The Sword of Truth  16


 血のついた黒髪をはねあげる。
 ガゥーズの反射神経は、ナユの予測をはるかに上回っていた。巨大獣にありがちな愚鈍さはひとかけらもない。 しいていえば、やみくもに襲いかかることをせず―していれば、とっくに八つ裂きになっていただろうがー まるでここが正規の闘技場でもあるかのように、相手に体を起こす時間を与えていることだった。
 それは少しでも時間をかせぎたい彼にとってはありがたいといえなくもないが、 ほぼすべての受刑者にとっては、死にいたる恐怖を長引かせるだけの残虐なゲームでしかなかった。
 「おれは―死ぬわけにはいかないんだ。お前を道連れにしないで、死ぬわけには・・・。」
 ナユは剣を持ちなおした。叩きつけられた時のものか、ガゥーズの爪によるのか剣先が折れていた。信じられない破壊力だ。
 あの顔面。胴体は、切りつけても皮膚が強靭でなめらかなため、傷つけることはできない。 突き刺すこと―全力をこめて突き刺せば、皮膚を破り、体の深部まで届くかもしれない―が、一度きりだ。失敗はできない。 相手を傷つけることなくオレが死ねば、次はフラゥンがねらわれる・・・でも、この剣では・・・。
 欠けた剣に絶望感をつのらせた時、彼は腰―自分の体にふれているものから、何かシグナルが発信された不思議な感覚を認めた。
 あ。
 レオファーンの剣だ!
 彼はその剣のことをすっかり忘れていた。小ぶりで、巨大獣に対するにはもっとも不向きそうな聖剣。
 腰のベルトに聖布がとられたままでおさまった剣をとる。
 白い。すべてが。クリスタルの幻想的な光のなか、はっとする白さだった。
 今まで身につけていながら何一つ感じなかったのに・・・この剣から・・・なにか発散している。
 まるでなにかがようやく、目をさましたかのようだ。
 ガゥーズが大きなうなり声を上げた。しかし聖獣は動こうとはせず、目の前の少年の動きを待っている。
 聖剣にして魔剣。レオファーンでありブルガであるもの。聖剣士モゥリーンを栄光とそして破滅に導いた伝説の剣。
 ―これは、まだ剣ではない。剣の卵だ。孵った卵がどのように変化するか・・・それは剣の持ち主次第なのだよ―
 兄の声。
 そうだ。今、剣は―剣として、生まれかけている。
 「レオファーン!!」
 ナユは突然の衝動にかられて、剣をかざし、叫んだ。あのガゥーズが―まるでおびえでもしたかのように、わずかに体をかたくする。
 「目覚めて、オレとともに戦え!!」
 どうしてその言葉が飛び出したのかわからない。が、白い剣はそれに呼応するかのように発光し始めた。
 強く、力強く。今まですいこむ白さだったのが、すべて外に向けた輝きに転じ、明るいのにまぶしさのない輝きを増す。
 刃の部分はいつのまにか白く長くのび、大剣ほどになり、虹色を帯びた白い輝きをはなっている。光の剣。
 伝説通りの光の剣、モゥリーンの剣だ。
 聖獣ガゥーズを倒せるとしたら、この剣以外にない。ナユは確信した。
 剣は彼に不思議な高揚感をもたらした。さっきまでの絶望的な緊張感が切り裂かれ、自由になった感じだ。
 「ガゥーズ!」
 ナユは剣をかまえ、聖獣に向かって走り出した。


 「今から行っても審判はとうに終わってますよ。ガゥーズを見ることはできませんよ。」
 人のよさそうな中年の男が、輿を中央にそえた一行に話しかけた。
 馬に乗れない裕福な女性が使う乗り物だ。輿の上の屋形の窓は布でおおわれて、中の女性の姿は見えない。 従者達の服装は質素で、ほこり避けのベールで顔が隠れているため、どこの家柄の者であるかはわからなかった。
 「―でも、まだ誰も帰ってくる者が見えないな。」
 自分で言っておきながら、男はフッと不審そうな顔をした。街はずれの街道沿い。 小さな食事処の主人である男は、店が市街と真実の洞の間にポツンとあるため、朝から忙しく、ホクホクしていた。
 ―人の不幸を喜んじゃいけないんだが、うちのとりえといったら、ガゥーズの刑がある時くらいだからね―
 「貴族の方もずいぶんと行ってなさるよ。ドゥグマ大臣なんか、わたしゃ王様がもう決まったのかと思いましたよ。 すごい行列でね。・・・人も一杯だろうから、間に合っても人垣の外からではなにも見えないんじゃないかと思うが。」
 「とりあえず、行ってみるよ。せっかくここまで来たんだし・・・ご忠告、ありがとう。」
 輿が動き出した。作りが地味なわりには、つきそう従者の数が多いし、そこいらの金持ち風情のも見えない。 自分が処刑見物に行ったのが分かると困る貴族の姫様かもな。けっこうああいう高貴な御方ってのは、残虐な見世物がお好きだからねえ。
 店主は遠ざかってゆく輿に背を向け、食事の準備に専念し始めた。審判の刑が終わって帰る途中の人々によって、 ここはまたいっとき繁盛するはずであった。

 「やはり、こちらからの精神波は届きにくいようです。」
 「人が多い。グリュミはきわめて感受の力がすぐれているゆえに、人ひとりひとりの精神波のゆらぎをすいこんでしまうのだろう。
 だが彼以外ではできぬわざだ。」
 「向こうから誰か来ます。一人。・・・ドゥグマの?」
 「大臣の配下の者ではないようだが。」
 輿の一行は、街道沿いをこちらにまっしぐっらに走ってくる、左手を包帯で巻いた若者を認めた。
 「しかし、万が一・・・。」
 「違う。グリュミ殿の使いの方だ。」
 輿の中からか細い声がした。人々はハッとして止まる。
 それはもちろん、肌濃い異国の少年ガローであった。
 彼は、自分が使者であることを言わずとも心得ている者達に向かい、精神波では伝えきれないグリュミからの細かなメッセージを伝えた。
 全力で走ってきたので息を切らしてはいるが、少しも疲弊したようにはみえない。
 「よし・・・間違っていない。ところであなたは、ここまで来る途中、不審な―いや、兵士らしい者が外で見張っていたりしているのを見ただろうか?」
 「いいえ。来る時はそういえば・・・でも、今はみんな洞の周りに張りついているんじゃないかな。
 大臣の周辺にみんな集まっているみたいだった。とにかくあまりに人が多いので、大臣の警備だけで精一杯のように見えたけど。」
 ガローは、審判の洞を取り囲む情景を覚えている限り話した。
 「先を急ごう。君は先に戻るか?我らはこの輿について歩むため、どうしてもそう早くは進めぬのでな。」
 「・・・。一緒に行かせて下さい。おれ、ナユがガゥーズを倒すと信じてるんです。」
 ナユの親友はそう言って,謎の輿の一行に加わった。


 「くらえ!」
 ナユはジャンプして、ガゥーズを真正面から切りつけた。聖獣は首をひねってなんなくかわした。うなり声を上げ、強靭な尾を振り回す。 まともに当たれば即、全身の骨がバラバラになる威力のそれを、今度はナユはすばやくそらしてよけた。
 レオファーンの剣は、少年が持っている本来の力を100%発揮させる効果があるのか―おそらく、そうだろう。 悲壮感と絶望感でつっぱっていた部分が消滅し、ナユ・シムルグは、まるで剣の鍛錬用のガゥーズ張りぼてを相手にしているかのような― 軽い爽快感のある緊張感に満たされている。
 ガゥーズもそれに気がついた。
 ―奇妙だ―味が変化したような―危険な?―あの輝いているものは?―警戒―エネルギー増大―

 いける。
 なぜだかはわからないけど、からだが軽い。この化け物に対する恐怖心がすっと消えて、敗北の恐怖が取れ、戦う喜びがみなぎってきたようだ。 レオファーン!オレと―そしてフラゥンに加護を!

 巧みにお互いの攻撃をかわし続けるナユとガゥーズ。
 そこにはさっきまでの、追うものと追われるもの―ネズミとネコ、というよりトラの関係―ではなく、観戦する者がいたら目を疑うばかりの、 対等の、切迫した戦いが繰りひろげられていた。
 相手の動きをあらかじめ把握しようとしていたこともあり、極度の緊張から開放された少年剣士は、ガゥーズのすさまじい爪の攻撃も、 かろうじてだが避け続けた。獣のほうも、ナユの手の輝く剣がただの鋼でないことをいち早く察したらしく、俊敏な動きで応じ切っ先をかわした。
 めまぐるしいスピード。スピード。
 攻撃と防御をからませながら、少年と聖獣は、じりじりと洞窟の入り口に近づいていた。
 ナユは汗だくになり、肩で息をし始めた。ガゥーズのほうも―汗はわからないが―あきらかに疲労がその恐ろしい顔に表れていた。 筋肉こそなまってはいないとはいえ、洞窟に幼獣のころから飼われていた聖獣は、長時間の戦いに慣れていない。 疲れ方では、広い世界で自由な戦いの経験をつんできたナユのほうが浅いかもしれない。
 その時―
 ナユには聞こえなかった。
 この洞窟は吸音構造になっているのか、かなり出口近くなってきても、外の物音が彼にはいっさい聞こえていない。
 が、
 ガゥーズには、聞こえた。
 ラッパの音―審判のラッパの音。
 ガゥーズは厚い岩盤を通してでも、特定の音や精神波をかぎわけることができる。
 その音は、この獣が徹底して仕込まれたもので、条件反射的に絶対のものだった。
 獲物を殺して、洞の外に出て行かねばならない合図だ・・・!
 聖獣はあせった。
 二人どころか、まだ一人も始末してない。
 もう一人―は?
 きびすを返しかけたガゥーズの視界に、カーブになった洞窟の隅に、小さな少女が立ちすくんでいるのが見えた。 フラゥンは、戦いが長引いたため、追いついてしまったのだ。
 獲物・・・!
 さっきまで、鼻もひっかけなかったチビだが、審判のラッパの音―叩き込まれた響きが、この知能高き獣を、大きく焦らせていた。
 ―はやく!あのチビだけでも!あいつが本来の獲物なんだぞ!―
 ラッパにあおられて、ガゥーズはフラゥンに向きなおった。一気に奥へ―少女の方へ駆け出そうとする。
 「やめろ〜!!」
 ナユは聖獣の意図をさとって絶叫し、剣を無我夢中でなぎ払った。ガゥーズのほうも、音にせかされて、ナユへの警戒心がそれ、 その巨大な体躯の側面を無防備にしていた。
 「ギャアアアア!!」
 すさまじい人間のような悲鳴がとどろいた。
 さっきまで鍛えられた剣をたやすくはじきかえしたウロコ様の皮膚を、レオファーンの剣は果実のように切り裂いた。 赤黒い血しぶきが上がった。
 ガゥーズ・・・現在のガゥーズにとって、おそらく初めて人間から傷つけられたのだろう。深く切り裂かれた体から血を滴らせながら少年をにらみつける。 獣は自分のうかつさをののしった。この黒いチビを忘れるとは!
 ガゥーズは突進し、爪で攻撃すると見せかけて反転し長い尾で攻撃した。避けきれずナユは剣を盾にした。 激しい衝撃とともに彼は地面に打ちつけられ、したたか脇を打った。
 ガゥーズが再び絶叫した。ナユより痛い思いをしたのは確かだった。聖剣は尾を受け止めるどころか、その先端を真っ二つにしていた!
 「すごい・・!何でも切ってしまう・・そうだ、そうだよな、モゥリーンの剣だもの。大岩をも切り裂いた伝説を持つレオファーンの剣なんだ!!」
 ナユは、剣のすさまじい威力に感嘆して避けんだ。彼は一流の俊敏な動きの持ち主だが、体格的に怪力というわけにはいかず、 そのため実践的な戦いでは、文句ない剣の決め技をくりだしても、相手の防具によっては一撃で充分ダメージを与えられない危険があった。
 これは剣技場での紳士的な立会いではあまり感じなかったのだが、辺境での、なりふりかまわない盗賊達との戦いを通して痛感したことであった。
 レオファーンの剣は、ナユの持ち味を充分に引き出し、いかす、奇跡のつるぎだった。まさに神業的切れ味。 他の剣では、かりにガゥーズの急所がわかったとしても、その強靭でなめらかな皮膚のため、ねらってもすべるかはじき返されてしまうだろう。
 そうだ・・・フラゥンに手を出すな!オレはここだ!!
 少年の目にギリギリと新たな闘志がみなぎった。聖剣の輝きが増したようにみえる。 振り乱した黒髪に囲まれた顔は、もう少年とも悪ガキっぽいともいえない。
 戦う男の、顔だ。
 ―あの光る剣だ。あれだ。なにかを感じる。食べ物の近いなにか―危険で―そして魅力的な―。意思。
 二ヶ所も傷つけられ、聖獣は少女をあきらめた。
 フラゥンは、ナユが襲われかかって思わず小さな悲鳴をあげ、それが続くのを必死でかみころした。 彼女は恐怖で―ガゥーズに対する恐怖ではなく、恋人が傷つけられるのではないかという恐れで―気が遠くなりそうだったが、 かろうじて岩肌によりかかり倒れるのをこらえ、青い目をうるませて、恋人の戦いを見守った。
 ナユは、視野範囲に彼女がいることの危険性をわかってはいたものの、無事を確認したことと自分のすぐ側にいることで心理的にはかえって高揚した。 今、かなり出口近くまで来ている。ガゥーズに深手を負わせることができれば―その隙に・・・。
 「兄貴・・・イラム兄貴。この剣はすごいよ。
 待っててくれ、フラゥンを連れて―戻る。すぐ戻るから!」
 レパ王子の二番目の息子、聖イラムの弟、そして成長したひとりの剣士―ナユ・シムルグは、聖剣レオファーンを手に、ガゥーズにじりじりせまった。
 手負いになったとはいえ、聖獣は少しもパワーダウンしていなかった。
 動揺はしていたろう。相手の急なパワーアップとその剣のエネルギーは、かえって精神感応力があるゆえに、ガゥーズにとっては不可解なことだらけだったから。
 少年の持つ光る剣が、これなで数多くあしらってきた刃先とはまったく異なる、危険な力を所持していること ―さっきまでのように軽く見ることは、かえって自分を傷つけること―
 剣を警戒し、ガゥ―ズは構えた。
 ナユの最初の攻撃は、相手のたてがみを少々けずり取っただけの失敗に終わった。 が、ナユは恐るべき獣の腹の下に飛び込んでころがって潜り抜け、先の欠けた尾と爪による攻撃をのがれ、後方に回った。
 聖獣が一瞬相手の位置を見失い、後ろを振り向きかけたその横をすり抜け―実にきわどい、もし相手が気がついて腕を振れば彼の最後だった― 正面に飛び出す。
   そしてそばの岩場に駆け上り、勢いをつけ、向き直りかけたガゥーズの―その顔面へ!
 開いた口のあごを踏み台にして飛び移った!
 あの目、金色の目に!
 ナユ・シムルグは、ガゥーズのひたいへ、第三の金色の目めがけて、聖剣レオファーンを満身の力を込めてつきたてた!!


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