The Sword of Truth
14
「ガゥーズ・・・!!」
二人は思わず同時に叫んだ。
一目見ればわかる。アンティオの恐怖、聖獣―いや、魔獣ガゥーズの姿を。
大きいことはわかっていたが、この近隣諸国で一番大きい動物、白皮象の倍はゆうにある。広くみえた洞窟が、ガゥーズの長の住居としては
狭く見えてしまうくらいだ。
姿格好は獅子に似ていた。野獣に爬虫類と軟体類をかけ合わせたようだ。獅子のたてがみに当たる部分は、うごめく緑色の太い触
手で囲まれている。ふたまたに分かれた長い尾は、南方諸国にいるワニのように強靭にみえる。一本が人間の胴より太い四肢の
先には、見ただけで大抵の人間の戦意を失わせてしまいそうなものすごい爪が剥き出ている。体表は毛でなく細かな灰色のウロコ
のようなものでおおわれ、ぬめぬめと洞窟内の光を受けていた。
そして、顔。
トラに似ているが、深くさけた口から悪夢のような牙がずらりと並んでいる。人間の最後のはったりさえ吹き飛ばしてしまいそうな鋭
い金色の第三の目が、額からのぞいていた。
これまで誰一人生還できなかったという不思議さを、100%あたりまえと納得してしまう、壮絶なパワーを全身から発散させながら、
そいつはゆうゆうと歩んでいた。
これが聖獣―審判者、ガゥーズだった。二人の裁きの主。
ナユは実物を見たことがない。7年前といえばまだ子供だし、当時の刑の対象は王に対する反逆者、隠居生活中であれ、いつ父親
のレパ王子にもその恐怖が降りかかってこぬともわからぬ状況だった。そんな中で処刑を見物に行くなど、いくら好奇心旺盛の子供
でもさすがにためらわれたのだ。
国を出て,あれこれ珍しい動物をも見聞し、いっぱしの「怪・獣」通だと思っていたのだが、自分の母国にこんなすごいやつがいたと
は・・・。
ガゥーズは最強だが、繁殖力が弱いのかごく数が少なく、アンティオ国内の、山で囲まれた“聖なる森”に生息しているにすぎない。
そこは立ち入り禁止区で、ふだんそれを破る者はいない。
寿命が軽く100歳を越えるのは、一度捕獲すればたびたび補充せずに済むという点で好都合だった。幼獣を生け捕る際は(成獣は
むろん何人たりも捕らえることは不可能だ)、凶悪囚人達を「仔を捕獲するのと引き換えに恩赦する」条件で大勢森に送り込む。そし
てその大半をいわばいけにえにする形でなんとか捕獲するのだった。そのあとは洞に連れて行かれ、昔からの作法通りに育てられ
るが、伝統的な遠隔的飼育法であり、親身になって育てる飼育係がいるわけではない。
名前だけは知れ渡っているものの、実態はその国のほとんどすべての住人も知らない幻の生物なのだ。
ガゥーズは低いうなり声を上げた。
初めは出口近くにいたのだが、獲物が“放された”のをかぎつけ、ゆっくりと奥に戻ってきた。
肉眼で獲物を見るのは初めてだが、片方は思念波に記憶がある。もう一匹は新しいヤツ―ずっとずっとうまそうなヤツ。
ガゥーズは笑ったが、相手には牙の数の多さが印象づけられただけだろう。
“ずっとずっと、うまそうなヤツ”
聖獣は、ナユ・シムルグの方にその三つの目の焦点を合わせた。
フラゥンが側にいなかったら、ナユですら、戦うより逃げる算段をとっさに考えただろう。
人間のように強烈な意思力を持った双眼と、額の縦のさけめから輝く金色の燃える眼。
ただの野獣ではない―。
くそ、負けるもんか。こいつを倒してフラゥンを―。
ナユは長剣を抜きはなった。ガゥーズは二人を見つけてもすぐ突進もせず、太い尾を猫のように振っている。あんな尾のひと振りをま
ともに受けたら、全身の骨が砕けてしまうだろう。十分距離をあけないと、側を走り抜けようとしても、尾のムチの範囲内にいたら、そ
れだけでおしまいだ。
「フラゥン・・・少し、奥の方に身をひそめて―オレから離れてくれ。あいつの注意を完全にオレに引き付けた時合図するから―その
時、全力で走り抜けるんだ。」
「・・・・。」
「約束して。」
「・・・ええ。」
二人の指先が離れた。ガゥーズは久しぶりの獲物に歓喜していたが、二人よりはずっと冷静だった。
“あのチビが―少し、離れた。まあいい。まず、こっちの殺しがいのあるやつを。逃がしはしない。おいしそうでないとはいえ、食事は
食事。今度いつありつけるかわからない―”
もしドゥグマ・ゲンが国王位についた際は、反対派の粛清にガゥーズの刑が多用されるであろうことを教えられていたなら、この聖獣
はあまり食指の動かないフラゥンに対してずっと寛大になっていたかもしれないが。
ナユは唇をかんだ。こちらをなめているのか、すぐ襲いかかってこないのは、未知の相手を観察する上でありがたい。しかし、初めか
ら戦意などない大半の者にとっては、聖獣の態度は恐怖を長引かせるだけの悪魔のしぐさでしかないだろう。
どういう攻撃を仕掛けてくるかわからない相手に一番有効なのは、とりあえずひたすら逃げ回ることである。逃げるといっても、その
間に相手の攻撃パターンを読み取って、反撃に転じなければならない。だが、その最初の攻撃すら避けきることができる相手だろう
か?
フラゥンは心配で気が気でなかったが、洞窟の奥の方に後退せざるをえなかった。彼女はナユの側にいたいという感情が、相手を
そのために殺しかねないということを、理解できるほどに賢明だった。
―私にできるのは、あなたの戦いを邪魔しないことだけ。見守ること、祈ることしかできない―
―死なないで。私、生きていけないから―
―ガゥーズ、あなたが本当に真実の審判者なら、罪もなくここに来たナユを、私の命と引き換えに助けて―
―私には、彼がここに来てくれたことで十分なの、お願い、彼を傷つけないで、見逃して―
闘志に満ちているナユ・シムルグと違って、フラゥンの思念波は、聖獣にとって、食欲を減退させるような“まずい”ものだった。
“まず、こいつを喰らってやる。そうしたらあの妙なチビも、少しはうまくなるかも”
聖獣は目の前の黒髪の少年を目でなめまわして思った。
「来い!おじけづいたのかっ!!」
少年が叫んだ。
窪地を取り囲む大群衆は、もう目を片時も洞窟の入り口から離さなかった。いつ、ガゥーズが飛び出してくるかわからなかったから
だ。最近はなかったとはいえ、この審判はバータ王の治世下では何度も行なわれている。その時のことを、目は一方に向けたまま
耳と口を活発に動かして、あれこれ話し合う者も多かった。
ナユ・シムルグがひょっとしたらガゥーズを倒すかもしれないと考える者の数は―どんな競技場にも必ずいる賭け屋がまったく見当た
らないことでわかるというものだ。実物をまったく見たことのない年少者の中には、聖剣士の伝説のように、不可能を可能にする法
則によって大逆転があるかもと本気で信じている者がいるかもしれないが・・・。
ナユ・シムルグは、レパ王子の子息という高貴な血筋は疑いようもないけど、アンティオ王立剣技院での剣士としての純粋な評価
は、「まだまだ」というのが、内外者を含めての正直な意見だった。「将来が楽しみ」「ぐんぐんのびつつある」と将来性を高く評価する
者は多かったが、今現在の実力からいったら、王立剣技院には、彼を上回る修行中の剣士は何人もいる。
なんといっても、残虐で多くの罪なき人を殺めたが、剣士としては超一流だった魔剣士ヒーシュムですら、生きて出ることはできな
かったのだから・・・。
ヒーシュムも何かと伝説の多い剣士であり、誰も見るもののない最後の死闘で、彼がどうやってガゥーズを倒したか、は剣技院の宿
舎の夜話に必ず上る、話尽きぬテーマの一つである。「魔剣士ヒーシュムの最後の戦い」は、これまでまるで自分が見てきたような
書きぶりで、何度となく議論され書物としても発行されてきている。このタイトルそのものが「意見がバラバラ」という暗喩となってい
る。
(ナユも剣技院の図書館へ行って片端から目を通したものの、ウンザリして止めてしまった。ガゥ―ズの外見からしてあやふやなの
である。)
背は低いが横幅の頑丈な男が、乗り出そうと前の何人かを押しやった。気が立っている者達が怒鳴り散らす。
「何するんだ、落ちたらどうする!」
見物席としては城壁の上が一番だが、とうに満員だ。剣を持った役人が必死に規制している。配下の者に守られたドゥグマ大臣の
周りだけは、貴賓席然として風通しがよかったが。長く人が立たず整備もされなかった傾斜面は足場もあまりよいとはいえず、見え
ないとか、押すなとかのゴタゴタがあちこちで起きていた。
商人に扮した僧グリュミは、城壁の上に乗り出して見物する必要はなかったので、斜面の中ほどに場所を定めた。
後ろの方で荒っぽい連中がささいなことで暴力的口論を始めたが、内部と、ずっと外の気の動きをさぐるため、
精神感応力をフル作動させている彼はまったく気がついていない。
「あっ。」
全神経を集中させていた彼は、後ろのケンカ騒ぎでいきなり背中を押され、ころげ落ちそうになった。
「危ない!」
太い声が飛んで、将棋倒しになりかけたグリュミの腕を,誰かが衣ごと引っ張り上げる。肌の浅黒い大柄の少年だ。
左腕を包帯で巻いている。右手だけで大人一人を軽々と引き上げたらしい。
「あ、ありがとう。」
グリュミは、間の抜けた声で、ぼそっと言った。魂ばなれ―精神感応者がその全力を向けている時は、肉体の方がうつろ―
お留守になってしまう。彼のもっとも得意とするのは、周囲の気の流れをさぐりはかることなのだから、なおさらだ。
「大丈夫ですか?」
少年の肌の色や姿かたち、そして言葉からも、アンティオ王国の民でも、その近隣国の者でもないことが一目でわかる。
同じ作りの小剣を2本腰に下げていた。
僧侶は外見以上に、この少年のきりっとしたさわやかな、そして力強い気に感銘を受けた。精神感応力を発散している
最中だったので、何かひどく引かれる―話しかけたくなる―自分のカンを、彼はムダにしなかった。
「ガウ―ズの審判をわざわざ見に、この国に来たのかい?」
少年―ナユの友人で二刀流の剣士、ガローは相手の顔を見た。ベールがややずれて、遊びなれた貴公子のような端正な顔が
のぞいている。
「今・・・あの中にいるんです。おれの友人が。」
「ほう。・・・今洞窟の中にいるのは、養父殺し王殺しの娘と、最高王族の剣士だ。
どっちの知り合いとしても、気安くないが?」
商人の目が光った。
一方で相変わらず精神感応力をレーダーのように張りめぐらしていたが、あまり感度を上げると、予想以上に集まり過ぎた
人の気で、感受性が過度に圧迫されてクラクラしてしまうので、幾分押え気味にした。
―まだ、終わっていない―
―ラッパより先にガゥーズが飛び出すことは・・・あるまい―
―近づいて来ている。障害はいまのところ何も、なし―
自分の能力を自在にセーブできることが、彼の最大の武器であり、ここにいる理由だ。力を押え気味にすれば、日常動作も
併行して行なえる。これには大変な負荷がかかるので、あとでふだんの何倍もの日数、瞑想にこもってリフレッシュしないと、術者としては
廃人になりかねないのだが、僧は気にしなかった。
「彼女は王を殺していない。友人に・・ナユ・シムルグに聞いたんだ。犯人は―ここから、見えますよ。」
ガローは右手で、城壁の上の広場の一角、衛兵に守られ王の閲覧席然とした場所を指さした。押さえ込んでいる敵対者からの
万が一の暗殺を警戒し、幾重にも配下の者が取り囲んでいる。彼らは洞窟の入り口を見つめていない唯一の人間だった。
「おれがこのケガをしたために、あいつは国に戻って、処刑に同行することになった。あいつの身に何かあったら、
おれの責任でもあるんだ。」
「そんなことはない。」
商人の格好をした男は優しく言った。さっきと微妙に声のトーンが違う。落ち着いた、心を安らわせるヴォイス。
僧院通なら、その話し方に何かを察したろう。
「君は―本当に、信じているんだね。彼の言ったことを。本当の犯罪者が誰かということを。」
「あなたは・・・?」
ここにきてようやく、ガローは一国の大臣を名指しで犯人だといきなり言っても、相手がまったく動じない不自然さに気がついた。
彼は、友人が生還率0に限りなく近い戦いにたった一人で立ち向かい、自分はなすすべもなく負傷した腕をかかえたまま、
外でただ待つしかないことに、ずっと怒りと悔しさで一杯だったのだ。
この人はいったい・・?
アンティオの庶民なら、ちょっと見でもすぐに、誰だかわかっただろうが。
グリュミは、正義感あふれる真面目な男だが、困ったことに目立ちすぎる派手な美貌の持ち主だった。
根は真面目なのに、顔立ちがやたら官能的で、遊びなれた放蕩児以外の何者でもないといった容貌なのだ。そのタチの悪い?
美貌のため、僧侶の中では、能力を別にしても屈指の有名人である。顔を隠してなければ服だけ変装してもすぐわかるし騒がれるから、
ドゥグマと配下の者にチェックされる恐れがあった。
―ナユ・シムルグの友人。彼が突然帰国し、流れを変えるきっかけを作った少年。事情をよく知っている―
「・・・あなたは?」
「ちょっと耳を貸してくれないか。」
グリュミは相手の耳元でささやくように話し始めた。騒がしい一帯だったので、誰も二人に注意を払う者はいない。
ガローの顔がその濃い目の肌色にもかかわらず、青くなり、それから紅潮するのがはっきりとわかった。
「ほ、本当ですか!!ナユは!」
「しっ。」
グリュミが、相手の腕を捕らえて制する。
「ドゥグマがあおって市民を呼び集めたため混雑状態がひどくなり、発散する気が乱れて混乱し、こちらの身動きも取りにくくなってしまった。
―あの男の野望をくじくには、タイミングがもっとも大切だ。ナユ・シムルグがこの戦いに勝っても・・・万が一負けても、だ。」
「ナユは・・・。」
「まだ、死んではいない。それくらいしかわからない。しかし、ガゥ―ズも死んではいない。
君はここで見守りたいだろうが―僧院、いや人々のために、力を貸してくれないか?」
「おれにできることなら!」
ガローの声はさっきとうって変わって、力強くはずんでいた。