The Sword of Truth 


 それは長い間、待っていた。
 そのことが“彼”に与えられた唯一の仕事だというのに、もうずいぶん長い間、闇の中で待たされてきた。
 獲物。
 ひとつの生命体。
 “彼”の頭上に。それは“彼”の手に届かないところにいたが、別にあせりはしなかった。今までのように、もう少し時がたてば、向こうから―会いに来るはずだから。
 “彼”は、たてがみのように見える触手を闇の中にのばした。獲物の気を感じ取ろうとして。
 おびえと恐怖―それはなじみのものだった。
 しかし今度の獲物は、彼―ガゥーズが、生まれてこのかた味わったことのないような奇妙なシグナルを発していた。分厚い岩盤越しのため、薄ぼんやりと夢の輪郭のようにしかつか めなかったが、それは彼を少々いらだたせた。
 生まれてすぐ、幼獣の頃捕らえられ、この暗い洞窟の中で獲物をほふることだけを仕込まれてきた“彼”にとって、その獲物の発する“愛”というイメージはもっとも縁遠いものだっ た。何かわからない―しかし、何となく気にくわないもの、異質なもの。
 ガゥーズは低く唸って、巨大な前足の、鉄をも切り裂く硬い爪でねぐらの岩床をひっかいた。
 引き裂いてしまえば、同じことだ。
 本来高い知能を持つ聖獣だが、幼い頃から処刑機械として育て上げられ、今では原始的でおぼろげな―しかし強烈な殺戮本能のみが残っているにすぎない。
 洞の上層部では、フラゥンが、亡き実父母、養父、そして恋人のことを想っていた。


 宮殿は夜にはいっていた。
 国王の居住域は喪中―国王不在で堅く閉ざされているし、状況が状況だけに、大規模な夜会やイベントは中止されているので、もの寂しい静寂さが漂っていた。
 その中で大臣のドゥグマ・ゲンの城館は、国王の死からいっこうに人の出入りが収まったようにはみえない。たえず多くの宮廷人が出入りし、その動きだけみれば、主宮殿がドゥグ マ大臣の城館に移ったかのようだ。
 その大臣は人払いして、腹心のモホラと二人、国王用に献上された最上のワインの味を楽しんでいた。木像のように長身のモホラは、舐めるようにチビリヒビリ酒杯をすすってい る。大臣は上機嫌―この上なく上機嫌で、杯が次々あけられた。
 「二日酔いになりますよ。」
 モホラが親身でない声で言った。
 「お前は大した策士だよ、モホラ。聖者イラム様は虫の息だそうだ。全身大やけどで、あのいまいましい髪も焼けて、意識不明のままとか。お気の毒に。」
 今にも踊りだしそうなはずんだ声で大臣はもう一度「お気の毒に」を繰り返した。ナユ・シムルグが見ていなくて幸いだった。絶対、すべて忘れて切りかかっていただろうから。
 「殺せなかったのが、残念ですが。」
 と静かにかえすモホラも満足そうで、ひからびたウサギのような顔に笑みをうかべた。歯ぐきをむきだして笑う。醜い、しかしドゥグマ・ゲンの知恵袋として、もっとも狡猾な参謀であ る。
 「どうだろう、今のうちに―とどめをさしておく、というのは。」
 ニヤイヤしながら大臣は言う。タカのような顔も、今日はえびす顔だ。宝石をちりばめた豪華なガウンをまとい、極上のワインをのむ姿は、知らぬものが見たら新しい国王かと思っ てしまうだろう。
 モホラは少し首をひねった。
 「一応考えてはいますが、今は―難しいですね。さすがに僧院も、厳重な警備をしいてイラムを守っている・・・誰がしくんだのか、上の者はみな内心知っていることですからね。
 密偵も、あの火事のあとでは大聖堂に入り込むことができないんです。しかし生きているとはいえ、当分は寝たきりで身動きできないんだから、あなたが王位につくのを邪魔する心 配はありませんよ。」
 「また、あの弟が見舞ったらしいが。」
 「なすすべもなく、泣きながら出ていったとか。ほっときました。どうせすぐ、ガゥーズのエサになるんだから。」
 「あの悪ガキめ、兄の後ろだてさえなくなれば、もう幾らでもほえさせておけ。これで兄弟そろって片が付いたというわけだ。」
 まだ過去形には、なってませんが、ね―と、参謀は醜すぎて?かえって表情の読み取りにくい、ひからびた顔をちょっとしかめた。彼はきわめて優秀な参謀だったので、あるじほど 手放しでハイにはなっていなかった。
 人前では表情としぐさのコントロールがいきとどいたドゥグマ大臣が、内心をすべてさらけだせる唯一の男モホラは、大臣のはしゃぎぶりを尻目にせっせと資料に目を通し、ちびちび とワインをすすり続けた。
 大臣も、酔いがかなり回ってきたとはいえ、辣腕家として知られる男であり、その点はおこたりない。
 「イラムの事故について―どういう反応をしめしている?宮廷は?僧院は?タルスムの民の反応は?」
 「宮廷のほうは・・・真相を知っていようといまいと、問題ないほど掌握していますから。
 不穏な気配をしめす者はむしろ、これを機にたたきつぶす構えでいます。
 パディ王と同クラスの血縁の王族はすでに地方に大半追いやってありますが、老フレッド公、ペアレス剣聖伯など、警戒すべき諸侯は残っている。彼らは陛下がフラゥンの処刑後、 次期国王の名乗りをあげたら断固として反対することでしょう。
 彼らを抑え込むのは、フラゥンを犯人に仕立て上げるのより、はるかにやっかいです。」
 「ペアレス伯の周囲はよくおさえておかないと、な。聖剣士でもあるあの男は、ナユがガゥーズの洞にはいることになってから、ひどくシムルグ兄弟に同情的になって、わしにたてつく ようになった。剣士どもを扇動されるとめんどうなことになる。
 いくつか手はうってある。老フレッド―あのじいさんは大丈夫だ。娘婿と孫娘をおさえてある。あのガンコじじいが何かしでかすような時は、それがものを言うさ。」
 「あいかわらず、そつがない。」
 参謀は笑った。
 「フラゥンが身寄りのない、身分の低い郷士の娘だったので助かった。これが名ある王族の娘であってみろ―いくら証拠がためを万全にしていても、血族の有力者がだまっていな い。ずっと時間がかかったはずだ。
 内気でおとなしくて奥にひっこんだままでいてくれたおかげで、あの娘のことは、ほとんどのものが知らぬ。知らぬものを弁護しようもない。ペアレス伯でさえ、わしがフラゥンをあや つって毒殺させたのだと思っている。」
 「あの弟は、知ってたようですが。」
 「フフン。“そんなことをしそうもない”“おとなしそうな”―か。人殺しの犯人が意外な人物だった時、いつも使われる言葉だ。
 パディ王がひそかに若い貴族の子息を臣下に命じて調べさせていたのは事実だ。養女のフラゥンはお払い箱になるのではないかと不安になり、風邪気味で休んでいた養父に、毒 の薬湯をのませて殺した。
 まったく―ごく自然なことじゃないか?」
 「ごく、自然にね。」
 参謀はかわいた咳払いをした。ミイラが笑ったような笑みをうかべる。
 「本当にあの娘がやったなら、あんなに自分がやったという証拠をそこら中にばらまいたままにしておかないでしょうねぇ。」
 「―フラゥンのことは、もうよい。死んだも同然の人間だ。もう二度と日の目を見ることはないのだからな。」
 「民衆はかなり動揺しています。皮肉なことに、聖イラムが意識不明の重態になったことが彼らにとってあまりに衝撃的だったため―フラゥンの処刑がすっかりかすんでしまいまし た。
 16の娘が王父殺しでガゥーズの刑を受けるより、聖イラムの安否の方が、彼らにとっては関心事なんですね。・・・いいんだか、悪いんだか。」
 大臣は自慢の口ひげを2,3回ひっぱった。
 「イラムに同情が集まっているというわけだな。このまま再起不能になってくれるといいが、先のことも考えておかねばな。
 ・・・すると、ナユにも?」
 「一般大衆は、フラゥンよりも、聖イラムの弟で最高王族のナユ・シムルグが同行を希望したことに、はるかに同情的です。イラム死亡説もとびかう中、シムルグ兄弟の悲劇は― まったく、センセーショナルですからね。」
 「まぁ、食い殺されてしまえばそれで終わりだ。」
 彼らは、相手がガゥーグズの洞から生きて出る可能性は考えていないようだった。―むりも、ないが。
 「やはりイラムか―それと、僧院だ。」
 ドゥグマ大臣はおもしろくなさそうに言った。宮廷ではいまや国王同然で、宮廷人にはそれに等しい扱いをうけても、民全体の知名度は本人の望むほどには、まだない。
 アンティオの僧院は、宗教といっても、かたちのない、自然そのものをあるがままに受けいれる―宗教というよりは、一大奉仕団体に近い特異な集団である。特定の“御神体”を持 たない。
 そのためか、“聖者”がしばし、偶像を欲しがりたがる民にとっては信仰の対象となった。
 「今回の件で、僧院はかなり強硬になっています。放火犯人が死体とはいえ、捕まったのが痛かった・・・逃げおおせていれば、放火の疑いがもたれたとしても、あくまで憶測にすぎ ませんから。
 子供がたくさん、死にましたからね。」
 それを演出した張本人は、他人事の顔であるじに報告した。
 「どうでもよい孤児ばかりなのにな。」
 「イラムと僧院に同情が集中するのは好ましくない―とはいえ、今、僧院そのものに手出しするのは、さっきも言ったように危険をともないます。とにかく処刑がすむまで・・・すむのを 待つのです。死体を生き返らせることは誰も出来ない。今はナユもフラゥンも、まだ生きているのです。
 それを、お忘れなく。」
 「ウム・・・。とりあえずは宮廷内部だけだな。それ以外は処刑が終わってからゆっくりと、してやる。ゆっくり、じっくりとな。」
 「処刑後の手はずをよく考えておいて下さい。私は裏の準備はできますが、表の采配をふるうことは出来ませんから。」
 ほんのり赤みが増したしわの中の唇をゆがめ、陰惨な輝きをおびた目で、モホラは扉に浮き彫りにされた大臣家の紋章を見つめていた。
 黒いちぢれた髪の大臣は、空になった水晶の杯をもてあそびながら、きっぱりと言った。
「処刑は100%確実に執行される。そしてわしは100%、このアンティオ国の新しい国王になるのだ。
 パディ王は、王家と何の縁もない小娘を自分の後継ぎにしようとしたのだぞ。
 このわし、ドゥグマ・ゲンが、ふさらしくないと言える者がいるのか?」
 「その通りです、陛下。」


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