季節は初夏から盛夏を過ぎようとしていた。
 その間にも、世界は終末にむけて時を刻んでいた。
 誰も天の印に気が付かなければ、そして現在のように通信網が発達していなければ、と思う。その後の世界のまさに末期的混乱ぶりは、まさに天災ではなく人災から発生したものだから。
 人類に与えられた数ヶ月単位での執行猶予期間は、神の福音ではなく、悪魔の哄笑だったようだ。
 いずれ死ぬとわかっていても、自殺でもしない限り、最後の日まで、人は生きていかなくてはならない。数年単位ならそれなりに計画もできただろうが、数ヶ月単位の残り時間は、何をするにしても中途半端過ぎ、座して死を静かに待つには長すぎた。
 日本政府は公式発表後―これはアメリカ合衆国の大統領声明直後、急いで追随したのが見え見えだった―激増した凶悪犯罪にあわてて、非常事態宣言を出し、取締りを強化すると発表した。が、取り締まる側も生身の人間、状況の変化に対処しきれず、哀しいくらい後手後手の一方だった。
 どうやら、この国は最後までこの調子で終わるつもりらしい。

 死の予定日を告げられた人間は、さまざまな行動を取った。
 海外では宗教色に染まった国も多く、キリスト教圏内では今回の空からの災厄を黙示録になぞらえている。中東はイスラム教内の宗派争いがさらに増した。アメリカは、物資の配給に人種差別があったとかが発端で、今まで取り繕っていた内部の膿が表面化して、賛美歌と銃声の響く混乱末期にはいった。
 日本といえば、おれの両親を殺したやつのように、他人を巻き込む迷惑自殺行為に走る者も少なくなかったが、目立たぬうちに日常社会を裏から静かに崩壊させたのは、世界がなくなるのに仕事なんかしてられるか、と職場を放棄する者の激増だった。
 かりに奇跡がおき小惑星がかすめた程度で済んだとしても、海岸地方は間違いなく巨大津波に見舞われる。政府はその時が来る前に、海岸地帯の住人に山間部に避難するように呼びかけているが、移動の援助も避難所も用意してくれるわけではなく、そのためには、自力で移動して、自力で避難場所を見つけて衣食住を確保しないといけない。この投げっぱなしの警告も混乱に拍車をかけた。都心部から人が逃げだすということは、つまり・・・。

 まだ目だって空に変異はない。異常気象の報告はあるが、このところ年々世界中で頻発していたから、それを考えると平年並みかもしれない。日本に限って言えば豊作の天気が続いていた。つまり、暑かった。
 友人に電話してから一月後に、東海道側でけっこう大きい地震があった。今までの地震に比べて特に大きいわけではなく、地震による直接の死者は3人に過ぎなかったが、すわ世界の終わりか、と動転した人々が起こした複数個所のパニックが原因で100人以上が亡くなった。この頃から少しづつ進行してきたあらゆる歪みが表面化し、日常は一気にガタついてきた。
 TVはこの頃になると新規CMがなくなり、バラエティ番組が目立って減少し、ニュース番組ばかりになっってきた。それでも報道しきれない事件が毎日たくさん起こった。携帯は通じにくくなり、ダイアルアップでつないだネットはTVの伝えない裏話を真偽は別にして伝えているが、今後電力事情が悪化すればそれで終わりだ。たえずメンテナンスを必要とする業種は、サポートする側の人口が減ったため支障をきたしていた。
 物資の流通が滞るようになった。
 車道は交通ルールを無視するドライバーが増えすぎて、特に歩行者にとっては危険な場所になった。犯罪の多発で警察機構は麻痺、留置所、刑務所は満杯状態だそうだ。首都圏の秩序の維持には自衛隊まで動員しているが、田舎では自衛団を作って現行犯をリンチするしかない。
 無謀運転の巻き添えによるトラックの事故が相次ぎ、休憩中のトラックが襲われて物資が強奪される事件も頻発し始めた。ガソリンも不足しはじめた。
 中東の原油生産国では宗教がらみの内乱・暴動があっという間に蔓延し、他国に輸出どころではなくなった。他の生産国は自国分の確保で精一杯。ガソリンは日頃家に買い貯めておくものではない。危険物だから個人の大量備蓄は元々禁止されている。国家&民間での石油備蓄は何ヶ月分もあるはずなので、理論的にはそんなにすぐ不足し始めるはずがないと思うのだが、現実は理論より非情なりき。
 あるところにはあるらしい。だがそれを原油精製・運搬・販売する流通機構が少しづつおかしくなってきているらしかった。前はどんな田舎でも、開いているガソリンスタンドにいけばガソリンが手に入ったのだが、慢性な品薄状態が続いている。
 食糧のほうはもっと深刻だった。地震などの災害時の緊急物資はある程度は備蓄があったが、何ヶ月も想定してない。とりあえず数日食いつなげる分だけで、そのあとはよそから運んでくればいいというわけだが、世界中がそうなった場合、誰が助けてくれる?食糧自給率はもともと最悪だった。食べ物なんて、金さえ出せば世界中から喜んで差し出してくるさ、そんな甘い考えは今回通用しない。自国の食い扶持を割いてまで外貨を稼ぐ必要はなくなった。日本が海外に展開した現地生産システムを、非常時だからとおさえてしまった国もある。すぐ飢えるわけではなかったが、スーパーからどんどん食品の品数が減っていく。

 山をふたつ越えた、国道が間を走る盆地には「町」と呼べるくらいの大きい集落があって、そこに学校・店・ガソリンスタンド・農作物の集散場が集っている。おれの村(市町村統合で一応ここの町に合併されてはいるんだが、変わったのは公的表記だけだ)は、そこから一車線の県道でさらに奥にはいったところにある。
 免許は持っているが、両親の車は事故で廃車になった。学生時代に坂道を押して登った自転車を復活させ、町まで買出し兼身近な噂話を聞きだしに行く。
 国道があるせいか、この町はすでに通りすがりの車の襲撃を何度か受けている。食糧やガソリンを狙った強盗は、別にこの町が目的ではなく、通過する際の補給でやられるらしい。自転車の点検を頼んだ親父がこぼしていた。すでに田舎だからこれ以上住民はどこかに逃げるわけでもなく、町はいっけん前とかわらず営業しているようにみえたが、青物以外の物資は入荷が遅れに遅れて、加工食品の棚はからっぽだった。
 ふだんでも住んでいる者しか進入しない県道ルート、そしてその県道からも小道で少し離れたところにあるおれの家は、平穏無事だった。貴重なガソリンを余分に費やしてまで行くほどの価値はないというわけだ。略奪しにくるようなやつらは、精米を除けば、缶詰やインスタント食品などの、かさばらず保存のきく加工食品をもっぱら狙った。

 雌鶏が何羽か庭をうろついている。
 卵が思うように出荷できなくなったため、欲しい人は鶏あげますと言ってるのを口コミで聞き、養鶏場からもらってきたものだ。人一人が食べる卵に不自由しなくなったが、こいつらのおかげで一気に家が一昔前の農家くさくなってきた。米は去年両親が収穫した自家米が十分あったし、畑から取れるものくらいは手入れと収穫くいらいはおれにでもできたので、自給自足でも当分やってけそうだった。田舎の孤立した一軒屋のため、親が日頃多量に保存食品、日常品を買いおきしておく習慣があったのも助かった。
 おれは子供の頃からわりと年寄り受けがよかった。過疎地域では子供のほうが目立つから、覚えられやすい。特に奇抜な格好もせず真面目にみえる=面白みのない外見、適当に相手にあわせる=個性のない性格が愛でられ、両親のなくなったあと、一人で気の毒と思ったのか、近所(といってもかなり離れている。スープが冷めないようにするには全力疾走が必要だ)の年寄り達が、なにかと寄ってくるようになった。以前はそんな田舎独特のおせっかい、馴れ合いが大嫌いだったが、その親切に依存する形でおれは生活していた。
 寄り合いにも出席した。じいさん達は、人生今までさんざんいろんな目にあってきた年の功のおかげか、あいかわらず危機感があまりない。自宅と畑にいる限り世界の終わる実感がわかないせいか。来年の植え付けの心配までしている。
「もしデマだったら困るからな。」
 来年はもうないというのに稲の手入れに余念がない。もう植えてしまったからというのが理由。ただ農作物を作っても流通の悪化で、出荷が難しくなった。なにより市場を往復するのに必要な車のガソリンの方がはるかに惜しいので、なんとなく需要あってできた、近所の物々交換市もどきが繁盛している。
 
 午前中近所の農家の手伝いをしに出かけ、手間賃代わりにお昼を馳走になり、お土産の初茄子をもらって家に戻ると、縁側に智佳子が腰掛けて待っていた。



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