The Sword of Truth  10


 タルスムの街はたとえ下町でも、そこに住む人々の生活意識の高さを表すように、手入れの行き届いた美しいところだ。夜はごったがえす盛り場さえ、翌日陽が高くなれば、ゴミは 掃き清められ、水がまかれ、荒廃感が持続することなく、次の夜を迎える。
 しかし、郊外のこの丘陵地の一角だけは、荒れ放題になっていた。ふだんは誰一人、あたりに近寄らない。
 草が生い茂ったところと、赤土や砂がむき出しのところと。建物は周囲に見当たらない。丘は半面が切りたおした崖になっていて、中央に黒々とした洞窟が大きな口を開けていた。
 洞窟の入り口の外は浅い窪地になっていて、縁にあたるところに、高い頑丈な石組みの城壁がぐるりとめぐらしてある。
 ここが、アンティオの暗黒面の集積地ともいえる、ガゥーズの住まう“真実の洞”であった。
 ガゥーズには幸い、つばさがない。そして、薄暗い洞窟内で子供の頃から飼育されてきたこの聖獣は、直射日光に弱い。そのため、刑は必ず昼間の明るい時に行われる。
 幼獣の時に巧みにしこまれた条件反射によって、窪地に続く高い塀を乗り越えようとはしない―ことになっている。とはいえ見物人たちは、厚い城壁の上からでも、かなりのスリルを 感じることになるだろう。その気になれば、ガゥーズは、この城壁を軽くぶち壊すくらいの力の持ち主なのだから。
 外からは、洞窟内部の様子は見えない。洞は入り口のすぐ先で折れ曲った形になり、その奥に天井の高い大洞窟が拡がっている。実際の処刑場はそこだ。
 “審判”が始まり、一定時間が過ぎると、この刑のためだけに作られた“審判のラッパ”が高々と鳴り響く。ガゥーズはこの音に反応するよう、しこまれているので、犠牲者の血で染 まったまま外に飛び出してくるというわけだ。それで、刑が終わった確認がなされる。
 実際は、審判はあっという間に終わってしまい、条件化されたガゥーズが、自発的にすぐ現れるのが常だった。
 あくまで体裁は“真実を証明するために、ガゥーズと対決する”となっているので、刑を受ける人間が敗れる=殺されるところは見せない。刑を受ける人間が位の高い貴族の場合、 これは為政者側には好都合だった。
 真実の勝者のみが現れる。
 そして、今だ勝者側に人間は存在しない。


 すでに城壁とそれに続く傾斜面は、人でおおわれていた。ふだんは立ち入り禁止なのだが、この日は開放される。
 窪地の周囲の城壁は高く、万が一罪人がガゥーズを振り切って洞窟の外に逃げおおせたとしても、そのままでは、あとを追ってくるガゥーズから逃れることはできない。直射日光に 弱いといっても致死的ではないのだから。もっとも、過去にそういうケースはない。
 殺戮そのものは、見えぬ洞の奥で済んでしまうのだが―伝説の魔獣ガゥーズを、安全に目にすることのできる唯一の機会である。従来ならこれは、民衆にとって、ちょっとしたイベ ントであった。
 しかし今回は、この刑始まって以来の異様な状況が付随していた。
 王位継承者、聖イラムの弟、(そして、イラムがうわさのようにすでに死去していたとしたら、血縁からいえば、まさしく第一王位継承権者の)ナユ・シムルグが、罪人と運命をともにす るというのである。
 罪人だけなら、(たとえ、それが16才の少女であろうとも)人々は血塗られた魔獣の姿に恐怖を感じはするだろうが、極悪人の破滅を祝って、歓声をあげて満足するだろう。
 ガゥーズの審判、に同行する者は、めったにあらわれない。長老院の決定は、一般人にとっては絶対的裁定である。たとえ衆人環視の下で殺人をおかしたとしても、「オレがやった んじゃない」と言い続ける犯罪者は少なくない。この刑を宣告されること自体が、アンティオ国民にとって、もっとも忌まわしい犯罪なのだ。
 同行者が洞に入るのは刑直前と定められているので、文字通り「死にに行くだけ」となる。親と子、恋人、親友同士であっても、語らう時間さえない。短い―ほんの短い死をともにす るだけだ。それに、同行者のそもそもの名目は、「罪人の主張に同調する」、つまり長老院の決定を認めぬということ、罪人と同じ罪をかぶる、ということである。
 そして、なんといっても―
 ガゥーズそのものへの恐怖がある。どんな最強の戦士でさえすくみあがるという、幻の狂獣。
 一度でも処刑見物に行って、一目でも見たことのあるものなら、それによって与えられる死のことを考えるだけで身震いがするだろう。
 かくて、もともとそう頻繁にあるわけでもない「ガゥーズの審判」に同行者が加わったのは、70年ぶりのことだった。

 タルスムの全住民がそっくり移動してきたのではないかと、錯覚しそうになるくらいの人が、集まりつつある。
 あまり人がつめ寄せると、将棋倒しの事故がおきて、城壁から下に落ちる者が出かねない。警護用の剣を持った役人が、整理にあたっている姿があちこちに見かけられた。
 「いつ・・いつ、始まるんだ?」
 「審判の鐘が鳴らされた時だそうだ。」
 「ナユ様は、どこにいるんだ?」
 「あの丘の向こう側に、洞窟に上から入る入り口があるらしい。そこにもう、行かれたはずだよ。」
 「・・・あれは、ドゥグマ大臣、だろう?ほら、あそこに、ぐるりと衛兵に取り囲まれて、立っている―」
 「ドゥグマ大臣が、なぜガゥーズの審判に立ち会うのかね。」
 「ナユ様が同行したからだろう。聖イラムがうわさ通り本当に―お亡くなりになっていて、そしてナユ様まで、その、亡くなられたら、王家の直系の血は絶えてしまう。きっと最後まで止 めたんだろうな。」
 つめかけた人々だが、基本的に処刑が終わるまでなにも見えないわけだし、混雑で身動きもままならぬということで、好き勝手なおしゃべりで時間つぶしをしていた。
 「次の王様は、誰になるんだろう?」
 「この刑のあと、発表されるだろう。しかしなあ、こうなると、誰がなるのかまるでわからぬわ。我々が知っている御方は、みな、その・・・。」
 「あそこにいる大臣が、名乗りをあげるって話を聞いたぜ。」
 「イラム様さえ、あんなことにならなきゃなあ。」
 充分すぎる、何重もの警備陣に守られ、ドゥグマ・ゲン大臣が悠然と立っていた。参謀のモホラも傍にひかえている。
 「ずいぶんと集まってきたな。」
 「タルスムの市街は空っぽです。歴史的な人出ですよ。」
 二人は下方の荒れはてた窪地のアリーナを見、弓状に拡がる斜面を埋めつくした人の波を指さしながら、ひそひそと会話していた。
 「薄気味悪いところだな。」
 「しばらくのご辛抱を。処刑が終わるまでです。そう長くはかかりませんよ。」
 ドゥグマ大臣は、大臣の本来の正装ではなく、装飾には控えめであった前王をはるかにしのぐ、絢爛豪華な衣装を着ていた。大粒のまばゆい色とりどりの宝石と、ふんだんに使わ れた素晴らしい金糸銀糸が、陽光にきらめいている。猛禽類を思わせるするどい顔も、威厳に満ちあふれていた。他にこれといって見るものがないため、集まった大衆の目は自然 と、その目立つ姿に注がれていく。
 「もう、新しい王様が発表になったのかい?」
 今や王宮を牛耳りその野心は知れ渡っている男だが、長い間陰の大物で通してきたため、一般大衆にはまだその存在が浸透していない。だがあの服装を見れば、さっしのいい者 は、大臣がただ処刑見物に来たのではないことを覚るだろう。その豪華でものものしい装いは、あと王冠さえ頭上にいただけば、大臣を即時に一国の主となすものだった。
 「わしが出ておる間に、王宮で何事かない、だろうな。」
 それは何度となく大臣自らの手で練り直され、今さら念を押すこともなかったのだが。
 「まったくご心配には及びませんよ。・・・それより殿下、段取りの方をお忘れなく。」
 モホラは口をすぼめてニヤりと笑った。ギョッとする顔になったが大臣の眉は少しも上がらなかった。
 「わかっておる。」
 声は本当に小さかったが、力がこもっていた。
 「処刑が終了すると同時に、わしは声明を読み上げる。王位宣言を、な。すばらしいものだぞ。これを聴けば、誰も、わしが次期王にふさわしいと感服するだろう。」
 ドゥグマ大臣の演説のうまさには定評があった。論敵に口をはさませぬなめらかさで、彼は今の地位を築いたのだ。
 「そして殿下は、ここに集まった者ども全員に歓呼の声で取り囲まれながら、王宮に凱旋するのです。
 今この刑場は、我々があおったこともあって、市民の大半が外の方まで取り巻いている状態です。その中での王位宣言は、重要な意味を持つ。王宮で王位宣言を出すより、ここで 先に、民衆によって既成事実を作り上げてしまうのです。連中は今度の件の内情を知りませんから、こっちの扇動ひとつで、幾らでも好きに動かせます。」
 参謀は、万事計算通り進行しているイベントを、満足そうに見やった。
 「帰るときは、王として帰城されるのです!」
 「王位宣言に対抗しそうな王族は、とうに王宮から遠ざけてある。城内に残った少数の反対派も、わしが民衆を引き連れ、王として凱旋してきたら、手も足も出まい。」
 大臣は気持ちよさそうに、ほくそ笑んだ。
 「病死や事故死と違って、王が“殺された”場合は、王の死が“血の代価”によって償われてから、次の王を発表することになっております。
 国王不在の不安定な期間をできるだけ少なくするため、逆に、犯人がはっきりしている時は、処刑までの期間が非常に早められます―我々はこの慣例を最大限に利用しました。」
 「そうだったな。」
 「イラムの様態がはっきりしないのが唯一の気がかりですが・・・ま、まだ生きていても、殿下の王位継承を邪魔できない状態にあるのだけは確かです。」
 「王になったあとで、な。そのうち・・・。」
 イラムの名前が出てきても、大臣のご機嫌はくずれなかった。火事の時のイラムの無残なあり様は、目撃者の口を通してつかんでいる。その後はいかなる手段を講じても、入り込 むことすら不可能になってしまったが、当分身動きできないのは確かであった。僧院が、イラムの安全をはかって生死をはっきりさせず、口を閉ざしているのが好都合だった。
 ナユの死後王位宣言を出せば、まっさきに対抗馬として上がってくる人物だ。大臣は莫大な金と人を動員して、「聖イラムは火傷がもとで、まもなく息をひきとった。」という触れ込み を国中にばらまき続けた。それはかなり成功したといっていい。
 だからここで大衆を前に、王位宣言できるのだ。
 もしモホラの罠にかかって火だるまにならなかったら、たとえ本人が瞑想園で惰眠をむさぼっていようと、バカで愚かな大衆は、目の前の大臣の名より先にあの男の名を叫びかね ない。
 腹がたつことだ。だが、もう少しですべてが我がものだ。
 「早く、処刑が終わらぬものか。」
 すでに権勢をほしいままにしているこの身に、唯一足りぬもの―アンティオの王冠を加えたいものだと、ドゥグマ・ゲンは、じれながら待った。


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