The Sword of Truth
17
ラッパが鳴り響き、ざわついていた群集が一瞬にして静まりかえった。
その場にいたあらゆる者が硬直し、ごくりとかたずを飲む。
ドゥグマ・ゲンもつばを飲み込み、この群衆の中でもっとも正確に状況を知ることの出来る僧グリュミですら、
自身の能力を裏切って、もしガゥーズが先に飛び出してきたらという恐怖感に一瞬(ほんのわずかの間ではあったが)かられた。
ラッパの音のすさまじい音量の余韻が完全に消滅し、さらに時が刻まれ―
何年もの時をスローモーションでコマ送りにしたような静寂。
それはあまりに歴史的に驚愕すべきものであったため、その事実が認識されるまでには時間が必要だった。
開いた洞窟の口からは、なにものも現れない。
人々は、のどの奥にたまったものをむりやり飲みくだした。
現れない。
と、いうことは・・・。
「出てこない!ガゥーズが出てこない!」
「まだ、戦っているんだ!・・・ひょっとしたら―」
「まだ審判は―終わっていない!??」
遠い歴史上の出来事はさておき、ガゥーズの刑が時間内に終わらなかったことなど、ここにいる誰もが初めて体験することだった。
たちまちアリーナに、空が落ちてきかねないほどの大喧騒がわき起こる。
大さわぎの中、平静な人物と、平静そうに見える人物が二人いた。
一人はむろんグリュミ、もう一人は―この異常事態にどう対処したらよかろうと対策を練るのに忙しくて、
感情がお留守になっている大臣の参謀モホラ、であった。
大臣は―呆然としていた。
まさか・・・。
まさか、な。ヒーシュムさえ殺したガゥーズなんだぞ。7年ほっておいたから弱ったんじゃないだろうな。
この日のために、大型獣の生餌は充分与えておいたはずだぞ。
ガゥーズがあいつらを喰らうのに夢中で、ラッパの音が聞こえなかっただけかも・・・。
「殿下・・・殿下っ」
参謀の声がしばらく耳に届かない。
「なんだ!」
「処刑が長引いているようです。
ラッパが鳴ってもガゥーズが出てこなかったのは、あのナユ・シムルグがそれまで持ちこたえたとしか考えられない・・・信じられないことですが。」
「そのようだなっ。」
ドゥヅマ大臣のイライラは絶頂に達していた。王宮内の私室ならとうに切れてわめき散らしていただろう。
が、一般大衆のど真ん中、いい印象を与えないとこれから何かと困るという場面―抑えなくてはならないのは承知している。
「ヒーシュムのように相打ちになったとしても・・・レパ王子の息子、聖イラムの弟―そしてもともと罪人ではありません。
罪なき人間です。そして剣士。
大衆は愚かですから、こう言い出しかねません。
“本当はナユ殿のいうようにフラゥンは犯人じゃなかったんだ、だからラッパが鳴るまで持ち応えたんだ。”と。
通常ならガゥ―ズが自発的に飛び出さない限り、処刑がすぐ終わったのか持ちこたえたのかどうかわかりませんからね。」
「もうじきケリがつくとしても―その辺を気をつけて。演説の内容を少し変えてください。」
モホラは・・・ほんと、冷静であった。それほど冷静になれない大臣は押し殺した声で言った。
「だが・・・もし二人ともノコノコ出てきたら、どうするんだ!」
「・・その時は、その時です。」
「しかしだぞ―」
「人を殺す手段なら、ガゥーズだけではない―そうなると、スムーズな即位というわけにはいかなくなりますが。
宮廷もこの処刑場も我々の配下の者達で固めてあります。
あなたは王位につきたいんでしょう?殿下。」
「・・・お前はまったく頼りになる人間だよ、モホラ。わしが王位についたらすぐ、大臣に取りたててやるぞ。」
「今まで通りでけっこうですよ。でも用済みになったとして消してしまわないように。
当分は私がまだ必要なはずですから。」
名参謀はそっけなく言って、洞窟の入り口を凝視した。
「・・・?今、なにか悲鳴のような声が聞こえませんでしたか?」
「そういえば・・・。」
洞窟の壁面がはがれ落ちそうな、空気を切り裂く、女の悲鳴にさえ似た絶叫。
それは、ガゥーズの叫びだった。
レオファーンの剣は柄近くまで、第三の金色の目のあった部分に突き刺さっていた。血と漿液が飛び散る。
全身の力をこめて刃を突きたてたナユは、足場のない聖獣の顔面で、片足を巨大な口の中に落としかけ、
あわてて飛び降り、したたかに腰を打った。
「・・いてっ。」
ガゥーズは剣が刺さったまま、狂ったように頭を振っている。
前足で抜こうとするのだが、その巨大な前足は、敵を倒すには最適でも食い込んだ刃を抜き取るには不向きだった。
眉間が聖獣の急所であり致命傷であるのは明らかだった。
そして、非常な苦痛を与えていることも。
自分の業にあっけに取られていたナユだが、ハッとして駆け出す。
「フラゥン!」
「ナユ!」
少女は転びかけながら、必死で駆け寄ってきた。
「今のうちに、外へ!!」
抱きかかえるようにしてフラゥンと走る。ガゥーズは怒り狂って攻撃しようとしたが、剣による激痛と深手が動きをにぶらせていた。
自身の血で染まったガゥーズの爪をくぐりぬけ、二人は洞窟の折れ曲がった先に向かって駆けた。
あとからさっきと比べものにならないよろよろした動きとはいえ、獲物を逃すまいとガゥーズが追ってくる。
「!!」
レオファーンの剣が深々と突き刺さったままになっている今、丸腰のナユはもうこれ以上攻撃はできない。
相手は弱っているとはいえ、一撃で人間を叩き潰せる力の持ち主。まともにぶつかったら勝ち目がないことには変わりない。
洞窟を曲ると急に壁面をおおう光苔がなくなりかえって暗くなったが、そのかわりそこには光の口が―そして生への入り口があった!
二人はついに―洞窟の境界を越えた。
まぶしい光の中へ出た。
超満員の民衆の全員から、大歓声が爆発した。
「出てきた!!」
「二人とも、二人ともだ!!」
「審判は下ったんだ!」
「ガゥーズを倒したんだ、ナユ・シムルグが! ガゥーズを!」
人々のどよめきは、二人についで洞窟から出てきたものを認めて悲鳴に変わった。
ガゥーズだった。
人々は、聖獣の眉間に深くささったままの剣を認めた。
それもパニックを沈静化させる役には立たなかった。女子供は卒倒しかけ、大の男でも、ガゥーズの血まみれの形相に逃げ腰になった。
身動きの取れないぎっしりの状態でなかったら、われ先に逃げ出していただろう。
城壁が崩れ落ちそうな大混乱が起こりかけた。みんな、この凶獣が、今にも次は自分達めがけて飛びかかってくるような錯覚を覚えたのだ。
「ガゥーズ・・・。」
ナユは、びっしりと斜面をおおう人の海ははじめ目に入らなかった。フラゥンを抱き寄せたまま、聖獣に向かい直った。
ガゥーズの残る二つの目の光は徐々に弱くなり、そして―
何人たりとも生きては倒せぬ伝説を持つ聖獣は、ゆっくりと横倒しに倒れた。
「うわああああああ〜!!!」
今度こそ文句のない、歓喜のどよめきが空にこだました。
ガゥーズはまだ完全には死んでおらず、腹部がわずかに波打っている。しかし遠目には死んだとしかみえまい。
目は半眼になり、闘志は完全に失せているようだ。
ナユはそれでも充分用心しつつ聖獣に近寄った。突き刺さったレオファーンの剣を、その顔を再び踏み台にして苦労して引き抜く。
人々からまたどよめきが上がった。レオファーンは獣の血糊をはねかえし、ほとんど汚れていない刀身を陽光にきらめかした。
ナユは自分と恋人の命を救ってくれた剣を、ほれぼれと見つめた。
この剣のおかげだ、すべて・・・。
その目線が少しずれて、真正面の特等席の中心にいる男に止まった。
「ドゥグマ・・・!」
さっきまでの高揚感が急にすっと醒めていく。
フラゥンを卑劣な罠にかけて、ガゥーズの刑に追い込んだ男。
兄イラムに瀕死の重傷を負わせた男。
そしてパディ王を殺した張本人。
何度殺そうと思いつめたかもしれない、憎い男。
少年の表情がきつく引き締まる。剣を握る手に力がこもった。
その時―
彼は聞いた。
==殺せ 殺すのだ==お前の感情がそれを欲している =殺してしまえ ==
驚くほど鮮明で、そして魅力的なささやき。
精神感応者でなく、そういう感覚にもっとも縁遠いナユにささやきかける―誰?
==お前の感情は正しい あの男は生かしておくべきではない 死がもっともふさわしい男だ
==正義はお前にある 正しい道を==
右手を通して伝わってくる、ささやきというより感情波に近いもの。
・・・レオファーンの剣から!
== さあ なにをしている お前の道を行なえ お前は正しい ==
==放っておけばお前の恋人も兄も やつはかならず殺すぞ ==
== さあ 今だ ==
紅潮していた少年の顔が蒼白になった。剣を握る手が震えだす。
剣のささやく言葉はひどく魅力的だった。ドゥグマを殺してやりたいと限りなく思ってきた。
もし帰国した時すでにフラゥンが処刑されていたら、彼は、返り討ちになるのを覚悟で宮廷に乗り込み、
そしてドゥグマ大臣に切りかかっていたかもしれない。大臣を殺せばただでは済まず、恋人の救出が不可能になるからこそ、
殺意を抑えて耐えてきたのではなかったか?
彼はなぜ、兄があれほど神経質になっていたか、剣を自分に渡すのをためらっていたか悟った。
「憎しみに感応すれば、剣の奴隷となるのだよ。」
兄の声。オレが―
でも、どうしてオレがドゥグマ・ゲンをやっつけちゃいけないんだ?フラゥンの養父の仇だぞ。兄貴をあんなにしたんだ。
あいつさえいなくなれば、すべて―
==そうだ お前は間違っていない 剣が正義だ ==