赤い猫








赤い猫の話を知ってるかって?
・・・知らない。
何それ。








赤い猫?
そんな色の品種の猫いるの?








赤い猫・・・。
やめろよその話。
いやだね。
誰か他の人に聞いてくれ。








赤い猫って何だよ。
おれ、どっちかいうとネコミミのほうがいいなあ。








赤い猫のことを知ってるかって?
ううん・・・。
そういえば去年、戸塚先輩が合宿の時言ってたような。
怪談話してた時。
でも知らないのよう。
私、ああいう話ダメだから、すぐ布団被って耳ふさいでたの。
戸塚先輩なら、ほら・・・あ、来た、あの人。








赤い猫のこと?
私も先輩に聞いただけなんだけど。
なんでも、
この大学のどこかにいるんですって。
いえ、赤い猫が。
見ると24時間以内に死ぬって。
もちろん、見たことないわよ私。
見てたらここにいるわけないじゃない。








赤い猫って。
私ネコ嫌い・・・。








赤い猫か。
なんでも大学実習で実験台になって死んだ猫の亡霊らしいよ。
真っ赤な血みどろの猫で、
見たら気が狂うらしい。
俺?
見たかもなあ。
ヒッヒッヒ。
いや、冗談だよ。わるいわるい。
でも狂った人が何人もいるらしいよ。
君らも見ないように気をつけろよ。








そうなの。
見たら24時間以内に死ぬんですって。
先輩の知ってる人が死んだっていうから本当よ。
でもね、
見たら死ぬってことを人から聞いてなければ、
見たって大丈夫らしいの。
かわいそうに。
あなた達もこれ聞いたから、私と一緒ね・・・。








知らないよ。
赤い猫だって?
確かに実験動物で時々ネコ扱ってるよ、
でもそんな話聞いたことがない。
デマだろ、デマ。
そんな話広めないでくれよ。
情報文化研究会?
まったく、人聞きの悪い。
教授の耳にはいったらどうしてくれるんだ・・・。








赤い猫のこと?
ああ、かなり有名な話らしいね。
話を集めてるなんて、オカルトクラブかい?
オレが聞いた話だと、
ネコそのものは見えなくて、
赤い足跡だけがね、こう、
だんだん近づいてくるんだってさ。
追いつかれたら最期なんだってさ。








赤い猫?
猫ならさっきあっちの方で見かけたぜ。
色はわからないけど、
赤くはなかったと思うけどなあ。






































はい、
ぼくはここのクラブの前部長、4年の青木浩次です。
現部長はまだ講義受けているんでしょう。
今日はもう講義ないんです。
ぼくでよかったら、お答えしますよ。
二人には気の毒なことをしました。
でも原因はぼくにはさっぱり・・・。
いたずらですって?
違います。
あの赤い猫ってのは、
このクラブの伝統行事なんです。
毎年、新入部員がやらされるんです。
ぼくもしましたよ。
ええとこの辺に―
見てください、毎年、新入生が作ったレポートです。
いたずらじゃないことはおわかりでしょう?
他の部員にも聞いてみたらいいですよ。

大学に『赤い猫』という言い伝えがある。
それを
キャンバス内で調査してまとめてこいと課題を出します。
タブー視されているうわさなので、
一人一人に直接聞くこと、
情報提供者の個人としての確認ができないネットなどの媒体は禁止。
インタビューした人間には、
『赤い猫』のことを聞いたことは、誰にも言わないよう念を押すこと。
ルールはこんなとこですね。
ほら、これがぼくが書いた分ですよ。


『赤い猫』って何か?
ぼくも知りません。
いえ、冗談じゃないですよ。
そんな話、ありはしないんです。
中身なしの名前だけ。
10年くらい前、先輩の誰かが思いついて始めたんです。
TVの殺人事件のもっともらしい目撃情報が、
いざ犯人が捕まってみると、まったく架空のものだった。
情報提供者にウソをついてる自覚はないが、
人間は、居もしないモノを暗示で容易に見てしまう。
それがきっかけだったと聞いてます。
情報文化研究会にふさわしいテーマでしょ?
インタビュワーがウソだと知ってると真実味がないから、
新人にやらせるようになったんです。
知らないやつにやらせるほうが面白いし。
これが去年の分。
あの二人が書いたレポートが途中まででも見つかるといいんですけど。


あ。
あったんですか。
・・・さしつかえなければ、見せていただけませんか?


はじめの何年かは、新人の度胸だめし的イベントだったそうです。
キャンバスでいくら聞いたって、
普通、何も思いつかないだろうし。
実際に起きた事件の犯人像とは違いますからね。
困って泣きついてきたら、種明かしというわけです。
それが少しづつ変化してきたのは、わりと最近ですね。
何年も続けていると、
その都度口止めしてるとはいっても、少しづつ広まるんですね。
ぼくの時は一人だけ、
赤い猫を見るとその人は24時間以内に死ぬんだって、と
声をひそめて言った女の子がいました。
喜んで報告したら、先輩にそんな伝説ないんだって言われて、
がっくりしましたよ。
でもその次の年には、
赤い猫が横切ると死ぬ、とか
猫と目が合ったら死ぬとか、付加部分が増えてました。
去年のなんか、
レポート用紙一枚分くらい解説してくれた人間がいたり。
まったく、都市伝説もそうですけど、
人間の空想力って大したものだと思いませんか?
・・・刑事さん、これで
平山と藤間に別に危険なことをさせたわけじゃないって、
わかってもらえたでしょうか。
キャンバス内での、ただの噂話収集ですからね。
他のクラブにはもっと過激な歓迎会、ありますよ。
最近は学校内も安全とはいえないけど、
それを言ったらどこでも―
先日も女子高校生が援交して―あれ、殺されたんですよね。
あ、お帰りですか。
この昔のレポート、持って帰らなくていいですか?















その夜。
青木浩次は、部室に一人残ってレポートを眺めていた。
後輩の部長には刑事が来たことを話し、
別に責任は追求されないだろうとなぐさめた。
部員みんなショックを受けており、早々に退出していった。
こっちは、
部室に刑事がいきなり来て、
内心冷や汗をかき続けていたんだが・・・。
やれやれ、危ないとこだった。
どうして殺された女子高生のことを口に出してしまったのか。
気になっていたとはいえ、
相手が疑り深い辣腕刑事だったら、とんだ薮蛇になるとこだった。
しょぼくれた刑事、管轄外なのか、
こっちが聞いてもまるで無関心だったから助かった。
あの夜、外で会った時、
伊野桃奈といたのを誰にも目撃されなかったのは幸いだった。
中学の頃からのつきあいで、
いい金づるだった彼女が、
援交をもうしないと言い出したのだ。
誰かははっきりしないが、
少し前から中年のおっさんと付き合っていることは知っていた。
金をうんと巻き上げてやれと命令したのに、
もう金は渡さない、それどころか俺と別れると。
よほどの金持ちを捕まえたらしい。
俺に回す分が惜しくなったとみえた。
言い争いになりもみ合って、階段から―
あのままなら事故とみなされたかもしれないのに、
その前に二、三発殴っていたのがまずかった。
顔面に直前の殴打のあとがはっきり残っていたから、
ニュースでも、殺人だと報じられてしまった。
援交のおっさんが疑われてくれたら助かる。
青木浩次はレポートを束ねると、元の場所にしまった。
この他愛もない行事も、今年の平山と藤間のものが最後になりそうだ。
無害なイベントでそれ自身に問題はないとはいえ、
死人が出てしまったら、来年以降は無理だろう。
レポートは途中までしか書かれていないが、
どうして二人揃って、
キャンバスはずれの施設増築工事現場まで行き、
コンクリートミキサーの中に飛び込んだのか。
ちょうど昼時で、作業員達は少し離れた処で休憩していたらしい。
悲鳴は聞えなかったそうだが、
機械の立てる音の変化にはすぐ気づき、戻ってみると、
すでに寸断されたものが混じった赤い流動物が、
ドロドロと流れ出してくるところだった。
目撃した作業員の一人は、
病院での要安静状態がいまだに続いているという。


「そろそろ帰るか。」
腰を上げかけた背後で、部室の戸口が軽くカタカタ鳴った。
青木は振り向いた。
わずかに戸が開いている。




















その日以降、青木の姿を見た者はなかった。
小さな赤い足跡が
キャンバスのどこかから部室前の廊下まで続いていたと、
目撃者の名乗りもないまま、一部でまことしやかに囁かれた。
消息が判明したのは数ヵ月後、
構内浄化槽の定期点検に業者が来た時だった。
















刑事が自分のアパートに帰宅したのは、深夜を回っていた。
ドアを開けると、
なんともいえない雑多な色模様の猫がすりよってきた。
「よしよし、遅くなって悪かった。
おまえの好きなネコ缶買ってきたぞ。」
ハグハグと食べる姿を見ながら、刑事は昼間のことを思い出していた。
「赤い猫か。」
しかし、彼をぎょっとさせたのは、
学生が口に出した女子高生のことだった。
聞き流したふりをしたが、あの学生に自分の動揺を感づかれなかっただろうか。
伊野桃奈。
酔っ払いにしつこくからまれているのを助けたことがきっかけで、
男と女の仲になってしまった。
バツイチの中年男と、どうやら援助交際をしているらしい女子高生。
大っぴらにできる関係ではない。
若い恋人も別にいたようだ。
金も幾らか渡したが、本当に小遣いといえる程度のもの。
最後に会った時、
君の将来のためにもこの関係は続けてはいけない、
そして援助交際は止めてくれと言った。
金は要らない、そんなつもりでつきあってたんじゃない。
泣き出した彼女を抱きもせず追い返した。
あれは言い訳だった。
本当は関係が世間にばれて、職を失うことが怖かったのだ。
そして彼女は殺された。
どうしてあの時、もっと親身になってやらなかったのか。
援交の相手とのトラブルが有力視されているので、
彼女の交際相手として、いずれ自分の名前も上がることだろう。
そうなったらきっと―
考え込んでると、食べ終えた猫がひざにのぼってきた。
抱き寄せてなでてやると、ゴロゴロとのどを鳴らし始める。
「よしよし。」
男は猫をなでながら、また死んだ女子高校生に思いを寄せていた。
安アパートの二階の窓のカーテンが少し開いている。
手すりもない暗い窓の外を、その時赤みがかった影がゆっくり横切った。
男に抱かれた猫の瞳孔が真っ黒に見開かれ、カーテンの隙間を凝視する。
「赤い猫なんているはずないよな、ミケ。」
自分の想いでいっぱいの男は、
愛猫がからだを固くして身構えているのにも気づかず、背中をなで続けていた。












―夢見の井戸に戻る―