掲示板  

 

彼女は、孤独だった。

子供のころから、本を読むのが好きだった。しゃべるのが苦手で、一人で好きな本のページをめくっているほうが多かった。同級生が「なにそれ?」「たいくつ〜!」と一言で片付けるような、純文学や古典文学作品を好んだ。

もともとの内向的性格、そして周囲に同じ読書傾向をもつものの皆無。

田舎では都市部よりずっとメディア指向が強い。はやりでないものを趣味にもつものはすぐ「変わり者」の烙印を押されてしまう。美少女でありさえすれば少々“かわって”いても大目にみてもらえるものだが、あいにく彼女はそうでなく、内気さが陰気くさい印象を与えるだけだった。

数少ない友達(といっても、趣味があったわけではないが)と高校に入る時別れてしまってからは、語り合う友もなく、みんなが好む話題についてゆけず、かといって興味のまるでない話題にうまく合わせることもできぬまま、孤独感を深めていった。本人が意識せぬまま。

インターネットの普及は出版業界にも大きな変化をもたらした。TVゲームも興味ない彼女だったが、活字を通してその世界の拡がりを感じていた。学校にも端末はある。ただ、個人がすきに使えるものではない。田舎では自分が買わない限り、アクセスできる端末がきわめて限られているのだ。

雑誌で自分の好きな作家のサイトの紹介を読み、回線ひとつでつながる情報の世界にひかれていった。

一人娘に急にパソコンを買ってほしいと哀願され、両親は最初は定番的な拒否をしたが、ふだんはおとなしすぎるくらいの娘の必死の頼みについに折れた。最新式でなく安く買える前の型のデスクトップ、電話代は自分もちということで。

 

彼女は孤独でなくなった。

 

はじめのうちは検索エンジン、雑誌で紹介されたアドレスの直接入力などで、好奇心を満たしていった。好きな作家(注:流行作家ではない)の本人のサイトを訪れ、どきどきしながらメールを送った。なまじ相手と顔見知りであったなら気後れしてとうてい不可能な行為だったろう。少しして丁寧な返信がメールBoxに届き、彼女を狂喜させた。

検索しているうちに、そういった作家や作品を個人で支援しているサイトの存在を知った。そこを訪問し、いわゆる“掲示板”を見、彼女と趣味を同じくするものの熱い交流の場に触れた。彼女は十何年かめの人生にして、初めて自分のおもいを理解してくれる人に巡り合えたのだ。

しゃべるのは、たとえそれが自分のもっとも好きなテーマでもうまくできなかったが、活字のかたちでは彼女はかなり雄弁だった。好きなHPをネットサーフィンしているうちに、“友達”もできていった。顔も見たこともなく、年齢もばらばら、だけど彼女にとっては、毎日学校で顔を合わせている、会話のかみあわない誰よりも大切な親友になった。

その中のひとりが自分のHPをもつことを熱心に勧めた。無料でスペースを提供してくれるところ、友達もそこの住人だった。はじめはしりごんだが、それの知識がなくてもブラウザ上の操作だけで簡単に作成できるそうで、事実、そうだった。

「掲示板があれば、わたしも遊びにいって、書き込んでおけるから・・・」

自分のHPをもったことは、彼女の精神にかなりの変化をもたらした。いままですべてにおいて消極的立場にたたされていた人間が、はじめて“ホスト(ホステス)”の側にまわったのである。プロフィールと掲示板とお気に入り紹介くらいしかなく、来客は、これまで彼女が訪問していたサイトの住人がほとんどで微々たるものだったが、彼女にとっては、それで充分だった。

心を同じくする者との交流による活性化は、当然外面にも変化をもたらす。学校でも「・・・さん、最近みょ〜〜にあ・かるくなったと思わない?」「オトコでもできたんじゃない?」といつしかささやかれるくらいに。(パソコンを買ったことは誰にも話してなかった)

世界はすこしづづ、かわりつつあった。

が・・・・

ある朝、信号の変わる前に交差点をまがることに気をとられていた車が、彼女を自転車ごと跳ね飛ばした。

 

ここは・・・。

なにも見えない。    誰かの声が聞こえる    ここはどこ?

・・・そうだ、わたし、車にはねられたんだ・・・ここは病院?

まぶたがあかない   からだが動かない     いま何月何日なの?

 

彼女は重態だった。意識はほとんど混濁状態で、背骨を損傷したため体も動かせなかった。

混濁した状態が続く中、彼女は、自分のHPのことを思った。

みんな、心配してるだろうな・・・・

意識は朦朧としていたにかかわらず、彼女は愕然とした。(もちろん、からだはぴくりとも動かなかった。)ネット友達は―彼女の戸籍上の本名、正確な住所を知らない。電話番号も。プロフィールにはネットネームと詳しい趣味傾向がのっているだけだ。教える必要が今までなかった。全部ネット上のやり取りで事足りていたからだ。彼女が事故にあったことなど、知ってるはずがない。かりに新聞に事故の記事が載っていて、それを見たとしてもそれが自分だと―わかるはずがないのだ。

HPをもっていることは、両親にも秘密だった。パソコンはそのままになっているだろう。

 

どうして、学校の誰にも―言わなかったんだろう   そしたら わたしが事故にあったことを掲示板に書き込んでくれたかもしれないのに   わたしがこれなくなったわけを

どうしよう   みんな   待っているだろうに   怒っているかもしれない

きっと  おこっている   きゅうに   みんな   ごめんなさい  ごめんなさい

・・・さんとあの本の話・・・続きのまま  ・・・ちゃんの自作小説できたらまっさきに読むって約束・・・・・     どうしよう     ああ せめて口だけでもきけたら

掲示板に・・・  わたしは   もう 二度と 来れなくなったって・・・ だれか

 

かみさま、どうか おねがいです  わたしを不誠実なにんげんのまま しなせないでください

わたしのともだちに    ともだち      わたしを

おね

 

 

あるネットサーファーがそのHPに飛んだのは、事故から数ヶ月後だった。

みたところ、そのHPは閉鎖寸前のようだった。彼がすぐ先に進まなかったのは、表紙のプロフィールに彼が敬愛してやまない作家(かなり、マニアック)の名があったからだった。

掲示板を見てみると、どうやらこのサイトの管理者は途中でこのHPを放棄してしまったらしい。なじみの訪問者のコールにも答えず。 あきらめたらしく、訪問者が最後に書き込んだ日付はかなり前だった。

惜しかったな 結構面白いやりとりしているのに。

彼は次に行こうとして、ふとまばたきした。最後の日付は訪問者ではない。管理者のネームになっている。三時間前のものだ。一行、一単語だけ。              

                   さようなら

それは、なぜだかひどく彼の心に触れた。彼は思わず掲示板に書き込んだ。

さようならなんて、悲しいじゃないか。ぼくもあの作家は好きだ

友達になろうよ

発信した。

数日後、気になった彼は、ダメもとと、履歴からそのHPのアドレスを見つけ出しクリックした。

画面全体が一瞬まっしろになった。小さく文字が浮かんだ。

それから「このURLは・・・・存在しません・・・」の、サーバーの画面になった。

しかし彼には画面の切り替わる一瞬あらわれた文字が心に焼き付いていた。

 

                   ありがとう 

 

 

                   ―了―

 

 

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