The Sword of Truth  12


 「うわああああ。」
 どうして小洞から丘の上に脱出した囚人の話を聞かないのか、ナユは飛び込んだ瞬間わかった。ぬるぬるするコケでおおわれた、きわめて急な滑り台に似て、ラセン状に回りなが ら下ってゆく―あっという間のことだったが、最後はほとんど垂直に近いような傾斜で、落ちるように彼は吐き出された。俊敏なナユがしばらく目が回ったままだったから、普通の人 間だったら気絶してただろう。
 「痛っ・・・。くそ、ここは―」
 急に陽光の中から半闇の中に飛び込んだので、ひどく暗く感じられる。よく見えない。
 だが、そこには何日も前からその闇に慣れた者がひとり居た。
 彼女はむろん瞬時に誰だかわかったのだが、言葉を失ってしまって、そのため頭をさすっている人物にすぐ声をかけることができなかった。
 信じられない。
 ―私、気がおかしくなったのかしら・・・あまり、想っていて。
 でも・・・でも・・・。
 こんなところにナユ様が現れるはずがない。ここは、ここは―ガゥーズの死の洞なのよ。
 フラゥンは動悸で胸が張り裂けそうになりながら、相手を見つめていた。実際はわずかな時間だったろう。しかし、目が慣れたナユが相手を認めて叫ぶまでの時間は、永遠のものと も感じられた。
 「フラゥン!!」
 まぎれもない声。それでもなお体の動かない彼女を、ナユは飛びついてきつく抱きしめた。
 「フラゥン・・・会いたかった―会えてよかった!」
 「ナユ様!・・・ナユ様。夢じゃないのね・・・ああ。」
 カビくさい湿った小さな洞の中に、二人の歓喜の声がこだました。
 下にいるガゥーズにとっては、それは、はなはだ不可解なシグナルだったに違いなかった。

 「ナユ様・・・どうして、ここに?」
 はじめの興奮が鎮まると、フラゥンは少し―ほんの少し落ち着きを取り戻した。薄闇の中に、淡い金髪でかこまれたやさしい顔が浮かびあがる。何日も泣きはらし極度の緊張にさら されて、やつれてはいるが、柔らかなほほえみは損なわれてはいない。
 「君を助けるために来たんだ。」
 ナユは腰の剣をたたいて言った。一つはふだん愛用の大剣、もう一つが聖布でくるんだままのレオファーンの剣だった。
 王族とはいえ、事前に身体検査は受けている。ドゥグマの目も光っていただろうが、剣士のナユでさえ不審がった“守り刀”を名高いモゥリーンの剣とわかるはずもない。大臣にして も、大剣を10振りしょって行ったところでかなう相手ではないと知ってはいただろうが。
 「助けるって・・・ナユ様、まさか・・・?!」
 フラゥンは地方郷士の娘、中央の一般常識にはうといし、王の養女としての教育も始めたばかりだ。ぶっそうな“審判”に付随するさまざまな規則を正確に聞き知っているわけでは ない。
 ナユが、フラゥンを弁護し、同行を自ら志願したことを話すと、少女は小さな悲鳴をあげた。小洞に突き落とされる時よりも、彼女の顔は恐怖で真っ青になった。暗いのでナユにはわ からなかったが。
 「いけません―いけないわ!!すぐ、すぐ―」
 フラゥンは言いかけて口ごもった。何日もここに閉じ込められていたので、ここから外部―丘の上と連絡を取る手段などまったくないのをわかっていたからだ。入ってきたらせん状の 入り口は、丘の上から操作する仕掛けがあるらしく、岩で閉じられていた。食料は、同様の仕掛けを小規模にしたもので送られてくる。ごく小さな水路が床の岩盤の小さな穴から穴 へ流れていて、囚人が咽喉をうるおしたり、食物の残滓を流せるようになっていた。いったんこの中に入れられたら、外部と接触する機会はまったくない。ナユが今、気が変わったか ら出してくれといくら叫んでも、もう何人にも届くことはないのだ。
 それに聞き耳をたてるのは、下で待ち構えているガゥーズだけだ。
 フラゥンの目から喜びの光がかげりはじめ、大粒の涙が代わってあふれだした。
 「ごめんなさい・・・私のために・・・。
 お父様が・・・。」
 「君は罠にかけられたんだ。あのドゥグマ・ゲンにね。すべて、わかっているよ。」
 「ドゥグマ大臣?!」
 フラゥンは何も知らない。わかっているのは、自分は犯人ではないということだけだ。そのたった一つの主張さえ認められなかった。
 「パディ王を殺し、君に罪をなすりつければ王の後継者はいなくなる。そして、
 ・・・兄貴もあいつの罠のために瀕死の重傷を負ってしまった。」
 「聖イラムが・・・??」
 フラゥンは過去にイラムに会っている。恋人の兄だし、養父は大の崇拝者だ。彼女の声には、まるで神様がケガをしたの?というような響きがあった。
 ナユは、かいつまんで今までの経由を話した。話しベタの彼の早口の話を、フラゥンは黙って聴いた。
 「オレ達は―生きのびなくちゃならないんだ。わかるだろう?希望を捨てちゃおしまいなんだ。」
 「ええ。」
 フラゥンはこくりとうなづいた。
 その時、奇妙な震えが小洞全体に走った。ナユはフラゥンの腕をぎゅっとつかんだ。石牢の一角の石組みが後退し、暗い通路が開いた。
 「ここから出ろということだな。」
 再び前とは異なる揺れとぶれが始まった。前よりはるかに激しい。
 「上のやつらが言ってた、早く出ないとこの部屋で押しつぶされてしまうぞ!」
 ナユはフラゥンを抱きかかえるようにして、新しく口をあけた闇の中に飛び込んだ。


 「始まったぞ!!」
 ガゥーズの洞の外、窪地の斜面にひしめき合う群集はどよめきたった。
 合図の鐘の音が響くと、まるでそれがガゥーズ自身の咆哮でもあるかのように、悲鳴を上げる群集も少なくなかった。審判開始の合図に興奮した人々の一角が前方に早々と詰め より、何人かが下のアリーナに転げ落ちたため、大騒ぎになった。
 実際、審判が始まったといっても、外からはいっさい中の様子はわからない。結果のみを待ち構えている状態だ。
 七年もの間、ガゥーズの審判は行なわれていない。
 この刑は、アンティオ国が平和な時、王家が安泰の時は、めったに行なわれない。
 前々王のバータ王の治世下では、なによりも国王の強い猜疑心が元凶となり、この刑は珍しくなかった。“王家に対する危害”が、この刑の第一対象となっているからだ。
 特に悪質な尊属殺人、国をゆるがすような凶悪犯罪も対象にはなるが、一般人の場合、ほとんどがガゥーズと対決するよりは、罪を認めて普通の死刑を選ぶ。
 前王パディ王は穏健で、融通のきかぬ保守性はあったものの、道を踏み外すこともなく堅実な路線を歩む人間で、変革を好む人間には物足りなかろうが、アンティオはその分無難 に年月を送っていた。
 この審判が終われば新しい国王が決まる。
 伯父バーダ王が自らの保身のため近親者をやたら粛清したことにより、現在のアンティオ王朝の直系の血をひく者は激減した。直系の王族のあかしである“シムルグ”の名を名乗 れる者は、今や“シムルグ兄弟”と称されるイラムとナユ二人だけなのである。
 そのイラムは七年前王位を辞退し、王位継承権も放棄した。(即位は15才以上と定められているため、ナユは当時対象外だった。数年後に彼も兄同様、王位継承権を放棄宣言す る。)
 現在その生死すら微妙なシムルグ兄弟を除くと、王族といっても遠縁で決め手を欠く。誰が名乗りを上げても不自然でない空気は、タルスム中に浸透していた。
 だが、誰かが王位につくのだ。この審判が終わったら。
 想像力をのみかきたてられる時間の中で、人々はその気配を察し、酔っていた。

 「本当に戦いがはじまった・・・。」
 前飾りのついたターバンを巻いたエキゾチックな装いの若い商人が人垣の中でつぶやいた。ベールやショールをふんだんに身にまとっているため、若いということしかわからない。
 大勢の人々の発する興奮した気の渦は、精神感応者のすぐれた感知能力をかなりスポイルしてしまっているが、僧グリュミは感じ取ることができた。
 始まったのだ。


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