The Sword of Truth  15


  「遅いな・・・。」
 大臣はつぶやいた。一刻も早く名乗りを―練りに練った演説を始めたい大臣は、内心相当イライラしており、宮廷スマイルを なるべく崩すまいと苦心していた。  ガゥーズの姿がどんなに恐ろしかろうと、今の彼には守護天使のようにありがたく見えるに違いなかった。
 「とうに処刑は終わっているかもしれません。必ずガゥーズが殺した後、自分から出てくるとは限らないのですよ。それに今日は二 人・・・いつもの倍、いますからね。食事にも当然時間がかかるでしょうよ。」
 参謀が内心あせっているにせよ、そのひからびた顔の表情には変化は見られなかった。
 「なにしろ生き物ですからね。」
 過去の記録に残っている処刑の始まりから終了までの時間はまちまちだ。ガゥーズは処刑が行なわれる前の何日間かは食事量を ひそかに減らされている。完全に絶食させたのでは処刑実行にさしつかえるのではないかという配慮からだ。真実の洞に入るやいなや 一撃で殺されていたとしても、ガゥーズが外に出てこなければ、外の見物人にはわからない。この聖獣が獲物の気配を感知する能力を 持っているらしいことは、一般的にも知られていた。洞内のどこかに隠れて逃げとおすことは出来ない。
 審判のラッパ音による調教は完璧で、もしラッパが鳴り響いてもガゥーズが出てこない時は、少なくとも処刑は終わっていない、囚人は まだ生きているということだ。
 だがこの100年以上、そういう異常事態は起きていない。魔剣士ヒーシュムの時はラッパよりも戦いは長引いたというのが定説だが、 それではどれくらい死闘が続いたかは諸説が多すぎ判明してない。
 現在のガゥーズは、ラッパを待たずに、獲物をしとめたらすぐ洞窟の外に飛び出してくる傾向がある。義務を果たしてからゆっくり奥で 楽しみたいというわけだろうか。モホラはバータ王の時世で行なわれた処刑の記録の詳細を入手し分析していたが、なにしろ相手は聖獣だ。 いけにえをお膳立てしたのはこちらでも、ガゥーズ自身をこちらでコントロールしているわけではない。
 ガゥーズだって7年ぶりの人間の生餌だし、それが二人もいるのだ。ゆっくり楽しんでいるなら、いつもより長めの時間がかかっても 不思議ではなかろう。
 そう。時間がかかるということは、殺される側からは最大の苦痛だろうよ。
 ドゥグマ大臣の顔に、うっすらと恐ろしい笑みが浮かびはじめた。
 見えないのが残念だな。あの、ことごとくわしに逆らいおったシムルグ兄弟・・・一人は焼けただれ生死もしれぬ様になり、もう一人は 今、なぶり殺しの目にあっている。暗い洞窟の中で、逃げ回り、引き裂かれ、高貴なる王族にはあるまじき無残なしかばねと成り果てて 朽ちてゆくのだ。
 死体だけでも見ることができれば気分はもっとよいだろうな。
 あの娘んなど、ガゥーズの姿を見ただけで震え上がって死んでしまうだろうよ。
 自慢の縮れ毛を、時間を費やしてもっとも美しく整えさせた男は、口ひげをいつものくせで引っ張りながら待った。あれだけ用心深く入念に 計画してきたことだ。あせることはない。あの二人が出てくる可能性はないのだ。
 何人たりと。生きて、は。
 その時、ラッパが鳴り響いた。


 「どうした!」
 ナユは右手で剣をかまえ、ガゥーズをにらみつけ、じりじりと移動した。相手に未知数があまりに多いため、 まず相手にかかってこらせるしかなかったのだ。
 この獣の戦闘パターンにはヒーシュム同様、山のように文献があったが、彼は頭からカットし、既成概念にとらわれて自身の動きに 乱れが生じないようにした。

 絶対確実でない限り、ヘタな先入観―予備知識―は、相手がもしそうでなかった場合、即、命取りになる。
 ふだんはあまり書物に熱心でないナユだが、諸国に武者修行に出る前には、さすがに、辺境に生息する“危険な”猛獣について、 旅行記などを含め一通り目を通した。その中で、ユーウラという巨大なダチョウについて、恐らく実際に見聞してない作者の書いた 記述のおかげで、あやうく大ケガをするところだった。
 『気の荒いこの肉食ダチョウは、獲物を見つけると、片方の脚で強力な後蹴りをはなって獲物をしとめる。走るスピードは人間より遅いが 油断してはならない。敵に背を向け無関心を装い、警戒心を解かせて接近させ襲う。だからこのダチョウに出会った時は、 背後に立たないようにすれば大丈夫だ。』
 もっともらしい文章と、本そのものが(真偽は別にして)面白かったので内容を覚えていたナユは、辺境の岩場でこの凶悪ダチョウに 実際に出くわした時、ダチョウがまだナユに気がついていなかったにもかかわらず、正面に回って自分の姿をさらしてしまった。その あと―
 追いかけてきたダチョウのぶっとい脚の、なんと速かったこと!岩場をバネのように跳ね回り、あとで地元住民に聞いたところによると、 後蹴りはマイナー技に過ぎず、普段は岩場で脚を武器に獲物を追いまわし、二本足をそろえて放つ破壊的な正面蹴りこそが もっとも危険なのだそうだ。ナユが人並みはずれた反射神経を持っていなかったら、よくて大ケガ、悪ければダチョウの昼食になっていただろう。
 肉食であることだけはウソではなかった。

 あの、ワニのように太い尾を、忘れるな。
 走る速さはわからないが―あの発達した筋肉!ずっと洞窟に閉じ込められているというのに、信じられないエネルギーだ。
顔―。狙うとしたら、顔しかない。予想以上に大きい。槍を持ってきていれば・・・いや、槍では一度しかチャンスがない。それに長すぎる得物は、 今度は俺自身の動きを封じてしまう。
 超古代の技術がどこかで生かされているのか、洞窟内の空気はさほどよどんでおらず、やや湿っぽい土の香りがするだけだった。 それに気がついた生きた人間はいままで存在しなかったろうが。
 「来いよ。」
 聖獣は動かなかった。
 まるで、向こうもこちらの出方を待っているかのようだ。
 猫科の動物に似た、三つの目を持つ顔。裂けた巨大な口からは、低いうなり声が断続的に聞こえる。
 ナユ・シムルグは緊張感に耐えられなくなった。もとより気が長いほうではない。
 いや誰だって、この圧倒的な存在感を持つ、巨大な怪物とのにらみ合いには耐え切れまい。
 我慢しろ・・・ダー師にもよく言われた・・・フラゥンのために、少しでも時間を―
 歯がガチガチ鳴り出し、剣先がふるえる。動かないでいるのは戦略的には正しいのかもしれないが、心理的には苦しすぎる。
 むやみにつっかかっても逃げ出しても、相手の思うツボだ。あのたてがみ―触手のような―あれか?兄貴が言っていたのは― イラム兄貴は、あいつにたてがみがあることを知っていたんだよな。ボーズになる前は学者みたいな生活してたっけ・・・。
 極度の緊張を強いられたナユの心は、少しづつ目の前の相手からそれだした。イラムの顔が浮かんだ。火傷前の、優雅な、 柔らかな髪におおわれた姿。
 ガゥーズがじりりと前に出る。相手に隙ができたのを察したのか、それとも相手の心が自分から離れたのに腹を立てたか。
 ナユはさっき見つけて拾っていた飾り珠を、左手の中で握りしめた。貴人の死装束を飾っていたものらしい、黄金と宝玉の珠だ。
 聖獣がまた、にじり寄る。こんなにゆっくり接近してこられたのでは、飛びかかられた時逃げ切れないかも・・・。
 左手をひくのと、ガゥーズの肩の筋肉が盛りあがるのとが同時だった。聖獣は人間の胴体ほどもある太い腕を振りかざしたが、 自分に向かって飛んできた虹色の珠に気を取られて、一瞬スピードが鈍った。
 かろうじて岩盤に叩きつけられるのをよけ切ったナユは、ころがって第二の攻撃をもかわすことに成功した。爪で岩肌が深く削りとられている。 少しかすめただけでも無事ではすむまい。
 「この化け物!!」
 黒髪の戦士は走り出した。洞窟の出口の方に向かって。とにかくフラゥンとガゥーズの距離を離しておくことが肝腎だった。フラゥンは サンダルばきで、あまり速く走れない。獣に本気で追いかけられたら数秒でケリがついてしまうだろう。
こいつの頭からフラゥンの存在を消してしまうこと―そして、洞窟の、できれば外、にまでおびきだすこと。
 あいにくガゥーズは、フラゥンのことは忘れるはずがなかった。さっき飛び込んできたこの少年と違い、 何日も前からその精神波に慣れしたしんだ―獲物なのだ。どこにいるかも今、わかっていたが、 せっかく自分に対して激しい闘志と敵意を燃やしている美味な獲物を放っておいてまで、先に少女を片付ける礼儀知らずではなかった。
 逃がす、ものか。
 ガゥーズはすばらしいスピードでレパ王子の息子に追いつき、今度は長い尾で攻撃した。尾の先端がナユの腕をかすめる。 それだけで腕の皮膚が少し裂け、血がふきだした。
 「つ・・・ちくしょう!」
 遊んでいやがる。こいつは・・・。
 この化け物、何人もの人間の血肉を喰らった悪鬼。
 剣をかまえる。大きささえ無視できれば、スピードは森虎と同じくらいだ。だがこいつに比べたら虎も子猫のようにみえる。
 「・・・・!!」
 ガゥーズの体当たりのような、肩を使った攻撃をいきなり受け、やみくみに剣をふるったナユは、一瞬血が凍るような思いを味わった。
 灰色のウロコ様におおわれた肩の筋肉は鋼のようで、しかも油をぬったかのようになめらかだった。
 剣の切っ先をはね返すパワー。彼がかろうじて助かったのは、岸壁の凹凸のすきまに飛び込み、爪による次の攻撃がくる次の瞬間飛び出す、 作戦など何もない、動物的な反射行動のたまものだった。

 ほとんどガゥーズの爪の間をかいくぐるようにして危機を脱したが、休息は寸分も与えられない。今度は顔をねらって剣を向けたが、 ハエでも追い払うような軽いしぐさで、聖獣は鍛えられた長剣を爪ではじき飛ばした。剣を持っている人間ごと。
 「ぐっ。」
 ナユは宙を飛び、びっしりクリスタルの結晶がつきだした岩肌に叩きつけられた。髪を止めたバンドが切れ、黒髪がバサバサたれかかる。 結晶で切れた体のあちこちから血がふきだした。全身がバラバラになったような痛み―それでもまだ直接、聖獣の攻撃を受けたわけではないのだ。
 ガゥーズはなめまわすように注意おこたりなく、美味な獲物がよろよろと立ち上がるのを見守っていた。
 ―もう降参か?―
 と、あざけ笑っているかのよう。

 洞窟の奥にいたフラゥンは、ナユと聖獣が消えた方向へと、こわばる体を進めはじめた。ナユが心配したように、 彼女のサンダルでは洞窟内の鬼ごっこはできない。走って恋人のもとに行きたい気持ちと、 そうしたら恋人の邪魔になり死を招くかもしれない恐怖が交錯し、彼女を凍らせていた。
 「ナユ・・・。」
 彼女は、自分だけ生きのびる気はなかった。両親、やさしかった養父、そして恋人。
 みんな亡くして、どうして生に執着することができよう?
 フラゥンは、少しづつ少しづつ、弓形の洞窟をすすんでいく。出口・・・生にむかってではなく―
 むしろ、死にむかって。




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