名も知られぬ悪意



 こんばんは。
 ・・・
 いや、別にあやしいものじゃない。
 といっても説得性がないな。
 いきなり夜中に部屋にわいて出たわけだし。
 泥棒?
 そんなものじゃないよ。
 パソコンにさっきからしがみついてるが、
 いくら今それに向かって助けを求めても、
 誰も来てくれはしないと思うが。
 君の力は、
 匿名あってのことだろ?


 こっちも忙しいんでね。
 さっさとすませるとするよ。
 別に布告しなくてもかまわないんだが、
 それが私の仕事のやり方だから。


 久富真樹を知ってるかい?
 ・・・・それとも、もう名前も忘れたかな。


 覚えてないか、
 それとも、
 似たようなことをしすぎて覚えてないのかな・・・
 君は彼女のパソコンの中をかき回して、
 さんざん個人情報を盗み出した。
 本人のデジカメ画像、メールアドレス。
 それらを使って、
 たちの悪い攻撃を繰り返した。
 何を言うのかって?
 はは、
 身に覚えがないのなら、
 黙って聞いておけばいいだろう?


 彼女は自殺した。
 遺書は、
 紙に鉛筆で書かれていた。
 だから、
 君は内容を知らないだろう。
 君の触手の届く範囲は、
 世界中に拡がっているようにみえて、
 案外、狭いものなんだよ。


 オフで会うことを断った相手から、
 ネットを通じてできる、
 ありとあらゆる嫌がらせを受けた。
 ただ、それだけなんだけどね。
 彼女は、まったくの見知らぬ他人から、
 あそこまで悪意をもたれることに絶望し、
 それに耐えられなかった。


 ・・・その弱さが彼女の罪だといいたいのか?
 自分のせいじゃないと言いたいのか?
 証拠はどこにあるのかといいたいのか?
 ははあ。
 君は、彼女が自殺したことだけは、知ってるんだな。
 自分が取り込んだ彼女のデータと、侵入の痕跡はすべて完全消去。
 それで安全と思っていたのか。


 警察を呼ぶ?
 呼ばれて困るのは君のほうじゃないのか。
 君のターゲットは、
 久富真樹が最初で最後じゃないだろう。
 君の目の前にある電子の箱庭には、
 今、何がつまってるのかい? 


 彼女のご両親は娘の遺書を読み、
 初めて、娘に何が起こったかを知った。
 専門家に、
 残されたパソコンから君を追跡してもらおうと思ったが、
 君の隠蔽は完璧だった。
 ・・・で、私が呼ばれたわけだ。


 たとえ、
 どんなフィルターを通そうと、
 隠せぬものがある。
 それは、画面の向こうにある悪意だ。


 古来より闇の世界のみに居住し、
 一時は消滅しかかったものたち。
 だが、今になって
 彼らは、電子の闇の中に復活した。
 あのものたちには、いかなる物理的な攻撃も防御も通用しない。
 画面の向こう側にいる悪意に純粋に喰らいつき、
 それを咀嚼する。


 何のことか、
 今の君にはさっぱりだろうが、
 すぐにわかるよ。
 遺品のパソコンには、
 君の邪気が強烈に残っていた。
 あのもの達は、
 意気揚揚とデジタルの混沌を飛び越えて、
 悪意の根源に案内してくれた。


 で、今ここにいるわけだ。


 感じないかい?
 今、
 君の大事な、
 そのちっぽけな箱の中にひしめいているものを。
 かれらにとって、
 君のような人間の悪意は、
 この上なく美味しい餌だ。
 もう、そこから離れないさ。
 餌をやらずにおくことが・・・できるかな?
 そうそう、
 君に同業の友達がもしいるとしたら、
 警告しておいたほうがいいかもな。
 私の方も、同業者がけっこう増えてきてるんだ。
 しかも、
 布告せずいきなり始めるのが主流になってきてるし。


 じゃ。






 「なんなんだよ今のは。」
 男が消えたあと、部屋にいた人物は、
 しばらく目をこすったり、
 部屋の内鍵を確認したりしていたが、
 やがて彼の城であるパソコンラックに戻った。
 キーボードを打ち始めた時、
 ふいにデスプレイから血まみれの手がのび、
 彼の腕をつかんだ。



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