Love Stone (後編)

 

「・・・・。」

「テツヤがそれ知って、怒り狂ってるんだって。」

「テツヤとはもう、きれたの!」

別れた時の大ゲンカを瞬時に思い出し、里美の声は荒くなった。 

「むこうは、そうは思ってないわよ。裏切ったって、そりゃすごい剣幕だったって。エミの彼が先月から“ルチル”のバイトしてるんだけど、テツヤが青筋立ててブツブツいいながら飲みまくるんで、みんなひいちゃって困ったそうよ。」

「あんなにしつこい男とは思わなかったのよ。」

「テツヤだって、最初はお姉さんの彼だったんでしょ。まったくあんたって・・・。」

「もう関係ないわよ、あんな男!!」

里美はかっとして、片手でもてあそんでいた日記帳を部屋のすみに放り投げた。テツヤは勝手に自分と結婚するつもりでいたらしく、合鍵を取り返して追い出すのに、ほんと苦労したのだ。

「・・・気をつけたほうがいいわよ。 じゃあね。また、のみにゆこうね。」

電話を切って立ち上がった時、カッカきたせいか、まためまいがした。

「もお!!」

等とうまくゆくようになって以来、姉からGETしたいわくつきの男テツヤは里美にとって、もうどうでもいい存在と化していた。 顔はテツヤの方がいいが、それ以外はお話にならない。

冷蔵庫からドリンク剤を出して飲む。 一箱買ったのにあと一本しかない。

「ま、いいわ。等さんが買ってくれたマンションに今月中にひっこしするんだし。」

いくら相手におぼれていても、さすがに世間体を気にせざるをえない社会的地位のある等は、妥協案として豪華マンションを買い、そこを二人の新居として、ほとぼりがさめるまで待つことにしたのだ。 姉のものを使うのに昔から抵抗はないのだが、等のほうが気になるらしい。 

投げた日記のことを思い出し、拾い上げると、ベルトの部分が破れて封がはずれていた。ぱらぱらめくると、姉の細かく薄い字がびっしり書きつらねてあった。今年からのもので、途中から白紙だ。当然の好奇心から、里美は拾い読みを始めた。

*3月7日*

   『 去年ルーマニアの骨董屋で買ったペンダントをつけてみる 一緒に買わされた古文書は

  スラブ語らしい  いつか解読してみたい  』

このペンダントのことね。 今では紅メノウやインカローズより赤く輝くだ円の石を、指先でまさぐりながら、妹は姉の日記をランダムにめくってみた。

*5月13日*

   『 等さんにプロポーズされる

   ああ、だめ  やっぱりこのペンダントを捨てることは出来ない 』

*3月20日*

  『子供の頃からあったシミやそばかすがいつのまにか消えている  信じられない  

思い切ってコンタクトレンズに替えてみた  』

*4月17日*

   『 取引先で会った沢村等さんに、いきなりデートを申しこまれた  夢みたい 

   やっぱりペンダントの力としか・・・・ 』

「ペンダントの力? 確かに急に姉さんはキレイになったわ。 そういえば私も、この頃やたらそう言われる・・・私はもともとキレイだけど。」

日記の細い字が太くなっているところがあった。書きなぐったように字が乱れているのでかえって目立つ。 その部分を読んでみた。

*5月9日*

   『 古文書の大部分が解読できた  なんてこと!この真紅に変化してゆく石にかかって

   いるのは愛の―呪いなのだ

  持ち主に魅力と望む恋人を与える代償として、相手の生気を吸い取って、紅く紅く輝いて

  ゆく・・・ 』

なにこれ。 呪い? 生気を吸い取る?

*6月7日*

   『 体が日に日に弱っているのがわかる ・・・でもこれをつけていないと、等さんを

   失うかもしれない せめて、結婚式まで―

   あのひとを、失いたくない 』

*6月18日*

   『  等さんと結婚できて、ほんとうに幸せだった  もう、私の命は長くないような気が

   する ・・・呪いの石とわかっていたのに、愛を失うのを恐れてはずせなかった・・・

   これが私の運命― 』

里美の目がつり上がった。結婚式の日付のあと、自分の名前が頻繁に出はじめたのだ。

   『 式のあいだの妹のものほしげな目つきが気になる 』

   『 あのコは昔から私の大切にしているものを横取りしてばかり 』

   『 今度だけは! ああ・・・ でも私が死んだらしめたとばかり等さんをねらって 』

「なによこれ! 私の悪口ばっか!」

そこには姉の妹に対する恨み言がこまごまと書き連ねてあった。もちろんテツヤのことも。再び日記を投げつけかけた里美の手が止まった。

*7月9日*

   『 私に残された手段はたった一つ

           この愛で呪われたペンダントを妹に―送ることだ 』

ペンダントから指が離れた。いまや石は血のように赤い。最高級のルビーよりもっと赤い。

あの日の姉のしたり顔が浮かんだ。 どうしてケチな姉が気前よく大切なものをくれたかというと・・・。

「姉さんは私が、自分と同じように生気を吸い取られて死ぬのを期待してこれを贈ったんだわ!!」

「冗談じゃない、こんなもの!!」

首からはずして床にたたきつける。めまいがして頭がぐらついた。気分が悪い。

「こんなものなくったって、等さんは―!」

「等がどうかしたのか。」

いきなり後ろから声がして、里美は振り返った。

テツヤが立っていた。アパートのドアが開いている。

鍵はかけたはず・・・しかし、鍵はわずかな時間で複製が作れるものだ。

「なによ、ひとの部屋に勝手にはいって!」

少し前まで出入り自由だった男に向かって里美は毒づいた。 姉の日記を読んで頭にきた直後だから、言葉が辛らつになる。

テツヤはみたところそんなに怒り狂っているようには見えなかった。しかし目がすわっている。 酔ってもいるようだ。 上がりこまれたらたまらない。

「おまえも大した女だよな。 悠美からおれをとり上げておいて、あいつが死んだとたん今度はその夫を― 」

「いいがかりをつけるのはやめてよ!出て行って!警察を呼ぶわよ!」

やばそうな気配に、里美はあとずさりした。 テツヤが土足のまま飛び込んでくる。

にぶい音がした。

「・・・おまえを他の男に渡すものか、里美!!」

悲鳴をあげる前にナイフが胸をえぐっていた。 もう一度。 全身恋人の返り血でまだらに染まったテツヤがナイフを持ったまま部屋を出て行く。 しばらくして通りのほうで悲鳴があがった。

室内では里美が自分の血だまりの中でうめいていた。

こんな・・・ばかな。 呪いのペンダントははずしのよ、 誰か助けて・・・・!!

なんとか立ち上がろうとした里美の手がなにかに触れた。

ペンダントだった。

血の海にひたった、同じ色に輝く石の色にその時変化が生じた。 次第に薄れゆく里美の視野の中で、石は彼女が初めて見たときと同じような柔らかな乳白色へと変じていった。 もっとも汚れなき純な魂を封じ込めでもしたかのように。

それが里美の見た最後の光景だった。

 

血の飛び散った日記帳は最後の日付で開いている。

*7月11日*

   『 等さん、さようなら  愛してる、これからもずっと

   妹に明日会う  その前にもう一度古文書を読み返した

“ 石の魔力によって輝いた人間は 死によってのみ 呪力から解放される ”

   だから、いったん真の持ち主―石が真紅に輝くまで身につけた者―になったら、次に

   手放す時は、死ぬ時なのだ  

   もし捨てようとしたり人にやったりしたら、その直後に死が訪れるはず・・・・・ 』

 

 

「どうです、ムーンストーンですよ。 きれいでしょう。恋のお守りにいかがです?」

とある店先で店員が熱心に勧めている。 たしかにそれにはその美しさに比べると格安の値段がついていた。 友達同士らしい女の子の二人連れが夢中になってみつめている。

「これつけたらいいことあるかしら。」

「 ありますとも。なにしろパワーストーンですからね。」

バイトの店員は愛想よく笑ってレジを打ち込んだ。              

 

               ―夢見の井戸に戻る―