お隣の死体 |
どうぞ、奈保。 お茶でも飲んでいってよ。 わたしのアパートはすぐそこなの。 終電まで、まだ時間はある? ほら、ここ。 汚いとこだけどね。 花荘なんて名前だけはきれいだけど、 ごらんの通りの築十何年のボロアパートよ。 でも駅から近いし、静かなの。 お隣も二階も、同じ警備会社の夜勤の人が借りているから。 ごらんの通り、深夜とはいえどこも灯がついてないでしょ。 だから夜は、ほとんど借りきり。 まあ、女一人ぶっそうといえないこともないけど、 壁の薄いアパートで騒音を気にしなくてすむしね、気楽よ。 あなたに会ってびっくりしたわ。 大学の研究室の飲み会か。 今は教授の助手。 あいかわらず、研究熱心なのね。 わたし…今まで仕事よ。残業で遅くなったの。 え。 あなたもここに住んでたの。 奇遇ねえ。 新館の椿棟のほうか。あそこ? じゃ、私の部屋の隣ね。建て増ししたほうの。 6年前って……じゃ、大学の頃。 はいって。 お茶はなにがいい? 夜遅いしそろそろ肌寒いから、 ハーブティでも入れましょうか。 明るいところで見ると、あなた少し酔ってるみたいだけど。 そうじゃない? もらいものだけど。はい、クッキー。 先月の同窓会。 同窓会かあ。 わたし、ちょうど急用があって出席できなかったのよ。 ごめんなさい。行きたかったんだけどね。 みんな元気だった? もう結婚している人も多いでしょうね。 卒業して5年もたってるんだから。 悦子、結婚してからそんなに太ったの。 モデル志望で、あれだけスレンダーだったのにね。 ほかに、変わった人いた? 大田寿志。 彼がどうしたの。モテていたわね、彼。 あら、奈保も夢中だったじゃない。顔が赤いわよ。 有名な話よね、 就職して早々、取引先の会長の美人令嬢に見初められて、 あっという間に逆玉の輿。 変わったって……まさか、ハゲはじめてたとか。 へえ。 そうなの。うわあ。 二次会で本多くんが聞き出して、メールでみんなに。 奥さんがノイローゼ気味で、鬱病で病院に通院。 死にたい、が口癖で、 時々ふらりと居なくなって大騒ぎになる。 二次会途中で、奥さんからのメールが来たとたん、青くなって帰っていった。 ハゲてはなかったけど、十くらい老けてみえるくらい、やつれてた。 はああ。 世の中なかなか、うまい話はないものね。 ? 何見てるの。さわったりして。 そんなとこ。 古いアパートだから、あちこち傷んでいるのよ。 家具で隠せばよかったんだけどね。 あなたの居たのは椿棟のほうだから、こっちよりはきれいだったでしょ。 あとから桜棟に隣接して建てられたものだから。 ここにいつからって? 半年くらい前かな。空きができたと、物件紹介されて。 そうよ。 引っ越してきた時、その板壁のところ、四角に化粧版が張ってあったの。 壁が破れたところを、素人が応急処置でごまかしたみたい。 家具で隠せばよかったんだけどね。 入居する時も、大家には特に何も言われなかったし。 あちこちつぎはぎだらけだもの、このアパート。 隙間? 外から見てヘンに思わなかったかって。 別に。 なんのこと。 はあ。あなたはこの壁の向こう側―隣に住んでいたの。 隣は椿棟ね。 で。 ある時、外から見た時と、中に入った時の構造に違和感を覚えた。 わからないわ。 つなぎ目? 出入り口横の渡り廊下ね。廊下って言えるほどでも。ただの段差じゃない。 あの段差の分だけ、ふたつの建物は離れているはずって。 じゃ、 桜棟と椿棟の間に、外からは見えない隙間があるというの。 なんらかの理由で、 二軒は少しだけ離して建てられて、 あとから外壁を張って、ひとつの建物のようなつくりにした。 それで住民も気がつかない、中途半端な空間ができた。 言われてみれば……そんな気もする。 物音? お隣はーあなたの昔いた部屋ね―夜勤業務の人で、夜はいないの。 気にしたことは、ないわ。 家にいる時間帯がすれ違っているから。 でもまあいいじゃない。空間分、静かってことで。 どうしたの、そんな怖い顔して。 なにか、問題があるの。 このアパートのうわさ? いいえ。 近所付き合いなんかないし。ここの住人同士も、みんな、そうでしょ。 なにかあったの? 五年前。 あなたがこのアパートにいた時のことね。 お隣……つまり、わたしの部屋のことか。 当時いたのは、オタクっぽい山岳部の大学生。 なんだか想像しにくいイメージね。 近所の女子高校生が行方不明になって、 付き合っていたということで、事情聴取を受けた。 警察がアパートに来た時、あなたは部屋にいたのね。 本人は付き合ってたのは事実だが、振られたと言っていた。 参考人程度で調べは終わったらしい。 その女子高校生、 付き合ってたのはその大学生だけじゃない。 複数男性と同時に手広く交際していて、金ももらっていた。 いつ失踪というか家出しても、おかしくないタイプと状況だったから、 警察も型通りに一通り捜査したものの、 結局、それきりに。行方不明のまま。 今まで。 で、その学生は? え。 一ヵ月後に死んだって。 えええ、その大学生の部屋ってここでしょ。 そ。 死んだのは、山。一人で冬山登山中に転落死。 あ、 安心した。 …でも、自殺じゃないかとずいぶん言われたらしいって。 女子高校生が失踪して警察が来てから、ひどく落ち込んでたし、 遺書はなかったけど、妙に部屋が片付いていた。 ……。 何やってるの。 板を剥がすぅ! ちょっとやめなさいよ。 もしかしたら大学生が彼女を殺して、死体をここに隠しているって……ええ! あの頃、時々隣の壁のほうから、何か擦るような不審な音が夜中にしていた。 壁の中を何かが這うような。 隙間があることは気がついてたけど、確信が持てなかった。 卒論が終わって落ち着いてから確かめようと思ってたら、 お隣が先に死んでしまい、部屋はしばらく封鎖状態。 どうしようかなと思ってるうちに、 アパートの契約が切れて、引越してしまった。だからって。 うそでしょ。 やめてよ。 確かめたい。今夜まさにあなたの部屋に招かれたのは、運命。 それはあなたの運命、わたしのじゃない。 そんなものが見つかったら、わたし、もうここに住んでられないじゃない。 聞かなかったことにするから。 あなた、酔ってるのよ。 確かに酔いは残ってるけど、頭は冴えている。 わたしがおかしい。 死体が傍にあるかもしれないのに、平気なのかって。 だって……。 ……。 もうっ。 いいわよ。 そんなに言うなら。 あとできちんと片付けてちょうだい。 それから、 のぞいて気が済んだら、なにか奢ってよ。 打ち付けてある釘ももう錆でボロボロ。 引っ張ったら板ごと簡単に抜けそう。 やだなあ。 あとで片付けるの手伝ってよ。お願い。 開いた。 う、空気カビくさ。 ……。 ほんとだ。 隙間がある。 向かいの壁はなんとか見えるけど、下のほうは暗くて。 床下まで見えない。 懐中電灯? 防災用のライトなら、去年台風のあと買ったのが流しの下に。 はい。 気がすんだ? 何固まってるの、奈保。 どうしたのよ。 まさか。 ちょっと。なんとか言ってよ。 自分で見ろって? わかったわよ。 かなり深いわね。地面が見え うそ。 あれ、何なの。 サンドバック? 大きな袋が底に横たわっている。 ……人を一人詰め込んだくらいの、大きさ。 ! 袋の外、手前に落ちてるの、 どう見てもセーラー服のスカーフ…。 まさか、本当に。 じゃ、その女子高校生は殺されて、ここに。 何するの? ちょっと待ってよ、今すぐ警察なんて。 お、落ち着こうよ。 ええと… コーヒー入れてくる。 持ってくるまで、通報しちゃダメよ。 はい、お待たせ。 飲んで。 ミルクとブランデーをたっぷり入れたわ、あなたの分も。 少し濃かったかな。ミルクも追加する? と・に・か・く。落ち着く時間をちょうだい。 そりゃ、あなたは遊びに来ただけだから、 警察が来て何をしようが、かまわないでしょうよ。 帰ればいいんだから。 でも、わたしは、ここに住んでるの。 あなたと違って、実家は遠い田舎なんだから。 通報してごらんなさい、 警官だの鑑識だの部屋いっぱい押しかけてくるに違いない。 一晩中ガヤガヤ調べるでしょう、 わたし、どこで寝ればいいのよ。 あなたのとこに泊まればいい? 終電までに開放してくれるかしら。 パトカーであなたの家まで送らせればいいって。 ……。 そういう手もあったわね。 そうさせてくれる? ありがと。 じゃ、 いえ、まだ待って。 この部屋少し片付けさせて。 ほら、下着、部屋の中に干してるのよ。 むさくるしい男がいっぱいやってくるんですからね。 近頃は警察も、個人としてはあまり信用できないし。 貴重品置いておきたくないわ。 わたしのしたくができてから、通報してね。 パジャマも持っていっていい? 奈保? ……。 困るのよね。 行方不明だった高校生の死体が、 若い女の住んでいる部屋の、壁の隙間から出てきたなんて。 どう考えてもTVニュース沙汰、ワイドショーネタになる。 警察も取材も押しかけてくる。 奈保。 ああ。薬効いたみたいね。 大急ぎでコーヒーミルで砕いて混ぜてみたんだけど、 こんな形で予行演習をすることになるなんて。 落ち着いて…とりあえず休んでちょうだい。 奥さんのことは、かなり広まってるみたいね。ありがたいわ。 寿志さんがじょうずにやってくれているみたい。 同窓会でも、それとなく吹聴しておくよう言っておいたから。 うまく広まってるかどうか気になって、あなたを呼び止めたんだけど、 おかげでとんだことになったわ。 たしかに奥さんはもともと鬱の傾向があって、不眠症。 リスカ経験者。 寿志さんが病院に行くのを勧めて、通院している。 といっても。 死にたい死にたいとか、周囲に触れ回ってもいるけど、 ほんとは死ぬ気なんかまったくない、なんちゃって鬱。 ただ、まわりに心配してもらいたいだけ。 本気で死ぬ気なんかまったくない。 鬱を理由に家事はしない、遊び歩いているばかり。 新婚早々から振り回されて、神経性の胃潰瘍になった寿志さんより、 放置しておけば、ずっと長生きするわ。 父親の会長は、 自分の手に負えないわがまま鬱娘の管理を、娘婿に押し付けたのね。 わたしは別の病院で、 奥さんがもらっているのと同じ睡眠薬を、 不眠症のふりをして、同じものを処方してもらった。 前これを飲んでよく効いたからと薬の空ヒートを見せてね。 ……寿志さんからもらったのよ。 よくある睡眠剤だから、医者はなんの不審も抱かなかった。 奥さんのほうは本当の不眠症だから、きちんと薬を飲んでいる。 でもわたしはまったく飲んではいない。 そしてためた分は…… 彼の奥さんは全部飲みきらずに、ひそかに貯め込んでいだということになる。 ノイローゼが昂じて、一度に大量に服用したあげく、 ある夜、車で防波堤から……。 いえ、ただの筋書きよ。近い未来の。来月の。 寿志さんと再会した時から、この日のために、どれだけ周到に準備してきたことか。 このアパートもそのために借りた。 出入りが人目につかなくて便利なのよ。 あなたがここに入るのも、誰も見ていなかったでしょう。 そして下準備、根回しを重ねて、 ようやく来月あたりに決行しようと思っていた矢先。 同窓会にも行くのを我慢したくらいなのよ。 寿志さんは顔に出やすいタイプだし、 私達の関係を、あなたのような人に勘ぐられる危険は冒せなかった。 だからね、こんなことで警察にかかわりたくないの。 絶対に。なにがなんでも。 加害者でも被害者でもなくてもね、同じことよ。 現住人ですもの、あれこれ聞かれると思う。 警察にも、周囲にも、顔を覚えられる。 これから殺人を企てる予定の人間にとって、もっともありがたくない事態だわ。 目立たない生活を意図して続けてきたのに。 ほとぼりが醒めるまで、またどれくらいかかることか。 アパートも借り直さなくちゃならない。 ……もう待つのはいや。わたしも、寿志さんも。 あなた、黙っていてくれと頼みこんでも、 おとなしくしてくれる人じゃないし。 昔から、そうだった。 悪い人間ではないのはわかってるけど。 ふう。 さてと。 もう、面倒な仕事を増やしてくれたわね、奈保。 これからどうやって……。 そうだ。 その前に、この、前住人のアレを。 棒。長い棒、なかったかしら。 この掃除用伸縮棒がよさそう。 動いた。 以外と軽い。重そうにみえたのに。 やだ、袋の口が開いたじゃない。 ……。 なによこれ。 女物の…… 下着と。 これは、ブルマ? ぎっしり。 中身は…女ものの衣服、それもほとんど下着ばかりだわ。 なんだ、死体じゃなかった。 ……。 きっとこれ、 自殺したらしい学生が集めていたんだわ。 下着泥棒も兼ねてたんじゃないかしら。 そうに違いない。 下着の柄とサイズ、バラバラだもの。 うふふ。 確かに、 こんなものをそのまま部屋に残しては、死ぬに死ねないわ。 奈保、悪かったわね。 大きな勘違いだったけど、結局あなたは間違ってはなかった。 死体はここにあるもの。 あなたの。 さあ、急がなきゃ。 仕事は完璧に、がわたしのモットーなの。 動物の死体の保存法を載せたサイト、見つかるといいんだけど。 |