから。
 それはひどく目を痛ませ、心をツンとさせる光景だった。人々はしばらく声を口に出すのさえためらい、あれだけ騒がしかった場内が一瞬静まりかえった。
 が、それはわずかの間だけだった。
 死亡説が大半を占め始めていた今、アンティオでもっとも名高き聖者が、たとえどんなに深手を負ってるとはいえ、生きて人々の前に姿を現したのだ。
 「イラム様だ!」
 「奇跡だ・・・ああ、今日はなんという日でしょう、奇跡がふたつも!」
 「シムルグ兄弟に誉れあれ!」
 まったく、それはアンティオの民にとって歴史的な日であった。ガゥーズが破れただけでも過去に例のない、書物に金文字で記されることであるのに。
 このふたつに比べたら、城壁の上でもがいている大臣なぞ―今や気の毒なくらい誰も注目していなかった。固めた多くの兵士達は、なまじきびしく統制されている分勝手には動けず、指示を仰ごうにもボスはそれどころではない。動揺は兵士達の中にも広がった。
 「あのガキ!わしを殺そうとして―うぐっ、あいつをひっ捕らえろ!」
 大臣は叫んだ。が、聖イラムまで出現してしまったのだ。とうにナユは大臣の元から離れている。
 そして兵士達にもわかっていた。やみくもにガゥーズを倒した英雄に手を出すことは、ここにいる大観衆すべてを真に敵に回すことだということを。

 「兄貴・・・!!」
 ナユは、泣きわめきながら兄に、―そっと、飛びついた。
 兄の体はまだ、強く抱きしめるにはもろすぎる状態だったが、あの白と銀の髪のさやずれのかわりに、あたたかなぬくもりがあった。
 「イラム兄貴・・・」
 ついさっきまで生死を賭けて戦いぬいた弟は、言葉が続かなくなり、兄の名を繰り返しては泣いた。
 「怖かった・・・」
 かすかだが、澄んで通る声が弟の耳をくすぐった。
 興奮しているナユはその時は意識しなかったが、火事の熱風で声帯を痛めたため、イラムは長くしゃべれず、精神感応で増幅された“魂声”を使っていた。
 「・・・目覚めても、お前を失うのを見届けることになるのではないかと・・・
 私がどれだけ弱い人間であるか―よく、わかった。」
 「そんなこと! 約束しただろ!ガゥーズを倒したあと、必ず行くからって! ・・・先に兄貴の方が来てくれたけどさ。」
 イラムの顔は、おだやかなように一見みえるが、ふるえる心が弟には苦しいくらい感じられた。
   爪がはがれ落ち、頑丈に幾重にもしっぷがまかれたふるえる手で、弟のほほに触れる。
 イラムは目を閉じたままだ。肉体的視力は火傷で損傷を受けたまま―視力がわりだった髪もほとんど失われ、彼は周囲の様子を限られた超感覚のみで探っているらしかった。
 「お前は―強い。
 ―強くなった。」
 イラムはやさしくつぶやいた。
 そして弟にささやく。
 「たてがみを―与えたのだね?」
 仮に超感覚がないとしてもその気になれば聴力だけで、下方の大臣と参謀の騒ぎは聞き取れたかもしれない。
 「あれは・・・」
 ナユは初めて涙の洪水から顔を引き上げ、口ごもった。
 イラムは、何もかもわかっているよというように先を聞き返さず、自分をかかえている僧侶達にささやいた。男達は城壁、大臣のいる方角めざして斜面を注意深く降りはじめる。取り巻いていた人々は彼らに道を譲りつつもわれがちにそれに続いた。
 ナユはガローと抱き合い、肩を叩きあった。
 「お前がボーズになったとは知らなかったよ!」
 「偶然、僧院の方に会ったんだ。―しかし、すごいぜ!!あの怪物!ここから見るだけでも、ぶったまげるようなヤツじゃないか。おれもいろんなヤツと出くわしたけど、あんな怪物はいないぜ。
 ・・・剣は?」
 剣士であるガローは、当然のごとく口にした。
 「あれは借り物なんだ。」
 ナユはふだんの気質から考えるとそっけなく言い捨て、ガローを面くらわせた。
 フラゥンは、すがりつくようにして恋人の側に付き添っている。
 「兄貴のところへ行こう。」

 最初の興奮がやや一段落してくると、人々の目は、明らかにナユ・シムルグの恋人とわかる少女にも向けられた。
 彼女は地方郷士の娘で、呼び出されてすぐ王宮奥付きの侍女になったため、この父王殺しと―される少女を見たタルスムの民はまずいなかった。刑場に送られる時も、ドゥグマ大臣の策謀により、人の目には触れていない。
 ほっそりしたおとなしそうな金髪の娘は、実際自分の目で見た者には、それまでの大それたうわさからはあまりにもかけ離れていた。
 いくら人は見かけによらないものだとしても・・・。
 それに審判、そうガゥーズの審判は?
 かって刑が未遂に終わったことなどないため、処刑決定=有罪だったのだが、理屈からいえば彼女は―無罪だ。たとえその恋人が戦いを代行したとしても。
 「あの娘が犯人でないとしたら―誰なんだ?」
 毒殺である以上、フラゥンが犯人でないとしたら・・・誰か他にいることになる。
 パディ王殺しの犯人が。


 


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