Control Baby Vol.2
季節がひとつ過ぎた。ぼくの事故以前の記憶は空白のままだ。
病院側はぼくの記憶回復には熱心じゃない。Control Babyとしてのエリートコースを順調に進みながら自発的に社会から脱落した―そんなロクデナシに戻られてはまずい、と思っているらしかった。
記憶以外はちゃんと、回復中だ。
病院内のリハビリ・センターで優等生の毎日。これがけっこう楽しかったりする。
ドクターは、記憶が戻るのに時間がかかった場合、新しく形成された人格とのギャップで一時的な精神障害をおこす可能性があるから、病院にいたほうがすぐに適切な治療をうけられるといった。事務局の人は、政府優待保証の再登録がすめば、ここの職員としてなんらかの仕事を世話できるだろうと言ってくれた。みんな、今の―今のぼくには、親切だった。でも、あの、昔のぼくに戻ったとしたら・・・
そう。
ぼくは、だんだん記憶が戻るのが怖くなってきているのだ。
記憶が戻ったら―ぼくは―あんなになってしまうのだろうか?心も戻ってしまうのだろうか?極彩色の悪夢のような格好をして、シティ下層部の薄暗がりのなかを、グループに固まっては互いに抗争するしか心のはけ口がない、ストリートキッズの世界に戻らなければならなくなるのだろうか?
わからない・・・でも、ぼくは記憶を取り戻したい。
ぼくがぼくであることを証明するなにか、が欲しい。
ナースのデラさんがきたので聞いてみた。
「1年も昏睡していたのに、意識はどうやって戻ったの?なにか特別な治療をしてみたの?」
デラさんはベッドの微調整をしにきたのだ。ぼくはもう回復しているのだけれど、部屋はそのままだった。ぼくになにかして欲しいことはないかと聞いた後、仕事疲れなのか、部屋においてある椅子にこしかけて、ウィンドスクリーンに映った初夏の山と流れる雲を見ていた。長い脚をこっちにむけて組んでいるのでぼくはちょっとドキドキした。
「詳しくは、知らないわ。私、あなたが目覚めたあとでこっちに配属になったから」
デラさんは急にきれいな唇をきゅっとゆがめて言った。
「・・・それより、生命維持装置をつけてもらえていたことに感謝しなさいよ。」
「?」
「保証人のないふつうのストリートキッズなら、回復の見込みがないと即・断定されて、そのまま死んでるとこだわ。あなたがここに運ばれてきたのも、Control Babyだったからでしょうね。抹消されてはいても、記録としては残っているもの。政府の“親”としての責任で、特別処置が取られたんだと思うわ。あなた、本当にラッキーだったのよ。」
「・・・・」
ほんとに、ラッキーだったのかなあ。
「生きていればこそ、なんだってできるのよ。楽しいことだって、いくらでも・・・」
デラさんは、椅子から立ち上がって、ベッドに腰掛けているぼくの前に立った。いい香りがした。甘い・・・・
その時、病室のドアが開いた。ドクターだった。
「あ。デラ。ちょうどいい。ちょっと来てくれ。」
デラさんはなんだかむっとして顔になり、出て行った。
ぼくは、彼女の言ったことを考えてみた。確かに、そうかもしれないけど、でも・・・
* * * * *
「私、今日の勤務時間はもう、過ぎているのよ。」
二人は病棟の廊下をずっと、歩いている。一般病棟から、病院関係者以外立ち入りが禁じられているエリアにはいった。デラはまだ、仏頂面だ。
「知っているよ、君が時間にシビアだってことは。勤務時間外なのにグズグズしている時は、ほかに目的があることもね。あの少年が君の好みだってことも。」
「・・・・・妬いているの?」
デラはピンク色の唇をすぼめた。ドクターはにやにやしている。
「いや、別に。君が彼の肉体的社会復帰に協力することにはね。ただ・・・」
2人は密閉された大きな扉の前にきた。いつのまにかあたりに人影もなく、静まり返っている。医療研究棟の一番奥まったあたりらしい。なじみのないデラは怪訝そうに相手を見た。ドクターはドアの識別パネルに手をあてた。パネルは掌紋、指紋、虹彩パターン等を複合的にチェックし、本人であることを確認した。重い扉がゆっくり開き始めた。
「彼ともっと個人的に親しく付き合うつもりなら、知っておいて欲しいことがあるんだ。」
扉の奥は薄暗かった。かすかに機械音がする。