片隅
―3―
じいちゃんはこう言ったのだ。
御神木に願をかけて、望みが成就したら、その御礼に“お社”を奉納しなくてはならない。
その“お社”があのケースなのだ。おれをさんざん苦労させたあのガラスケースは、高嶺の花だったお袋と首尾よく結婚させてもらえた親父が、感謝の意を込めて奉納したものだった。あの堅牢さと凝った外枠は、いかに親父が喜んだかをあらわしてるよな。
ケースは香りがもれぬよう厳重に密封され、壊さなければ中のものが取り出せないほど頑丈に作らねばならない。願をかけたい者はあのケースを壊して香を焚いて祈り、かわりに新しいケースを寄進する。そして代々受け継がれてきたのだという。
おれは興味持って聞いてみたんだ。
「でも・・・もし、ケースを新しく作らなかったら?」
じいちゃんは細首がねじれんばかりに首を振った。
「それは絶対しちゃいかん!神罰が下るんじゃ、健太。恐ろしい・・・」
「どんな?」
じいちゃんの話すところによると、奉納を怠って神木の怒りをまねくと、その家のあと継ぎの息子が死に絶えるのだそうだ。
「でも、おれとか・・・結婚してなくて息子いなかったら?」
「男親が死ぬ。このご神木は男しか願いを受け付けないんじゃよ。そのかわり祟るのも男に対してだけなんじゃ。」
つまり、もしおれがあの木切れをほったらかしにしておいたら・・・
親父が死ぬんだ。
ほっとくだけで。
何かするわけじゃない、おれは何もしないんだ。
離婚が暗礁に乗り上げた状態になってしまったのは、親父もまたかってご神木に願をかけた人間だからだろう。
身近な人間同士が願をかけあったため、キーパーソンになっているお袋の立場が非常に微妙になった。おれがすんなり社長令息になるには親父の離婚同意が必要だが、、おやじはお袋との結婚を木切れに願っっている。両立しない。
おそらく親父が木切れに願ったのは、お袋の愛情ではなく、結婚という即物的なものだったに違いない。でなければこういうことにはならなかったろう。
ご神木はどっちを優先するんだろう。おれか、親父か。
・・・・・。
もし、おれが何もしなければ、選択の余地はなくなる。どうだい、ご神木?
めんどうなのとある種の期待とともに、おれはしばらくその問題を棚上げしておいた。ヒステリックになっている親父は、おれが外出しようとすると、お袋のところに行くんだろうとからんできたり、飲めもしない酒を飲んでグデグデになっていたり、クズ状態のままだ。
そして。
ある日、親父がいないのでのんびりTVを見ていた昼下がり、お袋からの電話があった。なにかひどく取り乱している。
おれはかすかなある種の予感とともに、問いただした。
だが、返ってきたのは思いもよらぬ言葉だった。
「あの人が・・・。」
お袋は泣きじゃくりながら、社長氏が、届いた新車の試運転中にスリップ事故を起こして亡くなったことを告げた。
なぜだ・・・!?
死ぬのは親父じゃなかったのか??
その時おれはわかった。
そう。
社長氏はその昔、親父のようにご神木なんかに頼らなかった。すでにお袋と恋人同士だったんだ。ご神木の呪力でお袋がわけわかからぬまま親父と結婚してしまったあとも、その関係はしばらく続いていたに違いない。
そして―おれが生まれた。
あの人はおれの本当の・・・。
唖然として立ちすくんでいるおれの耳元に、お袋の泣く声がずっと続いた。
お袋は戻ってこなかった。
遺言状のない社長氏の事業は会社単位で受け継がれ、財産も血縁者のものになった。お袋も向こうの家にはいられなくなったが、この家には戻らなかった。どうやら親父が今度は呪いのアイテムでも使用したに違いないと、本気で思っているらしかった。
親父は、相手の男が死んでもお袋が戻ってこないことが(当然の気がするが)ショックだったらしく、ふぬけのようになって酒ばかり飲んでいたが、半月もたなないうちに痛飲中に倒れ、病院に向かう途中の救急車の中で亡くなった。
病理解剖の結果、親父は以前から動脈瘤があって、それが飲酒やストレスで悪化し破れたのだろうと、医者が気の毒そうにおれに話した。おれは話を聞きながら思った。
これで、親父はお袋と一生結婚できたわけだ。
あの迷惑な親父のヒステリーも、ご神木としては意味があったんだ。あのままでいけば親父はいずれぶっ倒れ、お袋は合法的に結婚できただろう。または、おれが親父ではなく社長氏との子供であることを、お袋が相手に告白すれば、子供のないあの男は、たとえお袋と結婚できなかったとしても、おれをそのままにはしておかなかったろう。
お袋はごく最近まで、その可能性を思いつきもしなかったらしい(おそらく木切れの呪力のせいだろう)。だがあの男に会い、見比べているうちに、ハッと気がついたんだそうだ。
「あなたたち、ずいぶん打ち解けているようだから、かえって言いにくくて・・・。あの人にはいずれ打ち明けるつもりで・・・ああ、もっと早く話していれば!」
ほんとそうだぜ、お袋。
ことを急ぎすぎたおれが言える立場じゃないが。
お袋は親父の死後、結局家に戻ってきたが、気落ちして生彩がなくなり、すっかり中年女じみてしまった。
おれは有り金かき集めて、板金を家業でやっているダチに頼んで、そっけないが超頑丈な金属フレームと強化ガラスの特製ケースを作ってもらい、あの木切れを元通り密封した。そして、あれから閉じられたままのじいちゃんの店に忍び込んで、元通りガラクタの奥に押し込んでおいた。
じいちゃんがあの日、知ってることを全部話したという保証はない。男親が死んだそのあとどうなるか、聞いてはなかった。男だけに祟るなら、次は残ったおれが死ぬということは大いにありそうな話だ。あのケースのお社で御神体が満足するかどうかわからなかったが、今のおれにはあれで勢いっぱいだった。
社長令息になり損ねたおれは、しがない浪人生に逆戻りした。お袋は毎日ため息ばかりついている。
借地だったじいちゃんの店は売りに出され、中のガラクタは二束三文で古買屋に売り渡されたあと家は解体された。
あの“お社”はどう処分されたかしらない。だが今この世にまだ存在したとしても、おれが内底の裏に嫌味を込めて書き付けてやった「使用法」とともに、どこかのさびれた古物の中、店の片隅にホコリまみれで転がっているに違いないのだ。
*******終わり*******
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