Control Baby Vol.3

 

「なによ、ここ?」

室内には2人以外に人の気配はなかった。一見したところ普通の研究室のように見えたが、専門家の目で見れば、置いてある設備すべてが最新型の最高レベル、しかも市販品ではなく特注ものなのがわかったろう。

「これを見てみろ。」

ドクターはボードを操作した。部屋の中央には表面が不透明な円筒形の設備が天井まで伸びていたのだが、急にその一部が透明になった。デラはそれを見ても驚かなかった。AAAライセンスを持つトップレベルのナースなのだ。むしろ、興味をそそられたようだった。

「脳の生体標本のようね。―あらまあ、ずいぶん、損傷を受けていること。」

かすかに黄味をおびた液の中に浮かんでいるのは、明らかに人間の脳だった。確かにしろうとでも判るくらいの大きな変色域がその脳にはあった。切除した腫瘍などの病理組織を、研究や薬剤投与実験のため生物学的に“生かした”ままでしばらく培養しておくことは珍しくはなかった。しかし人間の脳は、倫理学的見地から生体標本化はかたく禁じられているはずだったが・・・

「それは、あの少年の脳だよ。」

いつのまにかデラの背後から円筒を覗き込んでいたドクターがささやいた。デラは振り返った。

「何いってんの。フラールは元気でピンピンしてるでしょ。」

「彼の事故は、実際ははるかにひどかったんだ。このとおり、脳は見事に破壊されてしまった。」

特殊ガラス越しに脳の一部を指で指し示しながらドクターは言った。デラの翠色の瞳がたっぷり十秒は瞬きをとめた。上司兼恋人の男に向き直る。

「ちょっと待ってよ。これがあの坊やの脳なら・・・今、あのコの頭に入っているモノは何なの!」

 

「彼の頭の中には、今、政府の依頼でここのプロジェクトが開発中の人工頭脳が収まっている。」

「人工頭脳?」

「人工的に作り出された有機的神経組織の集合体だ。人体との親和性が極めて高く、移植に適している。脳のすべてをこの人工神経に置き換えることはできないが、不可能な部分はあらかじめ組織培養されたものをセットして組み込んだ。―基本的な部分は普通の人間とまったく変わらないよ。」

「・・・あっきれた。じゃ、記憶ないの、あたりまえじゃない!」

ナースの頭に、記憶が戻らないことを嘆いては途方にくれている少年の姿が浮かんだ。ドクターの方は、フラール少年が運び込まれてた時の修羅場の様子を思い出していた。VIPでもなし、そこそこの処置で(命が)終わるはずが、急に特別救命指令が下ったのだった。 ドロップアウトのControl  Baby。まさにうってつけの実験体。

「事故前の記憶は、こちらがあとで撮った公共施設や一般風景のショットくらいしか刷り込んでいないからね。あれ以上の記憶は出てはこない。」

「どうして、事故前の記憶をいれてあげなかったの?そしたらあんなに悩ませなくてすんだのに。」

「生身の人間の記憶はコンピューターと違って、直接脳から取り出して“送る”のは今の科学でもまだ不可能だ。人工脳はある程度記憶の刷り込みが可能だが、かといって15年分でっちあげた偽の記憶を入れても、いったん病院の外に出たら、すぐばれてしまうさ。どんな孤独な人間でも知人の何人かはいるものだ。」

「というより、彼は試作品だ。最初はへたに小細工をせず、しばらくそのまま様子を見るということになっていた。ただ、人工頭脳があんなに自分の記憶に執着するとは思わなかった。あれは今後の改良点だ。次回からは、あらかじめ初期設定で自分の記憶に固執しないよう、強制暗示をかけておく必要がある。」

「・・・・・。」

ドクター・ショウは、複数の人間に対して講義しているような手振りで脳を指さした。物言わぬが、まだ生きている脳。あの灰色の瞳の少年の体の、本当の持ち主。

「この人工頭脳の最大の特徴は―そこが政府サイドの最大の要望だったが―外部から波長を合わせた特殊な人工脳磁波を送るによって、その脳をControlできる、ところだ。」

「そんなことできるの?!」

「できる。強力な暗示波と思えばいい。試作品のあの少年でも、最小限―いつでも、死の暗示を与えることができる。

政府の考えでは(おえらがたのこと、はっきり口に出しては言わないがね。)もともと政府に所属するControl Babyや反社会的集団の人間を、人工脳に密かに置き換え、知能が高くかつ従順、必要があればいつでも抹殺できる政府の使徒集団を作る予定らしい。 プロジェクトでは・・・」

「それって、国家の最高機密でしょう?どうして私に話すの?」

相手の話をさえぎってデラは叫ぶように言った。あたりはあいかわらず人っ子ひとりいない。そして彼女は察しのいいほうだった。本能的にある種の危険を感じたようだ。

しかしドクターの表情は意外なことに―はにかんでいるようだった。

「君とずっと一緒にいたいためさ。言わないでいたら、君は知らずにあの少年によけいなアドバイスをするかも知れない。そうしたらこの病院から異動させられるだろう。

それは、困るんだ・・・」

デラは恋人に飛びついた。もう、彼女の心のどこにも少年への同情はない。男の心を完全に支配している女の、残酷なまでに美しい歓喜に輝いていた。

 

     *    *    *    *    *

 

季節は初夏から雨季の季節にさしかかるところだった。

いつもの中庭の窓。四角に切り取られた、狭い空。

 

雨。

ちっとも、進展なし。

ああ、ぼくがControl Babyでさえ、なかったら・・・・・きっと、どこかに家族のやさしい記憶が残っていただろうに。

ぼくがControl Babyでさえ、なかったなら・・・

 

少年の眼から涙がつたって落ちた。

外は雨が降り続いていた。本物の雨が。

 

 

 

 

 

 

 

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