The Sword of Truth 


 僧院の敷地は広大だ。もっとも、敷地だけは、と言い直したほうがいいかもしれない。
 農園や牧場の中に、堅実で実用的な建物が散らばっている。そのため、中心部にそびえる大聖堂がひときわ目につく。アンティオ国に現存するもっとも古い建築物と言われてお り、きわめて堅牢に作られていた。
 大火傷を負い、この大聖堂に運び込まれて以来、聖イラムを目にした者は、ほとんどいない。ふだんは(瞑想月中の瞑想園を除いて)開放的な僧院なのだが、大聖堂の扉は堅く閉 ざされたままで、詰めかける大勢の信者達の不安感をつのっていた。

 「ピピト殿。」
 高僧の1人ピピトが、廊下で、まだ子供のような少年僧に呼びとめられた。
 「外の様子はどうだ?」
 壮年の僧は、白い髪を軽く紐で束ねていた。アンティオの僧は剃髪しない。ただ髪に対する装飾をひかえるだけだ。仕事(奉仕活動)の邪魔にならないよう短くショートカットにしてい るか、うしろで束ねている。イラムを例外として。
 「イラム殿がすでに亡くなっているという疑念がずいぶんとみなの間で高まっているようです。我々があいまいな返事しか与えておりませんから・・・。」
 「仕方あるまい。昨日も熱烈なイラム崇拝者を装った何者かが、大聖堂に侵入しようとした。グリュミ殿が感知し取りおさえた。イラム殿に一目会いたいと言い張るので、聖ヒジャイン の指示通り用意した部屋に通したら、いきなり隠し持ってた刀子を取り出し、寝台に飛びかかりおった。」
 「なんと。」
 「わしが代わりにシーツをかぶっておったわけだ。」
 僧ピピトはクスクス笑った。僧というより武闘家と見るほうがはるかにふさわしい筋骨隆々とした大男だ。
 「どこの者でした。」
 「まだわからん。毒を飲もうとしたので、あごをはずしてやったのだが、なにしろとっさのことゆえ手加減が難しい。しゃべれるようになるまで少々かかろう。」
 「生きて捕らえたなら、暗殺を命じた者の名もいずれわかりましょう。」
 「どうかな。なにしろ向こうは用心深いようだから・・・。」
 二人は静かな通路を並んで歩いた。ふだんなら多くの人々で行き交う回廊も人気がない。
 「心配してくれる信者の方々には気の毒だが―暗殺者の様子からして、大聖堂内の動向がわからず、あせっているようだ。警護がうまくいっている、ということかな。」
 ピピトは太い握りこぶしを振った。少年僧の倍はありそうな筋肉のついた腕だ。
 「グリュミ殿は瞑想中でしたね。」
 少年僧が言った。
 「瞑想中の者の中で覚醒可能な者が幾人か、聖ヒジャイン殿の命によって召喚されたからな。」
 「・・・僧院始まって以来のことじゃありませんか?」
 「最近は、な。まァ、わしは瞑想が必要な精神感応者じゃないが、むりに“瞑想月”に絶対瞑想しなくちゃならんというものでもなかろう。規律を守るだけが僧のつとめではあるまい。」
 二人は彫刻を一面にほどこしたぶ厚い木の扉の前に立った。
 「ピピトです。」
 「アウダットです。」
 二人が大声で言うと、扉が内側から開いた。
 「おはいり。」
 薬草と香のかおりが漂う室内にいたのは、聖ヒジャインと、初老の異国的な、沈んだ肌色の僧と、黒髪を切りつめた若い僧だった。寝台の上に、あともう1人居る。
 「グリュミ殿。ピピト殿から聞きました。大変なことだったようで・・・。」
 少年僧は、黒髪のほっそりした若い僧に言った。若い僧はピピトに軽く会釈した。
 「ピピト殿こそ、ごくろうさまでした。」
 「なんの。しかし油断なりませんな。面会謝絶しても、ああですから。」
 初老の男が寝台にかがみこんだ。手をかざす。若い頃がしのばれる整った顔立ちだが、アンティオ生まれでないことが一目でわかる。
 「うまくいきそうか。」
 初老の僧はすぐ答えず、しばらく両手で空気をまさぐるように動かしていた。
 「こればかりは・・・やってみなければ―。」
 「そうか。」
 聖ヒジャインは、入ってきた二人に椅子をすすめたが、二人とも立ったままだった。大僧正の方が、はるかに椅子が必要な様にみえる。
 「イラム殿は?」
 「見てのとおりだ。ねむっておる。」
 イラムは、運び込まれた直後に比べると外傷はいくらか落ち着いたようだが、足のほうはあいかわらず焼死体のようだ。回復しても、自分の足で再び歩けるかどうか。可能だとして も、それには長い年月がかかりそうにみえる、まだそんな状態だった。
 少年僧は、彼のここでの役割である、薬草の湿布のはりかえを用心深くはじめた。
 その間、高僧達は話を続けた。
 「弟が面会に来た時、いきなり深睡眠から立ち上がってな。・・・いつも、これには驚かされる。
 私ひとりでは心もとないので、瞑想中のグリュミ殿や、ダ・ガバラ殿に無理をしていただいた。」
 「とんでもない。」
 初老の男はかすかに微笑んだ。
 黒い短髪の僧が、鋭い口調で聖ヒジャインに向かって話し始める。
 「イラム殿は、きわめてすぐれた精神感応力者です。そして、アンティオの国王として、もっともふさわしい方。
 前例がないとはいえ、それだけで否定はできません。今回の謀略で、もしドゥグマ大臣がこの国の王となったとしたら、彼は次に僧院の弾圧を始めるでしょう。必ず。
 こうなったからには、イラム殿に王位についてもらうしかないのでは?」
 だが、大僧正は首を振った。
 「そなた達―外にいる信者達も―そういう気持ちはよくわかるが、この男ほど王にむいていない男はおらぬよ。」
 「なぜです?」
 思わず、イラムの看護にせいをだしていた少年僧が手をとめて言った。
 いくぶん腫れはひいたとはいえいえ、むごたらしい火傷を全身にうけた愛弟子を、いとおしげに、少し悲しげに大僧正はみつめた。
 「イラムもそのことは十分承知している。だからこそ僧侶の道を選んだ。国王として生きていくには、これはやさしすぎる―弱すぎるのだ。
 人の痛みを感じすぎる者は、決して王者向きではないのだよ。」
 「民の苦しみや悲しみがわかる統治者こそ、すぐれているのではありませんか?」
 黒髪の若い僧、グリュミが問うた。
 「わかりすぎるのも、統治者としては難だよ。・・・当人にとってはな。」
 「以前イラムが私に言ったことがある。統治する者は、どれだけ善政をしいたとしても、時として、どうしても汚いこと、むごいことを他人に強いざるをえない―国を維持するには、どう してもそれが必要なのだから。その罪を心に刻みつつ、自らを見失わないで進むのがよき国王であると。
 だが自分は、それをやろうとするだけの勇気のない、弱い人間だとな。」
 「・・・・・。」
 「精神感応者でなければなあ。」
 ピピトがぼやくように言った。
 「国王ともなれば、他国が攻め寄せてくれば防戦だけでもしなけりゃならんし、法にそむく者あれば裁いて、時には極刑に処さねばならん。
 国をつかさどるには、確かにきれいごとだけ言ってられませんからな。」
 かっては著名な闘士であり、王宮の要職に就いてもいた僧ピピトの発言は重みがあった。僧グリュミは口を閉じた。
 「今回だって、人助けでひん死の重傷を負い、火事の原因が自分にあるといって自分を責めて、あやうく精神崩壊の憂き目にあうところだった。弟を助けてやれなくなったと、これま た自分を責めてはいるが、弟を案じる思いは、逆に致命的な精神混濁から、兄を救ったようだ・・・。
 まったく―困った男だよ。」
 ヒジャイン大僧正の声は親身のやさしさにあふれたものだったので、誰も反論しなかった。
 アウダットがイラムの手当てを終えてしりぞいた。
 「ガゥーズの処刑日は、明日に迫っている。」
 「ナユ・シムルグはついに決心を変えませんでしたね。」
 「弟の方が、芯は強い、のだ。」
 異国出身の僧ダ・ガバラは、ぼそりと言った。
 「レオファーンの剣を持たせたそうだが、それでもガゥーズに勝つ可能性は低い。ゼロとはいえないまでも。」
 ピピトはがっしりとした顔面の中央に大きくしわをよせた。
 「未知数といったらきこえはいいがね。ナユ・シムルグはいい剣士だが―聖剣士モゥリーンだって、生まれた時から無敵だったわけじゃないからな。希望は捨てちゃいかん・・だが、  ナユがガゥーズの洞を生きて出てくる可能性はきわめて低いと覚悟しなけりゃならん。
希望は持ちたいが・・・。」
 僧グリュミは、放蕩息子のような派手な外見をしているが、正義感の強い、すぐれた精神感応者である。彼は周囲の気の流れ―気配を感じることにおいては、僧院一であった。
 「処刑が終わった直後に、ドゥグマ・ゲンは、王位への名乗りを上げる、その手はずをととのえています。
 ドゥグマが王になることだけは、絶対阻止しなければなりません。どんな最悪のケーズでも。」
 少年僧アウダットに、何人かの僧を、さらに呼んでくるように指示する。
 「わしは?」
 「ピピト殿にはここに控えていていただきたい。大聖堂の中とて安心できないのが現状です。
 これから我々が試みようとしている施術には、大変な集中力を必要とします。精神感応者はその場合まったく無防備になります。あなたが傍に居てくださると、どれだけ心強いこと か。」
 ダ・ガバラは、荒法師のような大男にむかって、ていねいに礼をした。
 「そういう用ならおやすい御用だ。」
 「では、そろそろ始めるとしよう。我々には、あまり時間が残されておらぬのだ。」


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