The Sword of Truth  13


 「気をつけて。」
 「ええ。」
 「コケですべりやすくなっているけど、さっきの入り口のように急な傾斜道でなくてよかった。
いきなり・・・目の前に来られたら、大変だものな。」
 ナユ・シムルグは、つとめて明るい声で言った。フラゥンの手をひき、ずっとマシとはいえ油断すればすべり台になる 下り坂をそろそろ、下りていく。
 下るにつれて、あたりはよりびっしりとおおった光苔で照らされ、小洞の中よりはずっと明るくなってきた。
 「小洞から真実の洞に続く道も、時間ごとに順にふさがっていきます。つぶされる覚悟でない限り、裁きを受ける者は 大洞に入らざるをえないのですよ。」
 丘の上の囚人が、薄気味悪い笑顔とともに話したのを思い出す。
 フラゥンがハッと身を引いた。ナユも、自分の足が岩とコケではなく、もっと堅くてもろいものを踏んだのに気がついた。
 それは粉々に砕けた古い人骨だった。
 ガゥーズと対面するよりは、岩に押しつぶされるのを選択したもののなれの果てらしい。 さびついてまがった剣以外、判別するものは残っていなかった。
 ナユは思わずその剣を拾いかけたが思いとどまった。唇をかみしめ、片手でフラゥンの指を、もう一方で愛用の剣の柄をぎゅっと握 りしめる。

 フラゥンは、ナユの横顔を見つめていた。突然の不幸でずいぶんやつれてはいたけど、ほっそりとしたやさしい愛くるしさは損なわ れてはいなかった。淡い金髪は、さすがに何日もの洞窟暮らしでフワフワというわけにはいかなかったけど。
 恋人のひきしまった横顔。旅立つ前の、二人だけの誓い。
 「一人前の剣士として―戻ってくる。戻ってきたら、お父さん・・・パディ王にすべてを話そう。
 今は・・・今は、だめなんだ。今は―イヤなんだ。
 きみのこと・・・愛してる。だから、もう少しだけ待っててくれ!!」
 ナユの大きな真剣なまなざし。フラゥンは、唇を動かす前から目で返事を返していた。
 それからほんの―彼女にとっては―わずかな間に起こった恐ろしい出来事。
 眼前での養父の死、そして父王殺しとしての告発と幽閉。あの恐ろしい瞬間。
 軽い風邪をひいて休んでいるパディ王に、いつものように持っていった薬湯。
 口論したとはいえ、あのあと不和になったわけではない。王は彼女が自ら食事や飲み物をととのえるのを、とても好んだ。 (宮廷のうるさ方には、「養女になっても、やることは侍女のまま・・・」とカゲ口をたたかれていたのだが)
 薬湯を飲み干した直後、苦しみだした王。血を大量に吐いて・・・。
 「お父さま!!?・・・誰か来て!!!」
 人々が駆けつけ、そして彼女がこときれた王のなきがらにすがって泣いているうちにも、冷酷な歯車は正確に回り出していた。
 毒はおそらく薬湯の器の内側に塗りつけてあったのだろう。フラゥンが王のために準備するささやかな食事や薬のための食器は 決まっており、奥向きの侍女なら彼女以外にも給仕室に出入りできるから、この時点では彼女を犯人とは断定できない。
 が、いきなり告発され、一室で待機している時、彼女の私室を捜索した王家直属の衛兵が、王が飲んだのと同じ毒の包みの残りを、 飾り花瓶の中から発見した。
 ドゥグマは、告発は自分の息のかかった貴族にさせ、そして部屋の捜索は自分と無関係の衛兵にさせた。むろん、あらかじめすぐ見 つかるところに毒の包みを置いておいておいたのはいうまでもない。
 フラゥンは誠実な娘だが、弁が立つわけではなく、おしゃべりですらない。次々新たになる疑惑をうまく抗弁もできず、ただ否定する しかなかった。田舎郷士の娘が王の養女なったことで、利害関係やねたみもからんでくる。養女になって日が浅く、パディ王に長年 親しい者ですら、彼女のことをよく知らぬ者が大半だ。とにかく彼女が犯人でないという証拠というのが不足していた。
 決定的に。
 長老院の中にも彼女の犯人説に、内心疑問を感じている者はいた。しかし、お膳立てされた数々の証拠品、作られた証人が完璧な 申し立てをする以上、反論することは不可能だった。
 それでも、もし瞑想月でなければ、聖イラムを呼び出して、フラゥンが本当に犯人かどうか、その聖なる力で判定してもらおうではな いかと言い出す者が必ずいたことだろう。パディ王はイラムが推挙した王であり、審判は別にしても、死者への悼みの儀のため、イラ ムは王宮におもむくことになったはずだった。
 そして、彼が否定すれば、たとえ他にどんな証拠があろうが、少なくともガゥーズの審判刑にはいたらなかったろう。聖イラムの発言 力はそれだけ権威があったし、彼はフラゥンを知っていたからだ。
 すべては巧妙にしくまれ、無実の罪を着せられた本人ですら、真実を知らぬまま葬り去られようとしていた。ナユ・シムルグの突然の 帰国によって、完璧な罠に穴がうがたれるまで。
 僧院は公にはアンティオ王国に直接の発言権を持たぬし、王宮内部紛争には一切かかわらにことを信条としている。イラムも僧院と しては、一介の僧侶にすぎない。パディ王が暗殺されたことを聞いても、即、イラムを起こすということをするはずがない―しては、な らなかった。
 バーダ王の一連の血なまぐさい粛清の時も、僧院は動かなかった。「王宮内部のことに口出ししない」、これが民に過大なる影響力 を持つ僧院の存続を、長きに渡ってアンティオ王家が黙認してきた理由だ。
 イラム・シムルグが僧となることを希望した時、僧院内部では、いやがおうでも王家とかかわりを持たざるを得ないことを危惧する者 も少なくなかった。事実、イラムが超常能力を持たぬただの王弟の子息であったなら、受け入れなかっただろう。
 だが、王族でありながらその並外れた精神感能力、そして一国の王として君臨するにはやさしすぎ、弱すぎる魂を救済するため― 聖ヒジャインは彼を受け入れることを決定し、イラムはそれに応えた。
 入った時のいきさつ上もあって、パディ王が変死したからといって、瞑想中のイラムを起こし、真実を確かめるようには言えないのだ。
 ただし、ナユ・シムルグが忍び込むのを、聖ヒジャインは事前に感知していたが、気がつかぬふりはした。
 ただ、それだけだった。
 それがのちに、孤児たちや愛弟子に恐るべき危害をもたらすことになるとは思いもよらなかったろうが・・・。

 フラゥンは、愛しい人を見つめ続けた。
 もう、怖くない。
 ―あなたと一緒なら。
 ―あなたと一緒に死・・・いけない、考えてはいけないことだわ。彼はそれを望んでいないのだから。
 ―でも、これからどんなことが私たちに起ころうと、・・・怖くない。
 あなたをこんな恐ろしい刑に巻き込んだのが辛い。でも、あなたが来てくれたことが、どうしてもうれしいの。
 愛してるわ、ナユ。あまり口に出してうまく言えないけど。
 行きましょう。
 金髪の少女と黒髪の少年は、通路から審判の洞へと一歩、踏み出した。


 「ここは・・・。」
 ナユは思わず声を上げた。
 通路が下に向かうほど徐々に明るくなっていることは感じていたが、小洞の陰鬱な雰囲気と比べて、もっとも恐ろしい場所で あるはずの終点が、それに似つかわしいと言いがたい美しさをもって目の前に開けたので、驚いたのだ。
 彼はガゥーズの洞に出る前、レオファーンの剣を、封印していた聖布をほどいた。聖布はフラゥンが片腕に巻いて持っている。
 洞は天井が高かった。そして想像していたよりはるかに明るかった。
 出口はむろん見えない。大洞窟は三日月のように湾曲してのび、出口近くでもう一度大きく屈曲して終わっているはずだった。 今二人の視界には、何も生き物らしい気配は見えない。しかし聖獣はどこかで必ず審判の時を待ち構えているはずだった。
 クリスタルの大小さまざまな結晶が、洞窟の内壁のいたるところから突き出していた。
 無色、淡赤、紫・・・それらが見たこともないほどよく繁茂した光苔―上のほうにあったのと少し種類が違っているみたいだ― の発光を受け、幻想的にきらめいている。地面さえ目を落とさなければ、妖精の夢の洞窟といっても過言ではなかった。
 だが―  いかに美しかろうと、ここはまぎれもないガゥーズの住む真実の洞。死よりも恐ろしいといわれる処刑場であった。
 ナユは、洞窟内の、足場の悪い滑りやすい条件を考えて、ブーツだけは、ぬれた岩場の上でもふだん通りのフットワークが 可能な、底に深い刻み目を入れた特別あつらえのものをはいていた。それでも足元が思っていたよりずっと乾いているのはありがたかった。
 光苔はおもに壁面にはえていたが、ところどころ地面にのびていた。それらは過去に、この洞で命を落とした人々の亡骸の上をおおっていた。 最後の処刑から七年もたっているため、装身具と剣と白骨が、妖しい燐光に包まれて、ぼうっと足元の間接照明のように浮かび上がっている 様は、鬼気迫る死の美しさがあった。
 身分の高い貴人が、せめて最後の時は威厳と美を装ったのであろう黄金と宝石の残骸が、永遠のむなしい輝きをはなっている。
 あたりの様子に目が慣れてくると、レパ王子の息子は、剣士の目で戦いの場となる洞を急いで分析し始めた。
 辺境で、身分を隠して武者修行してきたため、一定条件の規定された闘技場で戦うことに慣れた、王立剣技院の優等生より はるかに実践的な武者に成長している。
 フットワークが武器のナユにとって、足場への考慮はもっとも大切な条件だった。見かけはひきしまってかえって細身に見えるし、 見てくれよりは腕力もすぐれているが、決して怪力と呼べるレベルではない。組み打ちになったら不利な体型だ。本人も それはよく承知している。
 ナユの愛剣は長剣で、剣幅は細めに鍛えられ、重量負担をできるだけ軽くしてある。柄も余分な装飾ななく、名前が聖文字で 薄く刻んであるだけだ。
 レオファーンの剣は洞窟の中で白さが目立つが、守り刀のように腰につけたままだ。兄がああなってしまったため、 この剣をどう扱えばよいのかわからずじまいである。モゥリーン伝説によれば、剣は大剣で虹色に輝きオーラのような光を はなっていることになっていて、サイズからしてまず違う。
 だが兄は、ウソは言わないひと、だ。
 ―剣が、教えてくれるだろう。
 唐突に彼はそう、思った。
 フラゥンは、身柄を拘束された時の、シンプルなドレスに宮廷奥向き用のサンダルばきのままなので、特製ブーツ着用の ナユより、足元が危ない。とはいえ人骨、剣、貴金属、そして結晶の欠片が散乱している地面は、裸足では歩けない。
 ガゥーズの注意を自分に引きつけさせても、彼女の足で出口まで脱出するのにどれくらいかかるのか・・・ガゥーズが 洞窟入り口付近にいたら助かるのだが・・・。
 「ガゥーズの注意をオレが引くから、フラゥン、きみは洞窟の出口に向かって、全速力で走るんだ。」
 「ナユ、でも・・・。」
 フラゥンの瞳に激しい不安とためらいが浮かんだ。唇がふるえる。
 「オレは、だてに修行したわけじゃない。ガゥーズを倒せる自信があったからこそ、ここに来たんだよ!」
 これははったりだった。演技のできない彼としては精一杯の笑みをうかべる。
 「でも・・・。」
 「オレが信用できない?」
 「いえ、いえ!・・・でも、あなたをおいて―」
 「オレのためにだ、よ。ガゥーズには審判を受ける者と付き添いで来た者との区別なんかしやしない。やみくもに襲ってくるだろう。
 その時、まったくの―その、戦いには素人であるきみがそばにいると、オレは身動きが取れなくなってしまうんだ。 オレを戦いに集中させるため、そうしてくれ。でないとオレが困るんだ。」
 フラゥンは蒼ざめたまま、うなづくしかなかった。
 ナユがあらかじめ考えておいたことであるが、これは半ば真実である。力量の異なる者がペアを組むと、弱いが同器量のペアより ヘタをすると弱くなる。  「さあ、早く行こう。」
 二人が洞窟のまだ半分も進まないうちに、現れた巨大な黒い影があった。



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