The Sword of Truth 


 ほとんど闇が支配している、閉ざされたなか。
 岩肌にこびりついた光苔が、わずかに人の目を闇から救っていた。
 が、なかにおとしめられた者にとって、闇の方がどれだけやさしく慈悲深かったであろう。
 少女はすすり泣いた。彼女は外見よりずっと強いこころをもっていたけれど、それは彼女にとって最大の不幸となりそうであった。
 少女に残されている恐るべき運命のことを考えれば、今のうちに発狂してしまう方が少しでもマシといえただろうから。
 「お父様・・・・・ああ。   誰も信じてくれませんでした。 私のことを。
 死ぬのは怖くありません、でも、お父様を殺したとみんなに思われたまま死ぬのがかなしいのです。
 ・・・いえ、信じてくれるひとはいる。いるの。でも、二人とも私の声のとどかないところにいるの。今、どこにいるかもわからない・・・・」
 そのあとは、闇も聞き取れないほどの小さな声だった。誰かに聞かれるのを恐れているかのように。
 「・・・ナユ・・・」


 それは、瞑想園の広い敷地の一角を占めていた。
 乳白色。そして暖かい銀色と、微妙に絶え間なく変化する生きた流れ。
 風は凪だったが、快いささやきをたてながら、流れはなにかを感じていた。そして、伝えた。
 誰か、来る。
 流れの中心にいる人物は、美しい顔をかすかに、気配を送ってきたほうに向けた。
 流れは、人間の髪の毛だった。やわらかにうねる滝のように、たった1人の頭部から背を覆い拡がり、空にもさやさやとたなびいている。やさしいもやのように。
 外部からの侵入者。
 それはありえないことだった。中にいるまったく無防備の瞑想中の僧達を守るため、園は非常に高い石塀で囲まれ、外は警備の者と信者によってたえず守られている―はず、なの だ。
 しかし、現にいる。こちらにやってくる。
 髪の主は端正な顔立ちを少しかしげた。目を閉じたまま。素足で立っているのは、非常に美しい、高貴な顔立ちをした若者だった。簡素な一枚布を巻きつけただけで装身具ひとつ帯 びていない。だがその髪はどんな高価な衣装にもまさって、神秘的だった。
 「どうして・・・」
 闖入者はまっしぐらにやって来た。そよぐ髪をかきわけかきわけ、その中心に進んでくる。とうとう、怒鳴った。
 「兄貴、生きてんのか!?」
 黒髪黒瞳の少年は、再び怒鳴った。
 「イラム兄貴!オレだよ、目をあけなってば!!」
 長い髪の主は目を閉じたまま、落ち着いた声で言った。
 「ナユか・・・。ひさしぶりだな。修行の旅に出ているとばかり思っていたよ。」
 「実の弟が来たっていうのに・・・」
 ナユと呼ばれた少年は、地面も覆い、たちのぼる髪の陽炎のど真ん中に勢いよく座り込み、あぐらをかいた。袖なしの黒のゆったりした上着と同色の短いキュロット、厚い皮のブー ツ姿。耳には、先に小さな玉石が2コついたピアスをしている。服よりもっと黒々した髪を、格子模様のバンドで荷物のように頭の上で束ねていた。この2人が兄弟なら―きっと、髪 の豊かな家系に違いない。
 イラムと呼ばれた青年はかわらず目を閉じたままだったが、口元にはみるものがなごむような唇の微笑があった。
 「私はこの髪ですべてを感じ取れる。とくにここに居る時は、目を開ける必要がない。近頃はものの表面しか見えぬ目をあけるのが、かえってつらくてね。」
「へ、不精者めっ。」
 少年は悪態をついたが、それほど腹を立てているようではなかった。彼の兄が“特別”なのは昔っから充分承知している。兄の髪は兄の五感すべてであり、それの持つ超常能力に より、すでに聖者として辺境にまで名高い人物なのだ。髪がやさしくまとわりつく。その感触はけっしてイヤなものではなく、母性的な快さをもっていた。
 ―兄貴はもう、オレの抱えている悩みを感じ取っているに違いない―
 ナユは思った。
 「なにか、困ったことが起きたようだな。」
 イラムは静かに言った。髪の海の中に立った姿は幻想的な絵画のようだ。黒い髪と日焼けした小麦色の悪ガキタイプの現実的な美少年とは、似通ったところなど少しもないように 見える。
 ナユは目を下に向けた。さっきまでの威勢のよさが急にしぼみはじめる。髪のひとふさがしっぽのようにパタパタと彼のほほをなでた。兄の髪を指先でもじもじさせながら、少年はや けに小声で言った。
 「あ、兄貴・・・。もう一度―王宮に戻る気、ない?」
 相手の眉のあたりが不審そうに動いた。
 「もともと、おやじ―レパ王子の忘れ形見のイラム兄貴がこのこの国の正式なあととりだろ。兄貴が王位につくのを望んでいるひとは、今も大勢いるよ。兄貴さえその気になれば、い つでも戻れるんだ、それなのに・・・」
 「私は、僧侶になりたかったのだよ、ナユ。」
 相手のためらいの原因を、たぐいまれな髪の力によって少しづつイメージ的に把握しつつも、自分から指摘はせずに、やさしく兄は言った。
 「そーだよ。自分は王よりもボーズの方が似合ってますって、遠縁のパディ公に王位を譲ってフケちまってさ。」
 「逃げたわけじゃないよ。それに―」
 イラムはくすくす笑った。
 「それをいうなら、ナユ、お前も同じように王位継承権を捨てたではないか。」
 「オレは別さ!」
 また緊張がほぐれてきたらしく、少年の声には元気が戻ってきた。
 「兄貴と違って妾腹だし、人望まるでねーもん。」
 きっぱりこっきり背筋をのばし、自慢そうに弟はかえした。
 「兄貴がボーズなら、オレは一流の剣士になりたかったんだい!」
 2人の父はこの国の第二王子であった。第一王子が王位につき、子供亡きまま亡くなった時、父親はすでに亡くなっていた。当然わすれ形見の2人の兄弟に間近の王位継承権が 回ってきた。―が、2人とも辞退してしまったのだ。
 「お互い、自らの道を選んだのだ。・・・今になって―どうした?」
 イラムは―その必要はなかったのだが、数歩、弟にむかって歩んだ。彼が動くと取り巻くオーラがゆれ、見慣れているはずのナユすらファッと不思議なめまいに似たものを一瞬覚え た。
 「パ、パディ王が亡くなった。毒殺されたんだ!」
 ナユは叫ぶように一気に言葉を押し出した。
 「王が、―毒殺?」
 「殺されたんだ!」
 「誰に?」
 「強烈な感情の起伏が弟から伝わってきた。弟が話したかったこと。そして話すのすら辛いこと。
 「王の養女、フラゥン―彼女が犯人として逮捕された。でも、彼女は犯人じゃない!ぬれぎぬなんだ、誰かが王を殺してその罪を彼女になすりつけたんだよ!!」
 「大臣のドゥグマ・ゲン、か。」
 自分が言うより先に言われて、ナユは飛び上がった。兄が自分の髪の結界内にいる人間の心の流れを、必要とあらば読み取ることができるのを忘れていたわけではなかったのだ が・・・。
 「ドゥグマがやったんだ!」
 「でも、証拠はない―のだな。フラゥンが犯人だという証拠以外には・・・。」
 「彼女じゃない!!」
 ナユは立ち上がって足を踏みならした。もともと短気である。剣の師にたびたび注意されているくらい。
 「どうして―」
 イラムの、人に安心感を与える落ち着きぶりも、時と場合と人によっては非常にまだるっこしいこともあるのだ。2人の年齢差は実際は少しなのだけど大人と子供のケンカのように なることがあった。
 「ちょっと、待ちなさい、ナユ。」
 「待てないよ!」
 「私は瞑想の最中で、今初めてパディ王の死の知らせを聞いたばかり―考える時間を少し与えてくれ。そして、お前の知っていることを話してくれ。精神感応では情報を読むにはか えって不便だ。」
 「瞑想なんかにうつつをぬかしているから―」
 いいかけて弟は、兄の閉じた瞳から発する凛とした気を感じて口をしゅうと閉じた。彼だって、精神感応力で人々に奉仕する僧侶が、精神的にすり減りやすいこと、そして瞑想の月 がそのためのリフレッシュ期間であることは十分わかってはいるのだ。今2人が居るこの園には、何十人もの僧たちが自身の深い心の宇宙を旅している。傍目には眠っているか、 単にボケているくらいにしか見えないが。兄が瞑想月でも弟と交流できるのは、センサー代わりの髪の毛が“起きた”状態になっていたからだが、弟の方は無論そんなことは知らな い。
 瞑想の月―は、瞑想園に入っている者は、外部との交流を一切遮断している。外の出来事は伝えられず中の様子も同様。でなければ、その意味をなさないからだ。他者との精神 交流を遮断する月であるから。
 厳重な囲みをどうやって弟は越えたのか?
 ―しかし、ナユは子供の頃から剣士よりは密偵になった方がいいじゃないかと皮肉られるほどすばしこかったからな、と兄は思った。


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