The Sword of Truth 


 「まさか。」
 高僧がうめいた。周囲の僧や薬師達が硬直する。
 「信じられぬ・・・!目を覚ますとは!」
 「イラム様!?」
 まぶたがうっすら開いた。淡い青の瞳。
 「イラム兄貴!!」
 ナユは思わず兄に抱きつき、湿布ごしにも火のように熱い、赤肌の熱を感じとった。爪のはがれた指がふるえながら動き、かかみこんだ弟の肩、そして顔にふれた。血のにじんだ唇 が動いた。
 「・・・お前のいうとおり・・・不精せずあの時、ほんとうの瞳で見ておけばよかった。
 本当に役に立たなくなってしまったようだ・・・。」
 「兄貴・・・。」
 超常感覚器である髪を大半失い、さらに肉眼の視力も、火事によって失われてしまったらしい。イラムの弱々しい指先は、弟のりんかくをなぞった。
「兄貴、オレのせいだ、オレがあんなこと頼むから、こんなことに・・・。」
 弟の黒い瞳から再び涙があふれつづけた。兄の顔にしたたり落ちる。
 「すまない・・ナユ。こんなことになって・・・。」
 イラムは一言一言いうのも苦しそうだ。熱風で口腔も気管もやられている。唇のはしに、血のあわが少しづつ、たまってゆく。
 部屋の中の人々の動揺を、大僧正は押し止めた。今、しゃべるのがどれだけ苦しいかわかってはいても、イラムは大僧正の封印を破ってまで、みずからの意思で起きようとしたの だ。
 邪魔してはならない。いまは。
「 すまないって??」
 自分の台詞を相手にとられ、ナユはとまどった。
 「お前のために―何ひとつできなくなってしまった。もっと気をつけるべきだったのに・・あの者達にとって、邪魔者を消すためだったら―無垢な子供たちを巻き添えにすることなど何 でもないことなのだと・・・。自分1人火の粉を払っていればいいと思い、そのために・・・あの子たちは・・・。」
 イラムの顔がゆがんだ。それは弟が初めて見る兄の顔だった。ナユは恐怖に近い思いを感じた。腕白な弟と、いつも落ち着いてそつのない兄。親をはやく失った彼にとって、5つの 年の差しかなくとも、兄は親代わりであり、決してゆらぐことのない大樹だった。いつも柔和な笑みで人々に接していたし、弟と二人きりの自然な状態でもそれは同じだった。時に弟 がかんしゃくを起こすほど、おっとりして―感情を荒立てなかった。
 兄のこれほど苦しそうな顔は見たことがなかった。ヒジャイン大僧正が言っていた“心の傷”の深刻さが、ナユにものみこめた。
 焼け死ぬ子供たちの断末魔の苦しみ、自分を呼ぶ叫びを心いっぱいに受けた衝撃は、繊細なイラムに致命的なダメージを負わせたのだ。みえぬ目から涙があふれ出た。
 「兄貴、兄貴、しっかりしてくれ!・・・兄貴にこれ以上なにかあったらオレは・・・!!」
 ナユは兄の手を、触れれば砕けるガラス細工をあつかうようにして、そっと取った。
 弟の声に、魂の苦痛にあえいでいた兄は、記憶という名の煉獄から引き戻されたようだ。
 再びイラムは話しはじめた。
 「・・・なんとかして―非常召集をかけてでも、長老院に刑の延期をさせようとしていたのだけど・・・もう、お前が戦うしかない。
 ガゥーズを倒したら・・・また見舞いに来てくれ―約束だ。
 そして、これだけは覚えていてくれ、ナユ。」
 「なんだ、兄貴?」
 うっかり相手のひぶくれした手を握りしめそうになり、あわててゆるめる。
 「ガゥーズを倒したら―お前なら出来る―そのたてがみを切り取って、ドゥグマにやりなさい・・・忘れないで。」
 「たてがみ??」
 「必ず―それは・・・。」
 精神的ダメージの方が大きいといっても、火傷によって受けた肉体的苦痛は、常レベルをはるかに上まわる。会話ができる意識を保つことさえ奇跡的な状況下なのだ。一言一言、 出ない声をふりしぼるその苦しさが見ているものにはわかるが、止めることもできない。
 しかし、ついに限界がきた。
 イラムはけいれんするように激しく咳こみ、多量の血を吐いた。ナユがとった兄の手からすっと力がぬける。
 「兄貴!!?」
 「いかん、血がのどにつまったまま意識を失うと窒息死するぞ、はやくっ!」
 息をつめて見守っていた人々は騒然となり、必死の手当てが続けられた。
 やがてイラムは再び昏睡状態におちいった。苦しそうな表情のままで。
 聖ヒジャインは、呆然と立ちつくしているナユを部屋のすみに連れていった。
 「心配な気持ちはわかるが、ナユ、お前はいったんここをひきあげなさい。
 イラムは無理に意識を起こした。お前が無意識のうちに兄の心に呼びかけたのに感応したのだろうが・・・心身とも負担がかかりすぎる。かろうじて命はとりとめたが、普通の感応者 なら100%、今の目覚めで死んでいた。」
 「わかっています・・・オレが・・・。」
 「私が責任をもってイラムの看護にあたろう。誰一人手出しできぬように。イラムは今まで警護の申し出を断ってきたが、今回はこばめぬしな。
 話はイラムから聞いている。イラムがやすらかに眠っていられるよう、お前も私達も―努力しなければならない。
 そんな状態では、子犬と決闘しても負けてしまうぞ。」
 「ヒジャイン様、ありがとうございます。兄をどうか―お願いします!」
 ナユは深い礼をし、そして部屋を飛び出していった。
 外部者とはいえ僧院の者は彼の顔をよく知っていたから、大聖堂を出るまでとがめられることはなかった。外につめていた信者が、聖者の容態を聞こうと大勢走り寄ってきたが、彼 は黙ったまま人の波をふりきり、走り去った。弟の深刻な顔つきに、人々は最悪の事態を予想し、ざわめいた。

 大僧正は、愛弟子と、その弟が出ていった重い扉を交互に見た。
 僧院全体は戦場さながらのあわただしさだ。助かった子供たちも大半は火傷を負っているし、火薬の爆発にまきこまれた者もいる。類焼した建物もあり、なすべきことは山のように あった。
 聖イラムは死んだとも廃人になったともいわれ、すでに大パニックを一般大衆にひき起こしている。弟の様子も、そのうわさに拍車をかけそうだった。僧院は対応に追われていた。 一方で、イラムが無力のまま横たわっている今、混乱に乗じて誰かが刺客をまぎれ込ませ、「とどめ」をさしにくるケースも大いに考えられる。
 もう、イラムひとり―“若僧ひとり”の問題ではない。僧院の存亡にかかわる問題になっている。子供ばかりの施設を放火され多くの子供たちが死傷し、もっとも優秀な僧でありアン ティオ最高王族の者が死にかけている。
 僧院はこれまでイラムの「個人的な問題」にはいっさいかかわらない―か、そのポーズを続けてきた。それはイラム自身の願いでもあり、僧院の性格でもあった。僧院は王国に付随 しない独立した存在だ―今の王朝よりはるかにその歴史は長い。イラムが僧になる時、破棄したとはいえ、第一王位継承権を持った王族であることが、政教完全分離体制であるア ンティオのシステムをくずすことになるのではないかと言われたことがある。
 「ドゥグマ大臣。王宮のなかの貴族をいかに牛耳ろうと・・・民はそうはゆきませんぞ。」
 聖ヒジャインは低くつぶやいた。


 ナユは僧院を飛び出し、一人走っていた。
 兄があんな目にあったのに、自分の身になにか降りかかるとは考えてもいなかった。数日後ガゥーズの洞にはいる人間をわざわざ急いで始末する人間がいるだろうか?
 「兄貴のバカ。あんな目にあっても、まだひとの心配してやがる。」
 小高い丘のいただき。ナユはすわりこみ、腕とひざの上に顔をおいた。
 みはらしのよい、アンティオの都タルスムが一望できるそこは風通しもよすぎて、今日は寒々としていた。
 自分がいかに兄を頼りにしていたか・・・。どんな遠くに離れていても、どこにいても、兄はここで待っててくれていた。困ったことがあっても、いつでも相談にのってくれ、道をしめした。 なによりも安心感を与えてくれる兄だった。
 ナユの実の母はまだ健在だ。彼の母親は、父レパ王子の妾妃―というよりは、繰り返した結婚の中の、一時期の相手に近かった。当時レパ王子は兄王にけむたがられ不遇な日々 を送っていたので、母親は生まれた子供を自分で育てようとせず、父親に渡して、さっさと裕福な大商人と結婚してしまった。(それが最後の結婚ではなかった。)
 それきり、だ。
 ナユは、不憫に思ったイラムの母親に引き取られ、我が子とかわらぬ愛情をうけて育ったので、「妾の子だもん」と口癖のように言う割には、母親=イラムの母の意識が強い。
 この苦しい時にも、どこかに生きている実の母親に会いたいとは、思わなかった。
 イラムが王位を辞退し、ナユがその気になれば王位につけたかもしれない一時、それまでなんの音さたもなかった母が、あきらかに「王の母」の地位目当てに、急に会いたいと連絡 してきた。それはあまりに露骨な態度だった。
 ナユは、会わなかった。
 あの時、母子関係は完全に切れたのだ。彼が王位継承権を蹴ったのは、剣士になるのだけが理由ではない。
 剣士の国アンティオでは僧侶王はかってないが、剣士の王―剣聖王は、モゥリーンを筆頭に、けっして珍しいものではない。王が片手間?に剣士の修行をしていたって、目くじらを 立てるお国柄ではないのだ・・・。
 フラゥンのことがなかったら、今頃宮廷に怒鳴り込んで、ドゥグマ大臣に詰め寄っていただろう。兄が瀕死の重傷で動けぬ今、処刑の日までにトラブルを起こすことは絶対に避けね ばならぬことだった。どれだけ悔しくても。
 「兄貴は死なない。死ぬもんか、きっと元気になる・・・絶対!」
 そう自分に言いきかせる。繰りかえす。
 しかし、すでに3日を切った処刑の日には・・・間に合わぬ。
 奇跡は起こらない・・・あの火傷と、兄の苦悩を見たあとでは。
 ひとりぼっち。
 ナユはふいに、激しい孤独感に襲われた。
 剣士の友人は何人もいる、師もいる。一人きりでは決してないのに・・・。
 ガゥーズの洞に入ると決意した時も感じなかった、恐怖に似た不安感。
 兄貴は死んだわけじゃない。フラゥンだって、オレが必ず救ってみせる。
 しっかりしろ。オレが先にへたばったら―彼女の命は、どうなる?!
 オレのために大ケガをした兄貴の意を無にするんじゃないぞ。
 しっかりしろ。ガゥーズを倒すことだけを考えろ。ややこしいことは、ガゥーズを倒してから考えればいい。
 オレは剣士なんだぞ。剣士が戦う前から泣きじゃくって・・・どうする。
 唯一の肉親であり最大の保護者である兄を“失った”彼、ナユ・シムルグに残されているのは、ただ独り、聖獣ガゥ―ズとの絶望的な戦いだけであった。


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