Control Baby
白い霧がすこしづつ、晴れていく・・・・・
視野がひろがる。白い天井。ベッド。
コードとチューブがまとわりついているからだを起こす。
どこかでシグナルが鳴る。やがて、何人もの人が部屋に流れ込んでくる。
ぼくは目覚めた。
* * * * *
「ほんとに、なにも思い出せないのかい?」
担当のまだ若いドクターは、何度目かの同じ質問をした。少年は首をふった。
チューブは取り除かれていたが、昏睡している間に筋肉がかなりおとろえているそうで、自力ではまだ歩行できなかった。ベッドの世話になっていた。
ベッドは完全自動型で、自分のフィールドに居る患者の様子をたえずモニターし、必要とあれば連絡し、プログラムされた適切な処置をとった。食事の世話から排泄までのあらゆることを、気の利かない生身の人間よりはずっと丁寧にこなすことができた。
半身を起こして何枚かの静止画像を見つめている少年の顔は線が細く、灰色の瞳には幾分か とまどいの色があった。
「これが・・・・・ぼく?」
どうやら公共街頭カメラ―犯罪防止策用と監視用を兼ねている―から切り取ったものらしい、やや荒れた画像には、漆黒のメッシュのはいった緋色の髪とフェイス・ペイントでくまどられた顔があった。目つきは不満の暴発を内臓しているようにきつかった。たしかに少年と同一人物とは、(人間の目で見る限り)思いにくい。
「まあ・・・1年も昏睡していたんだ。なにもかも急にというわけにはいかないさ。そのうち少しづつ思い出せばいい。体のリハビリと一緒だ。」
ドクターは、慰めるように行った。少年は小さくこっくりした。病室は個室で、大きな窓型スクリーンは季節とリンクしており、雪をいだく山が映し出されていた。
少年はもう一度画像を最初から見つめ始めた。
* * * * *
―でもぼくは、それからも自分が思い出せなかった。すこしも。
病院が入院患者用に作成するビジュアル・マスター・データを繰り返し、繰り返し見た。
自分の事故までのプロフィールをすっかり暗記してしまった。
フラール・クロニゼル。16才
政府登録ナンバー:ES−α3−45862031
これが、ぼくの名前。
提供卵子と提供精子の結びつきで生まれたいわゆるControl Baby。
提供時点ですべての親権が政府に移譲されているこども―永遠に両親はわからない。
専門の寄宿舎型スクールで育ち、12歳でAラインのハイ・スクール入学
14才でドロップアウト 同時に政府優待保証登録抹消
15の時、ストリート・キッズ同士の抗争で頭部骨折―意識不明 今にいたる
これがぼく ぼくとされているもの。
* * * * *
「なに見ているの?ボーイ そこはスクリーンないから、見たって何もないわよ」
リハビリ病棟のフロアの窓からは、病院の建物の四方の壁で囲まれた狭い中庭が見下ろせる。日射量不足にあえいでいるような貧相な樹が何本かのびているだけだ。少年は振り向いた。彼を担当しているナースだった。巻き毛の金髪と褐色ががった肌、ひすい色の眼は、確かに殺風景な窓の外の景色よりずっと生き生きとしてみえた。
「リストバンドが点滅しているのに気がつかなかったの?検査の時間でしょ。」
少年は歩けるようになり体力も徐々に回復してきたが、依然として華奢で、弱々しかった。ナースは検査室に彼を連れて行った。
この病院は、表向きは民間団体が経営しているようにみせてはいるが、実際は国営に等しかった。入院患者も政府が認めた者に限られているらしい。最新の医療研究所が付随していて、入院患者には政財界のVIPが少なくないという話だ。(病棟が違うらしく見かけはしないが) ナースは通称をデラといい、セクシィな外見とうらはらにナースの資格としては最高のAAAライセンスを持っていた。自動介護型ベッドの普及でナースは従来の3K業務から開放されたが、一方でそれらの機械類をあつかいこなせる能力と、患者の心のケアのためのセラピー能力が重視されるようになった。
彼女はそのセラピー能力を、おもに容姿で発揮しているように見えた。
「記憶なんて、むりに思い出そうとしなくても、必要があれば無意識にでも戻ってくるわよ。」
単調な検査の間、デラは時々話しかけた。
ドクターは、検査結果一覧画面をながめていた。監査だけは機械任せにするものではない。機械が完全に監査できるのは機械に対してであり、人間というものはずっと微妙なものなのだ。
「どこも、異常はない。」
「少なくとも、君はりっぱに社会復帰できるよ。」
ドクターは彼の記憶を強制的な暗示療法や再手術で取り戻すことには反対だった。脳への無理な介入は、今度こそ徹底的なダメージを脳に与えかねないというのだ。あのドロップアウト時の記憶を取り戻さないほうが本人の幸せかもしれないと、暗に、彼にほのめかすこともあった。あの画像を見たら誰だってそう思うかもしれない、当人を除いては・・・・・
「ドロップアウトのストリートキッズでなければ、政府カードの再発行の可能性は大きい。記憶が今後戻っても、とりあえず申請は記憶喪失のままで出しておくよ。いいね?」
医者の関心はもっぱら彼の社会復帰に向けられているようだった。
「でも・・・・ほんと、何も思い出せないんです。」
少年はつぶやいた。まるでそれが重い罪であるかのように。
「あの患者って変わっているわね!」
勤務時間外の病院のどこか。ドクターは緊急時にそなえて専用宿舎内に寝泊りしているが、ナースのデラの方は通いのはずである。
「どこが?」
お互い私服に着替えたあと。くつろいでいる。それも、相当。
「あの子ね、事故直前までの大きな社会的事件、生活習慣、メカニックの扱いとかはみ〜んな覚えているの。本人、意識していないみたいだけど。
個人的体験だけが、キレイにぬけてんのよ!
覚えてるでしょ。以前入院した人なんか・・・」
「心理的抑圧を伴っている場合、よくあることだよ。あの子の場合、記憶が戻らないほうがこっちとしてもありがたいんだが。あの昔の様子をみるとね・・・なのに思い出そうと躍起になってて気の毒なくらいだ。君からも、それとなくカウンセリングしてくれないか。」
「とうに、してるわよ。」
「君にはつねにぼくを満足させてくれる。」
「まあネ。私としては、あなたと組めてウレシイもの、ドクター。」
「勤務時間外は、ショウと呼べよ。」