The Sword of Truth 


 タルスムの市街は静まりかえっていた。
 人が逃げ去ったわけではない。人々は通りに大勢立っていた。
 王宮から出た行列が大通りをゆっくりと進んでゆく。重苦しい雰囲気の中。
 行列は市街を抜けて、これからガゥーズの洞のある“なげきの丘”に向かうところだった。儀礼的な足どりの、伝統的な礼服姿の執行官達の列が続く。「ガゥーズの刑」は罪人なら誰 でも、というわけではない。極刑中の極刑であるため、その処刑の手順もまた、物々しかった。
 しかも、今回は、この刑始まって以来の異例な出来事が付随していた。
 本来、凶悪犯罪者の処刑イベントならもっとさわがしい市民達が、押し殺したように静かなのも、行列の中にいる一人の人間のためだった。列が通りすぎると無数のささやきあう声 がもれるのだが、その声は低く、あたりの大気はいっそう沈うつさを増した。
 「・・・あの、馬に乗っていた黒髪の方がナユ・シムルグ様だよ。イラム様の弟御だ。」
 「本当にガゥーズの洞にはいられるんだねぇ・・・まだ、17だろ、お気の毒に。」
 「シムルグ王家は呪われているんだろうか。聖イラム様は本当に亡くなったのかい?」
 「王様を毒殺したフラゥンという娘と恋仲だったに違いないと孫が言ってたよ。」
 「いったいそのフラゥンって娘、何者なんだい。わたしゃ聞いたこともないよ。」
 「なんでも侍女からパディ王の養女になった―田舎娘だってさ。王様が男の養子を新しくむかえようとしたのを知って毒を盛ったって、この前うちに来た物売りが教えてくれてね。」
 ドゥグマ大臣は、タルスムの都に事件後たっぷり“うわさ”を流布させておいたから、市民は、このわかりやすい事件の説明をそのまま事実として受けとめるものが多かった。
 「おお、こわ。・・・でも、ナユ様も、そんな恐ろしい小娘のために一緒に死のうとなさるなんて―
 ・・・本当にその娘がやったのかい?」
 「し〜っ、大きな声ではいえないが、犯人は別にいるって話も・・・。」
 「めっそうもないこと・・・あぶないぞ!それに長老院の決定なさったことに間違いはあるまいよ。」
 「娘のほうは?」
 「罪人は審判の日より少し前に、先に洞に送られるのがならいさ。しかし、わしは前のガゥーズの刑の時を覚えているが、今回は罪人がいつ洞に送られたかわからなかったな。」
 実は、おとなしそうな16の少女を市民の目にさらせば、一方で必ず起こりうる同情の声をおさえるため、大臣はさきぶれさせず、厳重な警備をつけてそそくさと移送させたのだった。
 「聖イラム様の生死さえわからない・・・弟君はガゥーズの洞の中。いったいアンティオの次の王様は誰がなるんだい?」
 「それそれ、オレが思うところでは・・・。」
 と、民衆のヒソヒソ声の中には、ドゥグマ・ゲンが聞いたら血圧が上がりそうなささやきも混じりこんでいた。
 馬に乗って、(彼にしては)蒼白な顔のまま進んでゆくナユの、あまりの若さに人々は動揺していた。罪人のフラウンはさらにひとつ下の16なのだが、実物を見ていない彼らには実 感が乏しかった。
 “剣士の修行のために王位を蹴った”、剣士びいきの多いアンティオ国民には共感できる経歴を持つ、卵形のきっぱりした顔の美少年は、周囲に目線を動かす様子もなく、黙々と馬 にゆられていた。
 ナユ自身は罪人ではなく、しかも王族だ。彼の方が執行官達を引き連れているようにも見えた。
 「フラゥン・・・。」
 彼はつぶやいた。
 もうじき、彼女に会える。そう思うと、恐怖ではなく高揚感が心を満たしてくれるのだ。
 馬に乗った彼の腰に、大小の剣が一緒にゆれている。
 ひとつは聖布にくるまれたままのレオファーンの剣だ。
 彼は兄の忠告どおり、あらから剣をそのままにしている。むろん王族で罪びとでないとはいえ、王宮を出る前、ひととおりの身体のあらためは受けている。あまり切れのよさそうにな い装飾的な剣を、「守り刀だ。」と言うナユに、衛兵はかすかな憐憫をこめた目で一別しただけだった。
 ナユのスタイルも、ふだんとさしてかわりがない。紅い皮のバンドで豊かな髪を頭上に束ねた、おなじみの髪。袖なしの黒の上着と短いキュロットも、兄を訪ねた時と同じだ。
制限はあるが、剣が一振りか二振り、ある程度の防具〜よろいも認められている。それが処刑のなんらさまたげとなっていないことは、生存率0の実績が証明してくれていた。
 ふだん防具を身につけず、抜群の反射神経と俊敏さで勝負しているナユは、ここにきて下手に身を重くする装備をつけ動きのさまたげになってはと、剣をのぞく一切の防具をしりぞ けた。
 この前と違う血の色をした玉石が耳元に光っている。装いからだけみれば、あいかわらずのいつもの彼だった。ナユのライフスタイルないし戦闘フォームを存じている者でなけれ ば、すでに命を投げているかそれともガゥーズをなめているか、と思われたかもしれない。
 レパ王子の息子は、大きな瞳を下方ではなく前方にキッと向け、唇を時々かみしめている。しかし彼の心の目には、あたりの風景、通りに集まった人々は映っていなかった。
 フラゥンのやわらかな金色の髪と、マリンブルーの瞳。
 ままごとのようなプラトニックラブのまま、修行の旅に出はしたけれど、彼の心は一時も変わらなかったし、フラゥンも同じだと信じてる。
 フラゥンと知りあったのは、パディ王の養女になる前だった。まだ、田舎から、恩師の娘だということで呼び出されたばかりの頃だ。パディ王とは兄のイラムほど親しくなかったが、王 つきとはいえ一侍女を、今は剣士とはいえれっきとした王族の自分がもらいうけたいと申し出るに支障はあるまい、とたかをくくっていた。
 が、急に―子供のない王が、(パディ王は昔、出産で妻と子供を一緒に失って以来、再婚していなかった)お気に入りの侍女、フラゥンを養女にしてしまったのだ。
ナユは内心あわてた。フラゥンとの仲は極秘だった。早く言い出していれば・・・・。
 こうなると、フラゥンを妻に―自分の伴侶としてください、と簡単にはいえない。王の養女である以上、フラゥンは次期王位に、女王位につく資格がある。そして彼女が女王になれば、 その夫とは王冠を分けあうことになるのだ。
 かって王冠を頭上にいだくこともできたはずのナユは、血筋からいうなら、フラゥンの求婚者としては身分的にも最上位にある。
 が、彼は17才だった。かって1度、王冠を蹴った。王位なんか、と日常言い散らしてもいる。しかし、王の養女をもらうとなると、王位にそっぽをむいたままでいるわけにはいかない。 それはいくらなんでも、わかりきったことだった。
 パディ王はまじめで律儀―かたいくらいの男である。実子のない王は、恩師の娘フラゥンを実の娘のように可愛がっている。いかにナユが最高王族の1人でも、2人の仲を知った ら・・・許さぬことはないだろうが、そのままの状態はしておかぬだろう、決して。
 王位にはかかわりたくない・・・ただの剣士として生きたい・・・でも、本当にただの剣士だったら、王の養女を妻にすることはできない・・・。
 若者の潔癖さと恋の板ばさみのあげくに、彼は―修行の旅に出た。パディ王にフラゥンとの仲を認めてもらう―その前に、一人前の剣士として名を上げたかったのだ。王族としてで なく、1人の剣士として求婚したかった。
 パディ王の性格からして、2人の仲を認めるにしても、王は当然、ナユに剣士としてでなく、王族として王宮で暮らすように命じるはずである。シムルグ兄弟は、いい意味でも悪い意 味でもそろって「型破り」であるが、そういう生き方は、堅実なパディ王の好みではない。ただ王はイラムの熱烈な信奉者でもあったから、ナユの心の中に、いざとなったら兄に泣き ついて、兄から王に頼んでもらう、といった図式がなかったといったらウソになろう。
 だが。
 フラゥンは突如として、はなやかな王の娘としての座から転落した。
 辺境を彼が旅している時に。
 こんなことなら―旅立つ前に王に話しておくべきだった!
 ナユは幾度、歯がみしたことだろう。

 ナユは知らなかったが、王は彼が旅に出たその頃、フラゥンの花婿を探していた。
 彼女の血統の貧弱さをおぎなうため―この養子縁組はずいぶんと非難の声も高かったので―高貴の血の若者と組みあわせる必要があった。
 その「高貴の血の若者探し」を事件後、ドゥグマ・ゲンに逆手に取られるとは思ってもいなかったろうが・・・。
 申し分ない血統をもつシムルグ兄弟は、実は第一候補であった。年の近いナユを王は忘れていなかったが、あいにくナユは修行の旅の途中、行方不明の状態であったので、本人 の意向をきくことはできず、「保留」となっていた。
 運が悪かったとしか、言いようがない―ナユがあせらずとも、いずれ王自身から切り出していた縁組だったのだ。
 しかもナユがいない間、結婚の話がもとで、パディ王とフラゥンは、周囲の者が知るところとなる“大ゲンカ”をおこした。ケンカといっても、一方的に王がカンカンに腹を立てただけな のだが・・・。
 王が目星をつけた貴族の若者の1人について、フラゥンに問うたところ、彼女は養父の意向を知り、自分はもうすでに約束したひとがいるから、今結婚はできぬ―と、告げたのだ。
 ただ相手がナユであることは―本人が不在のため―彼女はどうしても言うことができなかった。というわけで、王はしばらく激怒していた。
 そしてそのあと、毒を盛られて王は亡くなった。フラゥンがナユのことを切り出せず、養父との仲がなんとなく気まずくなっていたちょうどその時に・・・。
 フラゥンは立場的にきわめて弱い存在だった。孤児同然の身の上、王宮の日あさく、そして唯一のうしろだてを失っている。“剣士の国”アンティオでは、剣をとって―剣以外でも、本 人自らが体を張っての「決闘」や「乱闘」で多量の血が失われた場合、しかるべき事情を持っていれば、かなり寛大といえた。国民感情として。そのかわり、毒殺だの謀殺だの、真っ向 からぶつかり合わない「犯罪」に対しては、きわめて手厳しい。
 フラゥン―身分の低い娘が、恩も忘れ、養父の王を毒殺―このセンセーショナルな事件は、本当に彼女が犯人なのかと疑うより、彼女に対する非難ばかりが先走りし、公正さを絶 対とする長老院のメンバーも例外ではなかった。
 ドゥグマの息がかかったものも、そうでないものも、彼女が犯人でないという証拠を何一つ―本人の口述以外に、手に入れることはできなかった。
 フラゥンですら犯人が誰か、知らないのだから。

 タルスムの街は、静けさの中に、ざわついたうごめきを孕んで、その日を迎えていた。


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