The Sword of Truth  18


 ナユの黒い瞳がふっと揺らいだ。
 戦闘以前から極度の緊張が続いていた。肉体的にも疲弊しきっている。
 レオファーンの剣がきらめいた。
 ドゥグマさえこの世にいなくなれば、すべてうまくいくんだ。
 ガゥーズを倒したって、あいつがこの世にいる限り、また第二第三の罠をしかけてくるのは間違いない。
 そうさ、今がチャンスだ。今ならあいつに近づける。剣を持ったままでも。不自然ではない。そう、これは正義の刃なんだ・・・。

 「ナユ?!」
 剣を持ったまま放心状態になっているように見えるナユに、フラゥンが心配そうに声をかけた。剣を持っていない方の手を取る。
 「ナユ、大丈夫?」
 少女の声に、少年剣士は、電撃に打たれたように飛び上がった。聖剣を焼けた鉄棒でもあるかのように放り出す。
 「?」
 「あぶねえっ。」
 少年の額からは、洞窟の戦闘の時以上の汗がどっとふきだした。
 「―兄貴の言ったとおりだ。あやうくモゥリーンの二の舞になるとこだった。」
 ナユはフラゥンを抱きしめた。
 「そうだ・・・。」
 ガゥーズを見る。まだ生きてはいるが、攻撃意思すらないようだ。
 「おまえのたてがみ、だったな。イラム兄貴との約束だ。」
 刀はなかったが、レオファーンの剣にまた触れるのは恐ろしい。ナユはフラゥンが腕に巻きつけたままになっていた聖布をかり、腕に巻きつけ、両の手で緑色の“たてがみ”を思い切ってひっぱった。意外にもそれはさしたる抵抗もなくすっぽり抜け、手にはひとつかみの束が残った。
 それを見ていた人々の何人かは、もう魔獣が危険でないと察して城壁を降り始めた。
 「縄ばしごを投げろ!」
 「二人を上げろ!」
 口々に叫ぶ。ナユは興奮した群集に取り囲まれながら、まっすぐ正面―ドゥグマ・ゲンの方に、フラゥンの肩を抱いて、歩き出した。束ねてあった黒髪がひろがり背を流れている。あちこちに傷を負い、血で汚れたその姿には、ふしぎな威圧感があった。右手にたてがみをつかんでいる。
 大臣は硬直して、顔がこわばっていた。
 二人とも無事で出てくるなどどいう、可能性0であるはずの珍事・・・わしの晴れ舞台を台無しにしてくれた憎いチビども!だが表向きはあくまで平静でいなければ。そう、わしはこの事件とは無関係なのだから・・・。
 大衆の人垣が、大臣に対して防御壁のやくわりをはたしているのを確認しつつ、ナユはフラゥンを先に、そしてすぐ自分の体を城壁の上に上げた。上がる前、ガゥーズはまだ死にきってはないから、あまり側には近づかないように言い添えて。
 獣のかたわらにレオファーンの剣がころがっている。フラゥンが声をかけなければ、自分があっさり剣の声の誘惑に負けそうだったということが、何よりも怖かった。  剣士がその敵を倒した誉れの剣をうっちゃって離れるというのは本来おかしいことなのだ。もっともアンティオの国民は剣道に対してはきわめて礼儀正しかったので、ガゥーズとその誉れの剣には勝手にさわるという非礼はおかさず、ぐるり遠巻きにしてワイワイ騒いでいるだけだった。完全に死んでないとわかって、あわてて城壁の上に戻る者もいる。
 アリーナの窪地にかなり人々が降りて見物を始めたため、城壁の上は、前よりはいくぶんゆとりが出てきた。

 「ドゥグマ大臣・・・」
 ナユは大臣に向かい合った。大臣の目は鋭かった。
 ぴったりと張り付いたモホラは、どんな汚い仕事でも機械のように遂行する精鋭の部下達に、指先一つで合図を送れるように身構えていた。
 レパ王子の息子が何か―大臣にとって致命的なことをわめきだしたら、その時は仕方ない。剣は帯びてないし、傷を負っている。一斉にかかれば、一瞬で片付くだろう。今まで緻密に計画して遂行してきたことがすべてムダになってしまうのは口惜しいことだが、ドゥグマ・ゲンのアンティオ王即位を妨げさせはしない。何人たりと。
 大臣が腹の底で何を巡らせていたにせよ、外見にはきらびやかな盛装姿の堂々たる姿、落ち着いて、剣士の言葉を待っているように見える。民衆にしても、大臣が今回の事件にかかわっていることを知らぬ者の方が多数なのだ。
 少年は腕をつきだした。ガゥ―ズの緑のたてがみが握られている。触手に似ているがなめらかで、見た目ほど、手に持つ感触は不快ではなかった。
 「?」
 「ガゥーズのたてがみだ。おれはガゥーズを倒した。その誉れを受け取って欲しい。」
 ナユの声が聞こえた範囲にいた人々から、どよめきの声が上がった。少年をよく知る者なら、彼がそんな殊勝なことを言い出すはずがないと思うだろう。
 闘技場で倒した獲物を、恋人もしくは観戦していた位の高い者―国王がその場にいれば100%国王に―ささげる風習がアンティオにはある。人々が驚いたのは、最高王族であるナユ・シムルグが、大臣に対して、臣下が目上の者にするような「誉れの儀礼」を取ったからだった。
 ナユにしてみると片腹痛い状況だった。が、大臣周囲の緊迫した雰囲気には気がついている。「あんたが殺し損ねた兄貴からの伝言だから」と言い添えたいのを抑えるので精一杯だった。レオファーンの剣の方がまだマシだったかなと少しだけ後悔しつつ。
 「ガゥーズの・・・」
 ドゥグマ・ゲンは、おっかなびっくりながら、それを受け取らざるをえなかった。人々が注視する中、王家の遺児が、彼に取った臣下の儀礼を無視することは、あまりにも惜しかった。
 こいつ、ガゥーズの毒気にあてられ頭が弱ってでもいるのか・・・わしを次期国王と認めるような態度を、大観衆の前で取ってくれるとは・・・せいぜい、利用させてもらおう。
 これでわしも手荒なまねをせずとも、とにかくこの場を切り抜けさえすれば、あとはどうとでも・・・。
 大臣の手に、極太のなめらかな紐のようなたてがみがあふれた。
 「これが―」
 もっともさわりなく、かつ群集に対しては印象的な言葉を考えつつ、おうように見えるしぐさで大臣はお得意の演説モードにはいろうとした。
 その時。
 「な・・・なんだ?これは・・・うわっ!?」
 突然、ガゥーズのたてがみが、大臣の手の中でうごめき出したのだ。ガゥーズ自身が蘇えったかのように。
 大臣が反射的にそれを投げ捨てようとするより早く、それらはまるで生きた飛び蛇のようなすばやさで伸びると、大臣の首に巻きついた。
 「ぐえ・・・え、何を・・・」
 「陛下!」
 忠実なるモホラが主君に飛びついてそれを引き離そうとしたが、逆に何本かのたてがみが参謀にも巻きついてきて、悲鳴を上げさせた。二人は首のたてがみを(巻きついていると触手と言う方が似つかわしかったが)つかんでわめきちらした。身近なお付きの者も、モホラにまで巻きついたのを見て怖れをなしていた。
 「なにを・・・早くこいつを・・・!!」
 さっきまで、確かに死んだたてがみだったのだ。現にナユ・シムルグはそれをつかんで平気で歩いていた。なのに・・・。
 ナユやフラゥンまでがあぜんとし、一瞬あたりが静まり返ったその時、細い声が上の方からふりそそいだ。
 「ドゥグマ大臣―教えてあげよう。
 あなたの手にしたのは、真実の鞭。
 どうしてガゥーズが真実の獣、聖獣扱いされ、審判に利用されるようになったか―
 それが、その答えだ。」
 黒髪の少年は飛び上がった。
 ひどくかすれているが、その声はなつかしかった。聞きまちがえるはずもない声。
 「イラム兄貴!!?」
 彼は声のした方を見上げた。


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