The Sword of Truth 


 イラムは白い指先で刃にふれた。それはほんと白い剣だった。白といっても沈んだような白で、パッと明るいというよりすい込むような静かな白色だった。つばと柄には細かな彫刻 がなされているが、しろさに溶け込んでわかりにくい。刃まで白いのだ。光沢は金属質だが色が均一なので石細工のようにもみえた。装飾用の剣に似て、なにか切れそうな―実用 的な感じに乏しく見える。
 「剣士モゥリーンの愛剣だ。」
 「まさか・・・。本当にまだ、この世にあるなんて!?? モゥリーンの墓に一緒におさめられたって、伝説では―」
 「モゥリーンは実在の人物だ。詳しくは語れないが、今はこの剣は私が所有者、というより管理している。」
 剣士モゥリーンは、剣士を志すものなら誰でもあこがれる男だ。数々の武勇をなし、魔獣を倒し、ついに王の一人娘をめとった物語はその愛剣レオファーンとともに、アンティオの者 なら3つの子供でも知っている。
 その聖剣が、剣とはもっとも縁のなさそうな兄の手に・・・?
 「これがレオファーン?!・・・。本当に? なんだか―、その、あまり、切れそうにないんじゃ・・・ない?」
 ナユは剣をしげしげと眺めながら、多少は遠慮がちに言った。兄がこういう状況で冗談を言う人ではないのはわかっているが、目の前のそれは、あんまり剣らしくない。キレイでは あるけど、悪くいえばオモチャみたいだ。
 イラムのすずやかにのびた眉はけむったままだ。ひどく考えに沈んでいるように見える。
 「この剣は・・・いま、お前の目に見えているものは、正確には剣ではない。
 これは、剣の卵なのだ。」
 「卵?」
 「孵った卵がどのように変化するか―それは剣の持ち主しだいなのだ。
 ナユ、私はこれをお前に預けることに、ひどくためらいを感じている。だが、お前を生きて洞から出すためには、この剣に賭けるしかないのも、わかっている。」
 「そんなにすごい剣なの?そんなふうに・・・ぜんぜん見えないけど。」
 弟はあくまで現実的だった。
 今は、私がもっているからね―イラムは思ったが、口にはのせなかった。
 精神的な超常能力にたけた兄が持っている限り、レオファーンは卵として、おとなしくねむったままでいるだろう。しかし感情の起伏の激しい弟の手に渡るとなると・・・。
 ナユは、あれこれいわく付きの剣の伝説を聞きかじってはいるだろうが、実際、現物をあつかったことはないのだった。
「この剣は持ち主に左右され―すぎるのだ。
 このレオファーンは、モゥリーンの手に渡る以前、魔剣ブルガと呼ばれていたこともある。そのことを知るものは、もう数人しかいない。」
 幻の剣の名が次々あっさり出てくるものだから、ナユは自分の置かれた諸事情のことも一瞬忘れて、興奮して叫んだ。
 「魔剣ブルガだって!?どうしてブルガとレオファーンが同一なんだよ!」
 「だから、妖剣といったのだ。悪しき心の持ち主が邪悪な念を込めて扱うと、魔剣と化す。心ゆるがぬ者がもてば、聖剣と呼ばれる。 持ち主によってたやすくどちらにでも変化す る、恐るべき剣だ。
 剣士モゥリーンの伝説、そのままに・・・。」
 イラムは弟より自分に言い聞かせるかのように話し始めた。
 「モゥリーンは正義感あふるる若者で、レオファーンを“正しく”使いこなし、人々を助け導き、ついに王の一人娘と結婚して王位を継いだ。だが、一介の剣士として腕を振るっているう ちはよかったが、王となり統治するとなると・・・・。
 私にはよくわかる、モゥリーンの悩みが。王家の掟、陰謀、権力闘争。王家に組み込まれたモゥリーンはその自由な魂を徐々にすり減らし、しがらみにがんじがらめにされていった。
 王でいること、そして統治することというのは、きたないことなのだ。自らきれいなままでいい統治はできない。 ・・・私は、だから逃げ出した。
 しかしモゥリーンは逃げられなかった。彼の心が次第にゆがむにつれ、レオファーンは彼の手におえないものになっていった。剣をとるたび、自分に反抗する臣下や王族達をメッタ 切りにしたい自分に気がついた。彼の中の悪しき心が育つにつれて、剣はそれを吸い取り、そして逆にモゥリーンを支配するようになった。
 子供がないのを理由に王位を譲ったのではなく、剣を制御しきれなくなって、反抗的な家臣を大勢切り殺したのにショックを受け、彼は国を飛び出し―死んだ。 レオファーンを破壊 しようとしてしきれず、死後悪しき人の手に渡るのを恐れて、死ぬ前僧院にこの剣を奉納したのだ。
 わかったろう? この剣は素晴らしい力を持ち主に与えるが、とても危険なのだ。どんな人間だって、感情的にカッとしたり人を憎んだりすることはある。それに剣が感応すると―剣 の奴隷になる。」
 「オレなら―」
 「お前が正しい心の持ち主なのは、わかっている。が、さっきのように、安定した精神力の持ち主とはいえない。」
 「・・・。」
 「ドゥグマを憎むな、といっても無理だろう・・・憎悪の感情は剣を悪しき方向に向かわせ、持ち主を支配してしまう。
 ガゥースを倒すことだけを考えるのだ。他は・・・・・私が、なんとかする。
 彼女を救うこと。そして、彼女を愛することだけ考えることだ。」
 ナユの顔が真っ赤になった。
 イラムは白い剣を元通り聖布で巻いた。そして樹をちらりと見(目は閉じたままだが、結界内にいる人間はイラムの心の視線を感じることができた)弟に手渡した。ナユはおっかな びっくり受け取った。密度の高い堅木のような重さだ。
 「その日まで、肌身にはつけずにおきなさい。あとで私が封印をもう一度上からかけておくから。」
 「わかったよ。」
 ナユは深くうなずいた。兄の顔を見る。白く美しい顔。心配の感情を出さないようにしているが、かなしげだ。
 「大丈夫。きっと・・・そう、この剣を返しにくるからね!!」
 「約束だよ。」
 兄の微笑はやさしかった。
 「知らせてくれてありがとう、ナユ。 ・・・・それにしても、お前はいったいこの瞑想園にどうやって忍びこんだんだい?」


 豪華な王宮の一部屋。がっしりした黒い縮れ毛の男が怒鳴っていた。
 「あの、ナユ・シムルグが、兄に会っただと!!!」
 「事実のようです。詳しいことはわかりませんが、瞑想園に忍び込んで眠っている聖者どのをたたき起こしたのは確かなようです。」
 「あの、こわっぱめ!」
 ドゥグマ・ゲン。現国政大臣、アンティオ王国の最大権力者は、拳を振り上げて唸った。いくら大声で怒鳴っても、王宮のこの一角は大臣の私宮化していたからかまわない。
 ナユ・シムルグは子供の頃からその行動力のすばしっこさで、むしろ悪名?が高かったが、まさか・・・。
 大臣の参謀で知恵袋である男は、彼の忠実な密偵達から送られてきた情報を主人に伝えているところだったが、しばらくの間言葉を切って、あるじの怒りが一段落するのを待たね ばならなかった。
 「あのガキめ・・・わしのねりあげた計画に次々と穴をあけおって!」
 「実際に穴があいたわけじゃありません。」
 参謀のモホラはきっぱりと答えた。
 「どうあがこうが、フラゥンの処刑が中止されることはありえないんです。あの、イラム殿であろうとね。」
 「だが、わしは不愉快だ。」
 「表向きは、一介の剣士のたわごとにすぎません。」
 ドゥグマ・ゲンに対して唯一ぴしゃりと口答えのできる―というより、その反論を素直にドゥグマ本人が認めるところ、の男は、大柄の大臣よりさらにあたま一つ分近くも高く、非常に やせていた。
 「ただ、問題なのはその兄が、イラム・シムルグだということだけですね。」
 大臣はうなずいた。
 「そうだ、わしはあのガキなど怖くない。怖いのは―」
 「あの妾腹の少年が、兄を動かす可能性です。」
 いまいましそうに大臣は見事に手入れされた口ひげをひねった。
 「イラムはいんぎんには振舞ってみせてはいるが、わしをよく思っていないことはわかっておる。 あの弟が兄に吹き込んだら、ひょっとして・・・・・。」
 それは、大臣のもっとも恐れていることであった。モホラは軽くうなずいた。
 イラムを、刺激しないこと。
 これは今回の計画の中で、ある意味では暗殺以上に気をくばった点だった。
 イラム・シムルグは弟より先に王位継承権を放棄しているが、この行為は法的に絶対的なものではない。彼はパディ公に王位を譲った形でおりた。パディ王亡き今、空白の王位が 再びもっとも近いところにある人間だ。いかに大臣が宮廷を把握していようと、民衆の絶大な人気と僧院の力をバックに、イラムが王位宣言をしたら・・・。
 それに、イラムはあの薄気味悪い化け物のような力を持っている。あんな感能力をもった髪をひきずって、今の宮廷を歩きまわれたら! イラムという人物を研究しつくしていると自 任しているモホラでさえ、そのことを考えるとぞっとした。
 「瞑想月に決行し、あの化け物がいねむりしているうちに、すべてをこちらの思うがまま、王権をこの手に治める予定だったのだ。 それをあの弟め、いきなり帰ってきおって。どうせ 兄にさんざん泣きついたに違いない。
  「僧院の動きはどうだ。」
「今のところは何も。まあ、イラムにしても外に出てきたからといって、本来瞑想月であることだし、公の活動はひかえねばならぬはず―あの兄は、弟と違ってはずれた行動はとりま せんから。」
 「そうだな、しかし・・・」
 宮廷に暗澹たる力をふるっているドゥグマも、イラム・シムルグだけは、彼がまだ僧侶になる以前から苦手だった。認めようとはしないだろうが、恐れてさえいた。陰謀家にとって、感 能力のある人間ほどイヤなものはない。イラムが宮廷と縁を切ってくれたおかげで、ドゥグマはどれだけホッとしたことか! 目の上のタンコブ、おそるべきタンコブだ。
 「ナユは本気でガゥーズの洞に入るつもりなのかな。」
 「正式に請願し、受理されました。ずいぶんとちまたでは騒ぎになっているようです。なにしろ王族だし、それになんといっても聖者イラムの弟ですからね!」
 「あの小娘とできていたんだろうな。あれだけ執着するところをみると。そんなに価値のある女にはみえないが。」
 大臣は参謀に向かってせせら笑った。
 「おかげで困ったことになりかけているんですよ。まだなってはいませんがね。
 邪魔者が一度に2人減るのはいいんですが、弟がガゥーズのエサになったら、あの聖者殿もだまっちゃいませんよ。その、陛下を糾弾しはじめたらどうします?弟の仇としてね。」
 栄養たっぷりのタカのような大臣の顔が、苦玉をほおばったようになった。
 「いっそ、あの弟をはやいところ・・・」
 参謀は首を振った。
 「何日かしたら自発的に死んでくれるんですから、放っておきなさい。それより―
 わざわいのもとのほうを、この際すっぱりと、片付けてしまうことを考えたほうが・・・。」
 ドゥグマの目が鋭く光った。咽喉をごくりと鳴らす。
 「できる・・・、のか?」
 そのことは、何度も考えられていた。そして実際何度か実行にうつされていた。
 だが、超常能力の持ち主、僧になってからはその髪のバリアーによって、暗殺は到底不可能だと何度思い知らされてきたことか!
 「たぶん、ね。」
 モホラはゆっくりと言った。大臣の声が低くなる。
 「たぶん? しかし、今回はやりそこなったら・・・。」
 「今までのように証拠は残しませんよ。こっちがやったという。
 うまくゆけば永遠に邪魔されずにすむし、半分でも成功すればこちらに口をはさむ余裕など、なるなるでしょう。」
 「・・・どういう計画だ。」
 モホラはさらに小さい声で、ささやくように“計画”を話し始めた。まるでドアの向こうにイラムがいるかのように、用心深く。 大臣は目をみはった。ウム、ウ〜ムとうなり、口ひげを  ひっぱった。
 「賭けだな。」
 「私は、あの聖者殿の性格をよく調べ上げております。 お賭けになって損のない掛け率ですよ。」
 「おまえがそれほど言うのなら、わしは何もいわん。」
 「ありがとうございます。」
 モホラは、ひからびたウサギのような顔に奇妙な笑みを浮かべた。
 「あの男さえ居なくなればな。 弟など、好きなだけわめかせておいてやろう。ガゥーズに喰われに行くがいい。」
 主従はニンマリと、顔を見合わせて笑った。


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