片隅
―1―

 「あのケースの中にあるのはなんだい?じいちゃん。」
 オレは、店の奥のガラクタの危なっかしい地層の中を指さして聞いた。
まったく、フリーマーケットに出したって、買いたたく気にさえなれないしろものばかりだ。
 「どれじゃ。」
 「あの、木のケースだよ。」
 それがオレの目を引いたのは、ケースの枠が、じいちゃんの店の品物にしては、やけに立派に見えたからだった。彫刻が一面にしてある。中身の方は、暗いのと埃で何も見えやしない。
 じいちゃんは、もう50年もここで骨董の商売をしている。(もっともこの何年か、何かが売れた気配はない。)
 「どれどれ。」
おぼつかない手つきでケースを抜き出そうとする。ガラクタの雪崩を今にも起こしそうだ。
 「オレがやるよ。」
 「健太はやさしいのう。」
 上層のガラクタを取りのけるのに、けっこう時間がかかった。この手間に見合うお宝であればいいんだが。
 「おお、これは・・・。」
 オレはケースを表の方に持っていき、あまり埃がすごいので床の上に置いた。じいちゃんはボロ布で表面を拭いなが ら、しきりに何かブツブツつぶやいている。
 「それ、何だよ。」
 奥の流しで埃で真っ黒になった手を洗う。ばあちゃんがなくなって以来、じいちゃんはここで一人暮らしだ。オレはオヤジに頼まれて、時々様子を見に来てる。子供の頃からの慣習のようなものだ。オレが素直に従ったのは、ばあちゃん のくれるこずかい目当てだったけど。
 ケースの中の中には赤い布が敷いてあって、その上にあるのは・・・どう見ても ただの木切れにしか見えなかった。
 オレはがっかりした。
 TVで、よくお宝発見番組とかある。なんでもないガラクタが、すごい値打ち物だったってやつさ。
 ほんとに価値のあるものはとうに売り尽くされたと断言されている店でも、何か一つくらいあったってよさそうなものじゃ ないか。
 実際、祖父が亡くなったあと見つかった切手コレクションが、戦前の超レアものぞろいということがわかって家中大騒ぎになったヤツが、去年いたんだ。
 ただ、何百万の価値があるとわかったものだから、誰が相続するかってことで親戚中大もめになったそうだ。
 誰もそのコレクションのことを知らなかったのだから、生きている内にもらっとけばよかったと、ソイツは半年くらいぼやき続けていたな。
 だから、この店のどこかにお宝アイテムが眠ってるなら、早めにいただいておこうというわけ。
 こっそりもらっておけば、あとで無用なトラブルを避けられるというものだ。
 しかし、捨て損なったらしい昔の雑誌の束がけっこういい値で売れたほかは、 ほんと見た目通りの古物の山だった。(じいちゃんにくれと言って、もらったんだから、問題ないだろ?)

「太一のヤツ、捨てたと言っておったが、店に戻しておったのか・・・。」
 太一。親父の名だ。
「なあ、じいちゃん。独り言いってないで、これが何か教えてくれよ。」
 オレは我慢ができなくなって、じいちゃんの耳もとでどなった。
 「これは―香木じゃよ。」
 「コウボク?なんだい、それ。」
 「昔の人が使っていた、焚くとよい香りのする木のことじゃよ。」
 「お香みたいなもんか。」
 姉ちゃんが以前、その手のアロマグッズに凝って、コーンみたいなお香をやたら焚いていたことがある。 こっちは、煙たいだけで、リラクゼーションどころかストレスたまった。
 「ずいぶんと立派なケースに入ってるけど、珍しい物なのかい?」
 明るいところで見ると、このケースだけでも、ちょっとした値段がつきそうだ。
 「・・・それが約束じゃからな。」
 ケースを持ち上げ、ふと妙なことに気づいた。このケースには、中のものの取り出し口がない。 木切れは太い糸で底に固定されている。ガラスは分厚くしっかり枠にはめ込まれていて、どうりで上に物が積み重なっていても割れなかったわけだ。
 「どうやったら開くんだ?」
 「それに触るな、健太。」
 日頃の万事超スローモードの人間とは思えないような鋭い声が飛んだ。オレはあやうくケースを落としそうになった。
 「何だよ、じいちゃん。」
 オレは根気よく突っ込んで、ようやくこの香木とやらについての話を聞き出すことができた。だてに子供の頃から年寄りと付き合っていない。
 「これはな、ただの香木じゃない。神木じゃ。いや、ご神体といったほうがよかろうな。」
 「この切れっぱしが?」
 「ばかにするでないぞ。このご神体は恐ろしいほどのご利益を与えるんじゃ。ほんと恐ろしい―」
 「これがねえ。」
 年寄りは迷信深いからな。あんまりじいちゃんは、そっちには関心ないと思っていたが。ばあちゃんはうるさかったけど。
 もっとも、話そのものはおもしろかった。
 うさんくさい話なんだけど、少なくともオレの親父は信じてたらしい。ケースの不釣合いな立派さは、 話を裏付けしているようにみえた。
 だけど、オレが欲しいっていっても、大抵のことは(なにしろお気に入りの孫なんで)すぐ承知するじいちゃんが、 全然首を縦に振らなかった。

 じいちゃんが心臓の発作を起こしたのは、その日の夜のことだった。

 いつも朝早くから店をあけるのに、昼過ぎても閉まったままなのを、近所の人が不審に思ったらしい。
 発見された時はもう死後半日近く過ぎていた。
 我が家に連絡がはいった時、家にはオレとお袋しかいなかった。お袋はオレにすぐ行くように言った。
 「健太。あなた、昨日おじいちゃんの家に行ったんじゃなかった?」
 「行ったけど・・・別に変わったとこ、なかったぜ。」
 「私はおとうさんに連絡するから―先に行ってて。」
 遺体は病院にすでに送られていた。昨日まで(よぼよぼとはいえ)元気だった人間が、こんなにあっさり死んでしまうものなのか。
 オレはじいちゃんには悪いけど、そんなに悲しくなれなかった。めったに家にも行かず呼びもしなかったお袋の、 かなり作為的な悲しみ様を見てると、ますます白けてきた。もっともお袋はいまだに相当の美人だったから、 サマにはなってたけど。
 それを見てると、じいちゃんのあの話は本当かもしれないと思えてきた。
 あの、香木が気になった。
 病院では特にすることもない。オレは、じいちゃんの店をちょっと見てくると言って、霊安室を出た。
 「ご近所の人にお礼を言っておいてね。」
 「わかった。」

 店に着いた時は、もう夕方近かったけど、近所のおばちゃんおばあちゃん達がオレを見つけて、ガヤガヤ話しかけてきた。
 様子がおかしいので、店の裏口からはいったそうだ。住居側の戸は大抵鍵が掛かってないのを、近所の人は知っていた。
 「昨日はあんなに元気そうだったのにねえ。」
 「オレもまだ信じられませんよ。」
たびたび来ているから、オレが家の中にはいっていっても誰も不審には思わない。
 家の中は、昨日と特に変わったところはないようにみえた。電気をつける。
 香木のケースはちゃぶ台の上に置かれ、横には錆びた金づちが添えられていた。 じいちゃんはこのケースを壊そうとしたのだろうか?ためらって悩んでいるうちに 心臓発作を起こしたのだろうか?
 その可能性は大だった。
 とにかくこれをこっそり持ち出さないと。お通夜とか葬式になれば、お袋もここに来る。香木を見たら即捨てられるだろう。
 オレはあらかじめカラに近いスポーツバックを持ってきていた。それにケースを詰め込み、 そしらぬ顔して外に出た。近所のばあちゃんがまだ一人いた。
 「一郎さんも、お気の毒にね。健太ちゃんも寂しくなるねえ。」
 「今日はもう遅いので、また来ます。」
 明日以降は、両親がここを仕切るだろう。この古ぼけた骨董屋も二度と開店することはあるまい。人間ってはかないものだ。


 葬式も終わり、親父はかなり疲れた顔になった。結婚した姉ちゃんもちょっと戻ってきたが、二人目の子を妊娠したとかで、ゴロゴロしてばかりでお袋の手助けにはならなかった。
 「あんたも勉強しないと。来年落ちたら知らないよ。」
 よけいなお世話だ。好きで浪人しているわけじゃない。
 姉ちゃんは、男の目から見ても醜男としかいいようもない親父似で、よく二十歳過ぎで結婚できたと思う。性格も悪いし。(旦那はおとなしそうな人だから、きっと姉ちゃんが無理やりなんとかしたに違いない。)
 美人と評判のお袋似のオレは、高校時代は羽振りがよかったんだが、浪人決定以来どうもすべってばかりいて不調続きだ。
 彼女は志望校に受かってさっさと上京してしまい、夏休みも向うでバイトがあるからと戻ってきもしない。ひまはあるが金もないから遊べない。かといって毎日毎日勉強ばかりしていられるもんか。こっちも辛いんだ。

 口うるさくて目ざとい姉ちゃんが帰るまで待った。こいつは可愛い?弟に対する配慮などまるでしないヤツなのだ。何か感づかれてチクられるとまずい。
 その間、オレは香木なるものについて調べた。
 わかったのは、この香木とやらは、線香よりはずっと奥が深いシロモノだということだった。
 東南アジアの特定の樹木の、芳香のある樹脂分が沈着して固まったものだそうだ。写真では やっぱり木切れにしか見えないが。けっこう値の張る物らしく、昔のもので正倉院にある 蘭奢待なる名香木は、値段がつけられないくらいらしい。じいちゃんの話がなくても、本物の香木なら、線香よりはずっと高そうだ。
  ただ、じいちゃんの香木、なにしろ完全密封された状態だから匂いが外からまったくわからない。温めてみれば香るとあるから、あの話を試してみるためにも、とにかくこのケースから香木を出す必要があった。
 ケースを壊さずに出したかったが、木枠とガラスは溶接してあるようにがっちり固く、あきらめて、じいちゃんと同じ方法を使うことにした。ガラスが飛び散るとやばいので、物置から青いビニールシートをこっそり持ち出し、それにくるんでから、日曜大工キットの金づちを振り上げた。
 鈍い音がした。


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