The Sword of Truth 


 ―ドゥグマめ、謀ったな・・・僧院は瞑想の月、外部との交流をいっさい断っている。ナユはまだ修行の旅を続けているはずだった。私はナユがこうやって知らせてくれなかったら、知 りようもない―
 「ナユ。お前はまだ当分帰国するはずではなかったろう?」
 「修行先で知り合った仲間が大ケガをして・・・辺境じゃいい医師が見つからなくて、急いで引き返したんだ。そしたら、その時はもう、長老院の決議は下されたあとで、フラゥンは“真 実の洞”に移されたあとだった。」
 「ドゥグマは“証拠”をがっちりかためていた。フラゥンが犯人としか思えない―彼女を知らない者がみれば、絶対信じ込むような幾つもの“証拠”をすきまなく積み立てた。フラゥンは 無実を叫びつづけたけど、身寄りがなくて、パディ王以外に後ろ盾のない彼女をかばう者、かばえる者はいなかった。
 オレがもっと早く戻っていたら、彼女を救えたろうに。オレさえ・・・」
 イラムの精神フィールドに、柔らかな金髪の、おとなしそうな少女のイメージが浮かんだ。 フラゥン。パディ王が突然養女にした孤児。彼はもちろんフラゥンを知っていた。義理堅い 堅実なパディ王は、恩師の娘だという彼女を養女にする時、イラムの意向を無視するようなことは決してしなかった。
 確かにフラゥンは人を殺せるような娘ではない、しかし・・・・・。
 状況証拠というものは、その気になればいくらでも作り出せるものだ。
 ただ、ナユが突然帰国したのが、唯一、ドゥグマの計算違いだったろう。
 さっきからの感情のうねり、ナユがフラゥンによせる感情・・・それもドゥグマには計算外だったかも。イラムはつぶやくように言った。
 「王殺し―そして養父とはいえ尊属殺し。そして、証拠がすべて承認されたのに罪を認めぬ者は・・・・。」
 ナユの顔がひきゆがんだ。
 「“真実の洞”で聖獣ガゥーズと対面・対決しなければならない。
 処刑と同じことさ、ガゥーズの洞から生きて出た者はいないんだから!!」
 ガゥーズの洞。アンティオの国民にとって、恐怖の伝説と化した洞。聖獣と肩書きはあるが、小山のような恐るべき獣がそこには飼われている。ただの死刑よりはるかにむごい死と して恐れられ、大抵の者が“普通の死”を選ぶため、罪を白状する。生きて出られたら無実が認められるという建前はまだ誰も勝ち得たことがなかった。
 刑の定まった囚人はまず崖の上部の小洞に入れられ、刑日にはガゥーズのいる下方の洞へ追い立てられる。そして、外に出るためにはこの洞をつききるしかないのだった。
 「小洞もガゥーズの洞も一方通行だ。いったん縦穴の小洞に入れられた人間が外に出る道は、もう―」
 まだまだ子供らしさを十二分に残しているナユの顔がクシャクシャになった。こぶしがきつく握りしめられる。涙がボロボロこぼれ落ちてくる。
 「帰ったら、人前の剣士になったら・・・彼女に剣を捧げようと思ってた・・・それが・・・」
 イラムの白皙の顔が引き締まる。彼は万人のためにつくす僧侶に一生を投じたけれど、唯一の弟に対する愛情は寸分も減じてはいなかった。僧侶の戒律と王族の務めと個人の愛 情の配分で悩んだことは今までも少なからずあった。一方、その増幅された精神はめまぐるしい速さで情報分析をおこなっていた。瞑想月に急に起こされたため、かなりの負担が 生じるのもかまわずに。
 ―ドゥグマ大臣が王位に執着しているのは、なによりも私が知っている。しかし、長老院が決議したとなると―あれは絶対決議だ。いったん判決を下されたら、もう何人たりとも、くつ がえせない。今からフラゥンの無罪の証拠を揃えても、もう小洞に入れられてしまった以上、ガゥーズとの対決は避けられない―アンティオ王国の掟だ。王家の者自らやぶることは できない、変えることもできない。王ですら―
 「あと、何日だ。」
 「5日。5日しかないんだ。兄貴。ドゥグマや長老院のやつらにかみつき続けたけど、全然―それで何日もたってしまって。だから瞑想中なのはわかっていたけど忍び込んで―」
 「かまわないよ。王国の掟と違って、僧院の掟は融通が利くほうだから。
 ナユ。・・・始めの話だけど、どうして私に王宮に戻って欲しいと言った?私に、長老院相手に奇跡を演じて欲しいと?それとも・・・
お前、まさか・・・?」
 まさか、の先の回答はすでに感じ取っていたのだが、それでもイラムは問い掛けずにいられなかった。
 剣士―といっても正式称号はまだないが―の少年は、黒い瞳を兄の閉じた瞳に向けた。兄貴の瞳の色はたしか淡いブルーだったよな、とふと彼は思った。
 「そうだよ、イラム兄貴。オレは審判の日、彼女と一緒にガゥーズの洞にはいる。長老院の決定は誰にもくつがえせないけど、同伴者は―希望者があれば―1人、ゆるされているん だ。
 これ以外、彼女を救う道はないんだ!」

 ガゥーズの伝説的な恐怖も、ひたむきな少年の決意を変えさせることはできなかったようだ。
 ナユがびびってないといったらウソになる。しかし、彼は断固決意していた。兄の元に忍んで来たのも、超常能力者である兄に泣きつくためではなく、みずからの決意と―別れを、告 げに。
 イラムの眉のひそみは一層深くなった。低い声で言う。
 「そんなことをしても、ドゥグマを喜ばせるだけだぞ。邪魔者が一度に2人も減ることになる。さっき、おまえ自身が言ったはずだ。洞から生きて出た者は、いないと。」
 「だったら、彼女をこのまま見殺しにしろっていうのかっ!いいよっ、オレは―」
 短気な弟がきびすを返して走りだしたので、兄は自在にあやつることのできる髪をその足にシュウとからめた。ナユは剣士のはしくれだが、今日はしのびこむのに邪魔なので小さな 刺刀をふところに入れただけだった。それをとりだす間も無く鳥もちのように、髪は彼をくるみこんでしまった。
 「なにするんだ、くそっ!」
 「どうしてそう、すぐ飛び出すんだ―待ちなさい、ナユ。お前は剣の修行はしてきたらしいけど、心の修行はなおざりにしてきたようだね。」
 「ぐっ、こんなところでお説教なんて聞きたくないやい、放せったら。」
 「ダー師が言ってたぞ。お前はきわめてすぐれた素質を持っているのに、精神面でずいぶんそれを損ねている、と。」
 「・・・・」
 やさしい口調とうらはらに、さっきまでのフワフワぶりとうって変わった金属のロープのような強靭な髪の束に羽交い絞めされて、弟はひとしきり悪態をまきちらした。瞑想園の他の 僧侶達はにぎやかな闖入者にも反応していないようだ。やや落ち着いたところで、イラムは髪の力をゆっくり弱めた。
 「お前はまだ、私の質問に答えていない。」

髪はもう、ロープの役目をはたしてはいなかったが、ナユはおとなしく立っていた。
 「オレは命にかえても、彼女を守るつもりだ。絶対に。
 でもフラゥンが無事、洞を出られても、ドゥグマ・ゲンのやつが彼女をそのままにしておくとは思えないんだ。
 きっとあいつはまたフラゥンをねらうだろう。でも、その時オレ、オレは守ってやれない―もう守ってやれないんじゃないかと思うんだ・・・。」
 「・・・・・。」
 「だから、その・・・兄貴が宮廷に戻って彼女を守って・・・ドゥグマも、兄貴には手が出せない。彼女には王位に対する野心なんかない。兄貴が王位について、彼女をドゥグマから 守ってくれればと・・・。」
 イラムは弟に気づかれないように、心の中で深くため息をついた。生きて洞を出られるとは万分の一も思ってはいない弟。それでも、そこまで決意してでも、ガゥーズとは、命と引換 えにすれば倒せるというようななまやさしいものではないのだ。
 「わかった。―ただ、王宮に戻るというのは遠慮させてくれ。洞から出たらすぐ、フラゥンは僧院にかくまえばいい。ここならドゥグマも手が出せまい。王宮は現在彼が牛耳っているわ けだし、ああいう処では私の力は制限される。僧院の方が安全だよ、ナユ。」
 ナユの顔が明るくなった。彼はとうに彼女のために命を捨てる気でいたけど、自分の死んだあとも彼女の身の危険が減るわけではないことに、悩んでいたのだ。ドゥグマを切り殺す ことはもちろん最初に考えたが、それでは洞に入る者がいなくなってしまう。大臣を殺しても、彼女の処刑が取りやめになることはないのだから・・・
 なんだかんだいっても、彼は兄に絶大なる信頼をおいていた。兄は彼からすると臆病なくらい慎重だけど、そのかわり、いったん約束したことは絶対だった。兄が「守る」と言ったら、 世界中の誰が言ったより安心できるのだ。
 「よかった。これでオレ・・・・。」
 「言っとくが、私はたった一人の弟をガゥーズのエサにしたあと、ドゥグマ大臣の罪を暴いて勝利を得たとしても、少しもうれしくはない、からね。
 剣士というのは、自分の命を少し粗末にしすぎるような気がする。
 ナユ。フラゥンだって私と同じ気持ちだろう。お前が身代わりになって助かったとしても、悲しみこそあれ、喜べまい。自分ひとり犠牲になればすべてうまくゆくという考えは、しばしば より多くの人の不幸になるんだよ。」
 「だって・・・。」
 「ダー師には話したのか?」
 「それがお前の道なら仕方あるまいって、最後には許してくれたよ。」
 そのあと、その程度の腕でガゥーズに勝てると思っているのか、とこっぴどくケイコをつけられたんだが・・・。
 「ガゥーズは死ぬ気でかかっても、勝てる相手じゃない。ガゥーズを倒したのは過去にただ1人、伝説の魔剣士ヒーシュムだけだ。しかしその彼すら、ガゥーズを倒したあと力尽き、 出るやいなや死んだとされている。生きて出た者はいないという伝説は破られてはいない。
 力はつけたようだし、お前はいい剣士になれる・・・あと何年かしたらガゥーズを倒せるようになるだろう。
 でも、今は・・・通常の手段では無理だろうな。」
 「通常の手段?」
 ナユは聞き返した。同伴者に許されるのは剣が一振りか二振り、それだけだ。小山のような獣に対してあまりに、寂しい。
 イラムはさらさらと銀と白の流れる海とともに移動し、瞑想園のあちこちにはえている樹のひとつの傍らに来た。少し離れて年老いた僧侶が座っていたが、ぴくりとも反応しなかっ た。
 「ソータル老師はよくお休みのようだ。」
 イラムはつぶやくと、髪よりも白い腕を伸ばして樹に触れた。ナユは目をみはった。樹の一部がめくれて内から長細いなにかが出てきたのだ。樹がはき出したようにみえた。
 「ありがとう、アルトメトラ。」
 印を切ると、イラムは樹から出されたものを持ち、ナユのほうに向き直った。
 顔の表情が硬い。賢者スマイルを見慣れている者にはちょっと不安になるような、不安定な表情だ。
 「なんだ、それ。」
 答えず、兄はくるくると包帯のような布をほどき始めた。
 「これは聖布でおおわれ、聖樹アルトメトラがふだんは守っている。
 これは―」
 出てきたのは白い剣だった。鞘はない。
 「妖剣レオファーンだ。」
 ささやくように兄は言った。剣士のはしくれ、ナユはしばらく黙っていた。やがて、おずおずと口を開く。
 「あの・・・聖剣、レオファーンのこと?」
 「そう。」


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