The Sword of Truth 


 孤児園のあったあたりは、一面の焼け野原と化していた。
 煙とぶあつい、まだ熱を持った灰。
 大勢の僧侶や駆けつけた信者達でごった返していたが、けが人と遺体はとうに運び出されており、なすすべもなく立ちつくしている者の方が、多かった。
 「こちらです、ナユ様。」
 イラムの弟子に案内され、ナユは取り巻く信者達をかき分けるようにして、大聖堂の中にはいった。人々の顔は暗く、信じられない、といった顔で放心している者、ひたすら祈り続け る者・・・。
 導かれた部屋は、大聖堂の奥まった一室だった。ナユは転がるように飛び込み―
 そして、そのままの姿勢で硬直した。
 「あ・・・」
 それは、無残としかいい様のない姿だった。
 「あにき、なんて・・・・。」
 きれぎれに口から出る言葉は、首を絞められたまま出るような音がした。
 「ナユ。」
 傍らにいた大僧正、聖ヒジャインが、ナユの肩に静かに手をふれた。肩が、ビクッとふるえた。非常に年老いた徳高い老僧の顔色も、その部屋にいる他の高僧より、ましというわけ ではなかった。青ざめ、悲痛な面もち。
 「イラム兄貴、ああ、なんて、ひどい・・・どうして!」
 「イラムは、孤児たちを救おうと、火の中に飛び込んだのだ。」
 老僧は、沈痛な声で告げた。
 「兄貴は傷つかない、傷つけられない、はずだ・・・イラム兄貴!」
 弟は絶叫した。信じられぬ、しかしもっとも酷な現実に打ち砕かれて。
 「1人ならばな・・・。」
 僧は首を振った。
 すがりつきたい、しかしそれを止めざるをえない痛ましい姿。
 イラムのトレードマークだった、何丈にも拡がる白銀の髪は、その末梢の大半が失われてしまっていた。僧侶になる前、切り揃えていた昔の頃に戻って―しかし、切ったのではなく、  端々は焼け焦げ、変色した様は、その美しさを知る者にはまして、衝撃的だった。
 子供たちを助けようと炎の中に飛び込み、全身にひどい火傷をおったイラムは部屋の中央にねかされていた。火傷があまりにひどいため包帯は巻かれず、薬草の葉の湿布が 次々と貼りかえられている。
 あの色白のきめの細かな肌は、いたるところ焼けただれていた。とくに足がひどかった。足だけ見せられたら、誰も焼死体だと疑うまい。
 「兄貴は・・・・?」
 ようやく他人に質問する心のすきまのできたナユが、瞳は兄を凝視したままで言う。
「かろうじて、息はある。・・・だが、危険な状態だ。」
「肉体にもまして、精神的ダメージが大きすぎる。」
「イラム様は、みなの止めるのも聞かず、火の中に」
 呪縛が解けたように、いっせいに話しはじめた人々から、ナユは何が起こったかを聞いた。目の前に見える光景が単なる悪夢で、さめてくれたらいいのにと思いつ。
 「放火なんです! 見回りの者が犯人らしい男の1人を追いましたが、捕まえた時、そいつは毒を飲んで死にました!」
 何者かが、孤児園の建物の周囲に積んであった、乾いた牧草に火をつけたのだ。
 孤児園は、僧院の敷地に隣接して作られており、100人近い子供たちがそこで生活していた。彼らは僧園のもつ田畑や家畜の世話や手伝いをし、そのかわり、そこで採れる作物 や鶏の卵といったものが彼らのみいりになった。牧草の収穫期であったため、子供たちは自分達で刈り取って束ねた牧草を、敷地内に山のように積みあげていた。それに火がつけ られたのだから、たまらない。火はあっという間にひろがった。僧院の者が気がついた時には、孤児たちが寝泊りしている建物の周囲を巨大な炎の壁がとりかこみ、手の下しようが ない状況になっていた。火のまわりの速さからして、どうやら放火犯は複数箇所、同時に火をつけたらしい。中にいる者の逃げ道を断つために。
 イラムは、ナユが尋ねた後、特別の許しを得て瞑想園を出ており、その時大聖堂に居た。
 が、
 「子供たちが、助けを求めている!」
 と、ふだんのゆったりしたしぐさとはうって変わった矢のようなはやさで、火事場に走っていった。孤児園はイラムの管轄で、子供たちはイラムによくなつき、イラムもこの孤児たちの 世話と指導をとても好いていた。
 精神感応力で、炎の壁の向こう側で逃げ場もなく、死を待つしかない子供たちの悲鳴をきいたのだ。周囲の静止を振り払い、イラムは炎の中に飛び込んだ!
 確かにイラムは、髪の力場で、強力なバリアーを張れる。炎も、飛び込んだ時は、彼を、髪の毛一筋も傷つけなかった。
 しかし、最大級のバリアーを張ると、外部の人間がその結界内にはいることも出来なくなる。炎の壁を無事くぐりぬけても、なかの子供たちを救おうとすれば、自分の張ったバリアー をいったんとくか、最小限にゆるめるしかない。すでに炎は建物内に移っており、二重の火事の中、あちこちにちらばった―すでに窒息したりやけどで動けなくなっているものも少な くなかった―子供たちを助けては、“外”に連れ出す。イラムの髪は彼の神経のようなもの、感応力があり、ふつうの髪とは異なるものの、別に、金属でできているわけではない。エ ネルギーがコーティングされていなければ、燃えてしまう、美しくはあるが普通の髪なのだ。 燃え盛る炎には、軽い結界程度では無力だった。そしてイラムは、そう広範囲に強力な バリアーは張れない。
 内部に火が移って外と中から攻めたてられ、全焼は時間の問題だった。すでに、一度に全員を連れ出したり、一箇所にまとめてバリアーを張ることはできない段階にきており、子供 たちを少しづつ、炎をくぐって連れ出すしかなかった。
 何度も、何度も。 休息をとらねばならぬ、瞑想月に。
 イラムは確かに弟も絶賛?する超強力な結界を張れるが、本来の得手は、すべてをはねとばすような“力”ではなく、ケガ人を治療したり、ひとの心を癒したりする、やさしい性質の ものだった。
 イラムの助けになってくれるはずの“力”の持ち主達は瞑想中であり、彼と違って、すぐスタンバイできない。間に合わない。
 徐々に、イラムはバリアーを完全に張れなくなってきた。子供の方に全神経を集中してしまうため、自分の体のほうが、なおざりになる。炎は、バリアーの力が弱まれば、情け容赦も なくそこをつき、噴きこんでくる。 “力”のない僧侶はハラハラしつつも、外で見守ることしかできない。
 しかも、その時、爆発がおきたのだった。
 放火した者が、建物内にも忍び込み、火薬を仕掛けていたのだ。
 助けに中に入った者―それが誰か、誰を狙ったものであるかは、明白だ―もろとも、吹き飛ぶように。
 ようやく、外の炎の壁がやや勢いを弱めてきて、人々がホッとしたやさき、轟音と爆風が吹き上げ、周囲はさらなる大混乱となった。
 「イラム様!!」
 皆の悲鳴の中、二人の子供を抱いたイラムが、よろよろと炎の中から出てきた。そしてくずれおちた。
 バリアーが弱まっており、倒れた子供の方に力を集中したため、イラムは爆発の炎と熱風を、ほとんどまともに受けてしまったのだ。
 「いかなくては・・・まだ、なかに・・、まだ・・・。」
 うわ言のようにいい、地面をひっかいた指から生爪が剥がれ落ちた。足はすでに歩ける状態ではなかった。限界をとうに超え、それでも這って、炎の中に戻ろうとする。
 「呼んでいる・・・私を・・・助けを求めている・・・いかなければ・・・。」
「 もう、だめです、イラム様。あなたまで死んでしまいます!」
「 すいません、イラム様っ!」
 信者や弟子達は、泣きながら聖イラムを火事場から運び去った。それに抵抗する力は、すでにイラムから離れていた。

 「くそ・・・!! ドゥグマめ、あいつだ。あいつが、仕掛けたんだ! 兄貴が必ず助けに行くのを知ってて・・・。」
 涙がようやく出てきた。そして、止まらなくなった。
 「オレのせいだ、オレのせいで・・・。オレが兄貴と会って、あれこれ頼んだからだ。
 オレのせいだ・・・。」
 昏睡状態にあるイラムは、弟の嘆きにも反応しない。
 治療師は大半が瞑想月にはいっていたが、そのうちの幾人かが呼び出され、治療にあたっていた。一番の治療師は、イラム本人なのだが。
 「犯人のねらいは、イラムだった、というのか?」
 聖ヒジャインがゆっくり口を開いた。彼とて、この愛弟子の、王位を巡るあつれきについては、よく承知している。
 「孤児園に火をつけて、なんの得があるっていうんだ!」
 ナユは怒鳴って、すぐシュンとなった。
 「すいません・・・。でも、イラム兄貴は―あ、兄上はその、今度のパディ王の暗殺事件で、その、」
 「瞑想月を切りあげ、イラムが出てきたのを知るものは、そうはおらぬはず―僧院の中とて、油断できぬということだな。
 大僧正がみなに聞こえるようにはっきりと言った。つめていた者達は、一同、ハッとした。
 僧正みずから、今度の火事が“ただの放火”でないことを認識している証であった。
 年老いた高僧はつねにおだやかで落ち着いた態度で僧院をたばねていたが、今回はさすがに沈痛な重い気を完全にしめこむことができないようであった。
 「ナユ。」
 彼もまたすぐれた精神感応者であるが、弟子達のように、瞑想月にねむりはとらない。全員が同時期に瞑想にはいっては、その間、瞑想にはいらぬ者達の指導ができぬ。そのた め、大僧正だけは、常にずらして休息を取る慣例になっている。今回のように、瞑想月中にトラブルが起こった時のために。
 「イラムは危険な状態が続いている。火傷もひどいが、それ以上に深いのは、心の傷だ。」
 「心の傷?!」
 「孤児園の子供たちの、三分の一が亡くなった。イラムが駆けつける前に炎にまかれた者、そして―救いきれなかった子供たち。
 私は彼を、強制的に昏睡状態にしなければならなかった。」
 火傷治療用の薬草の湿布(それらはナユはむろん気がつく余裕などなかったが、運び込まれたあと、入念な検査を受けていた)が次々と張り替えられる。かすかな胸の隆起がなけ れば、死んでいるように見える愛弟子の痛ましい顔を、聖ヒジャインは見つめた。目を閉じた姿はイラムではおなじみだが、あのやすらぎを与えるイメージから遠く、苦痛をこらえた まま凍りついた―日頃を知る人間には、いっそう胸をつかれる―寝顔。
 「自らの心の傷・・・精神的に受けたダメージは、いくら治療師といえど防ぐことができない。 イラムは今度の火事が自分を狙ったものであることをすでに覚っている。―そのため に、彼がかわいがっていた子供たちが巻き添えになったことで、自己の精神崩壊を起こしかねないほどのショックを受けたのだ。」
 「兄貴のせいじゃない!だって兄貴がいなかったら―」
 「全員、焼け死んでいただろう。1人残らず。・・・私は彼のように、炎から身を守るバリアーを持たぬ。なんの力にもなれなかった。
 精神感応者の欠点なのだ。ナユ。他人の痛みを我がことのように感じる。そして、常人の何倍も、傷つきやすくなるのだ。―そのために、瞑想月があるのだ。」
 高僧の声には、相手が窮地に追い込まれてゆくのを見ながら、止めることもできず、救うこともできなかった無念さがにじみ出ていた。
「心の傷と、体の傷。早急に心の傷をいやすべきだと、私は判断した。深い眠り、何も感じぬ休息が彼には必要だ。心因性苦痛を取り除かねば、廃人になりかねぬ。」
 「元通り、元気に―なり・・・なる、の?」
 ナユは兄の無残な、しかしそうなってもまだ端正な輪郭をとどめている顔をみつめていた。ずっと。
 「お前にうそは言えぬ・・・わからない、だれにも。わかるのは、お前の兄は今、非常に危険な状態にあり、このままにしておかねばならぬということだけだ。もっとも深い昏睡状態に 導いてある。再び意識が戻らぬ危険性も秘めているが、いたしかたない。気の毒だが・・・。」
 ヒジャイン大僧正の言葉は、途中で途切れた。
 そして―


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