終末を待ちながら


 その記事が最初に世に出た時、誰もが、よくある“終末学説”の一つだと思ったはずだ。
 おれもそのうちの一人だった。
 普通は表紙のいかにもなその手の雑誌の見出しに使われても、ワイドショーの見出しには決して使われることのない「人類滅亡の日迫る!」―これが単なるお騒がせ予言ではなく、まぎれもなく現実だと世間に認識される頃に、両親が死んだ。


 葬式のため、大学から郷里に戻った。
 新幹線とローカル線と数時間に一便のバスを乗り継いで、ようようたどり着ける山の中の小さな村落だ。
 葬式の方はすでに、同じ村落の、子供の頃からの顔見知りの年長者の手で要領よく段取りされていて、 おれは喪主としてただ言われるがままに従うだけで、気がつけば終わっていた。 両親の死はあまりに突然であっけなく、信じられない思いが強すぎて、当初は悲しいという気分にさえ、なかなかなれなかった。・・・なりたくもなかった。
 両親の車に正面衝突したのは、世界の滅亡をいちはやく素直に信じたやつの泥酔暴走運転で、暴走の動機を語ったあと、病院で息を引き取った。その後の世界の混乱ぶりを思うと、両親は終劇の幕開けにむりやりつき合わされたともいえる。二人は即死で―おそらく―苦しまずに逝ったことが救いだ。普通ならもっと悲しまなくてはならないのだろうが、順番が少し先になっただけなのだと。どうせみんな二人のあとを追う。
 全人類が。
 葬儀の最中も、あの話はなにかと話題に出ていた。じいさんばあさんのまったりした話ぶりは、よその惑星のゴシップのようにどこかのんきだった。
 無理もない。あの時点ではおれも半信半疑というよりノストラダムスの予言くらいの認識しかなくて、しびれる正座をこらえながら、たよりなく浮遊したような意識の中、大学に戻れるにはあと何日必要だろうと考えていた。
 だがおやじおふくろが先祖代々の墓になかよくおさまり、もろもろの片づけが済んで、 誰もいない家にひとりフウと落ち着けるようになった頃には、事態は急変し、終末を事実だと確信しえた世界は最後の大混乱の様相を呈し始めていた。
 その頃はまだ、TVはパニックに移行する都市の現状を毎日にぎやかに報道していたが番組編成は従来通り、普通に流れていた。CMもバカなバラエティ番組も。
 親のいないど田舎の一軒屋の家に一人いるのがだんだん苦痛になってきて、そろそろ大学に戻ろう、と身支度を始めたおれを凍らせたのは、大学の友人の電話だった。
 「こっちに戻るって?おい、何言ってるんだ。せっかく家に帰っているのに。」
 「ほんと、何もない山の中の田舎なんだよ。早く戻りたいんだ。どうせ世界が滅ぶなら、せめて都会で死にたいよ。」
 おれは軽く、でも半ば本気で言ったのだが、即座に罵倒された。ふだんは軽いノリが売りの友人の声が怒気をはらんでいた。
 「ばかやろう。日本政府の正式発表があって以来、どうせ死ぬのなら、何したっていいと直行で考えたやつが急激に増え始めた。おまえのご両親だって、そんなやつの暴走運転に巻き込まれたんだろ?人を殺したって、判決が出るより世界が消滅するほうが早いってことに、誰もが気がついたのさ。」
 「そんなにひどいのか。TVで見る限りそんな風にはみえないが。」
「ニュース報道は表現を相当手控えている。明らかに報道管制がしかれているな。パニックになるのを防ぐため、それからありのままに映せば、同調してさらに壊れた人間が増えるのを懸念しているんだと思う。」
 「・・・。」
「これからもっともっと、ひどくなる一方だろう。」
「そんなに、やばいのか?」
「ああ。もうじき人類滅亡だってのに、大学に真面目に通って何しようというんだ?」
 友人の声は、まるで誰かが横で盗み聞きしているかのように、低くなった。
「木田村優華、知ってるか?」
「ああ。」
 学生兼モデルをやっている、我が大学ではたぶん一番の有名人だ。
「2日前、真昼間のキャンバス敷地内、物陰でもないところで突然襲われた。襲ったのはもちろん同じ学生、目的はいうまでもない。止めにはいった一人がナイフで刺され、襲ったやつも他のやつに袋叩きにされて、ともに重傷を負った。木田村優華はショックで入院している。」
「なんだって。そんな大ニュース、TVじゃ―」
「だから言ったろう。その程度じゃTV報道されないくらいになってきてるんだ。」
 ネットには流れたんだろうが、葬儀のあとすぐ戻るつもりでいたから、パソコンは下宿に置いたままだ。実家はブロードバンド環境になく、携帯はなんとか圏内だが、帰省してからは気分的にいろいろあって、メールもろくにチェックしていなかった。
 おれが帰省する直前の頃までは、キャンバス内でこの先どうなる、の論議している姿はよく見かけたが、そこに危険な空気はまだなかった。通勤時間の街の風景もかわらず、いつもと同じように人々は通り行き交っていた。信じられなかった。
 そんなにも短期間で、人は変容するものなのか?
「納得いかないみたいだが、とにかく―そこにいろよ。田舎なら食糧事情も大して悪くならないだろう。都市は消費専門だ。食べ物を自分の口元まで持ってきてくれる流通が滞ってしまえば、すぐ飢える。
 もうすぐ世界が破滅するのに最後まで仕事に精を出す人間がどれくらいいるか、を考えてみるんだな」
「わかったよ。アドバイスありがとう。ただ、誰もいない家にいるのがキツくてね。」
「・・・そうだな。気持ちはわかる。だがおれも近いうちに実家に帰ろうと思ってる。公共交通機関がまともに動くうちに。おれんとこも同様の田舎さ。」
 友人には公認の彼女がいる。どうするんだと思ったが、その時は聞けなかった。
 「おまえのとこの大家に電話で話しておいてくれれば、おれが必要な荷物をそっちに送っておいてやるよ。今ならまだ無事に着く・・・だろう。たぶん。先になったら保証ないぜ。」

 電話のあと、しばらく呆然としていた。
 ついこの間まで、自分の故郷より身近に感じていた世界と自分との、終わりの始まりだった。

 大学に電話すると、こういう状況なので大学も休講が増える一方かと思われる、休学等の手続きは大学側でしておくから、さしあたって戻らなくてよいと至極あっさり言われた。職員のテープのように事務的で慣れた口調を聞いているうちに、もうおれの戻れる都会はないのかもしれない、と思った。

 下宿の荷物は友人の尽力で無事届いた。彼とはまだ都会にいる間は何回か連絡を取り合ったが、北の郷里に明日出発するという言葉を最後に連絡が取れなくなった。実家の電話番号を聞いておかなかったおれのミスだ。携帯が通じなくなっていた。


 夜。縁側に足を投げ出し、田んぼのカエルの合唱をBGMに、闇の中に浮かぶ初夏の星座を見る。
 まだ夜空は以前と変わらない。素人目にはそう見えるだけなんだろう。

 地球が所属している太陽系は、銀河系を2億年以上の年月をかけて一周している。その周遊コースの中に、地球生命にとってのデスゾーンが存在していたのだ。人類は不幸にも、自力滅亡もしくは太陽系脱出できるくらいの科学力を身につける前に突入を迎えてしまった。
 最初に一般に報道されたのが、約半年前。当時は小さなコラム扱いの天文上の発見、サイエンス・オカルトジャンルを賑わす程度の扱いだった。
 銀河のどこかに存在するという光エネルギーの帯、伝説のフォトン・ベルトは実在した! そんなものだったか。
 実際はそんなかわいいものじゃなかった。単なるエネルギーの帯ではなく、実体を伴った星間物質、小惑星(巨大な岩の塊。サイズはピンからキリまで)、宇宙の塵の帯。その中のひとつ、巨大小惑星が正面から地球に衝突するコースで接近してくる、これが確定未来予想図であると判明し、正式に公表せざるをえなくなったのが、三ヶ月前。科学もお粗末なものだと思ったが、宇宙からの脅威を見張る予算が、軍事予算に比べてあまりに少なかったことが最大の原因らしい。
 どう楽観的に計算しても、仮にかすめた程度でも、地球の表面は大変動を起こす。
 人類絶滅には十分すぎるくらいの。
 学会の総論では、数十億年にわたる過去の生物史から考えて、生命が完全に絶滅してしまうことだけはないだろうとの結論だけが早々に発表された。
 地球は過去5回くらい、生物の大量絶滅を経験している。最近では6500万年前の恐竜絶滅が有名だ。原因としては、隕石や彗星などの天体の衝突がよく挙げられてきたが、にわかにそれが現実のものとなった。運よく隕石が衝突しなくとも、星間物質の帯の中を宇宙単位―万年単位の―期間、通過するわけだから、大規模な気候の変動は避けられない。変化した環境や温度変化に適応できなかった生物層は、一掃される。粛清が起こったあとは、生き残った生物が再び進化と繁殖を続けていく。それが地球の生命の歴史だと。
 約2億5千万年前のペルム紀末では、生物種の90%以上が絶滅した。化石から、体重25kg以上の動物が生き残れなかった時期があったこともわかっている。基本的に変動期には、大型動物が真っ先に絶滅する。人間は大型動物であり、成人が25kg以下ということはない。
 巨大小惑星=巨大隕石がぶつかった衝撃波だけでかなりの人間が直接死ぬ。海に落ちれば大津波が世界中を襲う。かすめただけでも潮力異常で大変なことになるらしい。陸に落ちれば爆心地はもちろん瞬時に壊滅、周辺地域では大火災が起き、重力の変動で、大陸単位の地殻変動が起きる。そのあとも最低数百万年単位で空と大地の変動は続く。
 だから今回は、正確にいうと「地球滅亡」ではなく「人類滅亡」らしい。が、人間と地球の重さが同じと考える人間には同じこと、人類であるおれ達にも同じことだ。生命そのものはタフだ。たとえ単細胞生物発生からやり直すことになっても、いつかは甦る。
 CGを駆使したハリウッド映画のカタストロフィー・シーンを想像させる展開だが、残念なのは、その後ミサイルを小惑星にぶち込んで粉砕するとか、解決策は映画のようにはいかないことだ。自然は人間の都合のいいように動いてはくれない。核ミサイルは目標はあくまで地球表面設定、軍事大国がこっそり人工衛星に仕込んだものがあるとしても射程距離はしれている。高速で正面から突っ込んでくる巨大小惑星を地球の重力圏内で破壊すれば、砕けた瓦礫が隕石群となって地球に降り注ぎ、下手すると一個の時よりも悲惨な結果になりかねないらしい。地球から離れた遠くでなんとかするための、宇宙船も施設もない。あと粉砕せずに当ててコースを変えるとか、地球に来る前にほかの外惑星に衝突させるようにしむけるとか夢想的な意見だけはぞくぞく出ているが・・・どうやって?人類は木星に到達もしていないのに。
 太陽系は以前から―ひょっとすると人類の文明発生の頃から―すでに死の帯に入り込んでいたのではないかと、今頃になってもっともらしく論じられている。デスゾーンにも星間物質の濃淡はあって、今まではそれを通過していても影響もない程度の希薄なゾーンだったが、ここにきて巨大小惑星も含めた濃厚なゾーンに入り込んだのだと。近年の地球規模の異常気象は、その前哨戦だったらしい。後付で、わかったところでより最悪になるだけのことばかり増えていく。
 小惑星群第一陣は、あと数ヵ月後に地球軌道圏内に入る。そう。地球に衝突する可能性のある小惑星は一つではなく、接近するにしたがい、最初に見つかったでかいやつの周辺にさらに幾つかが発見された。だから万が一直撃を免れても、それで青い空を眺めつつ笑ってエンディングというわけにはいかないのだ。

 残された時間は、日本政府の発表では、あと半年くらいらしい。正確な衝突日時はもう少し接近しないと確定できないということだが、もうわかっていて、あえてギリギリまで発表しないつもりなのではないかと思う。各国の政府発表・民間の研究機関の計測でも、未確定要素部分をどれくらい推定加味するかによって、数ヶ月〜一年弱の幅がある。

 来年の初日の出を見ることはないのだろう。今年の正月、帰省した時の両親の笑顔を思い出した。おれは泣いた。



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