Love Stone (前編)

 

「里美ちゃん。これ―あげるわ。」

結婚した姉からの急な呼び出しに、若干むくれていた妹の里美だったが、姉が差し出したものを見て、現金に顔がほころんだ。

「どう、きれいでしょう?」

喫茶店のガラステーブルの上に軽い音を立てて置かれたのは、美しいペンダントだった。

カボションカット(楕円形)の乳白色の石を、薄い鈍金色のフレームが取り囲んでいる、なんともいえぬシンプルで上品なデザインだった。 鎖も金鎖でなく、極細の褐色の組紐で、ありきたりでないシックさがあった。

「きれい! ・・・この石、ムーンストーン?」

里美は思いついた石の名を言ってみた。そんなに宝石に詳しいわけではない。ただ、いわゆる“宝石でなく、ワンランク下の“貴石”と呼ばれる石しか、日頃縁がなかったというだけだ。 金持ちの男と結婚した姉の薬指には、今は高価そうなダイヤモンドが光っている。 以前はほとんど装身具をつけなかった姉だが、結婚前の1〜2年は、仲たがいして行き来がなかったし・・・。

石はしっくりと手の平におさまった。とろけるような柔らかな光を放っている。

「ほんとにもらって、いいの?」

妹は言った。その声には若干の警戒心が含まれていた。姉の悠美はかすかに笑った。妹と不仲になった原因を考えたのかもしれない。ラベンダー色の薄地のしゃれたワンピース姿の姉は、落ち着いて、いかにも若奥様ふうだった。ちょっとやせぎすだが、なかなかの美人だ。

でも、化粧が濃すぎるわね。妹は心の中でそう思った。

「私にはもう、いらなくなったものなの。次に必要なひとにプレゼントしようと思って。

―それは愛を必ずみのらせる、ラブ・ストーンなのよ。」

「ほんと!」

姉のことを知っていたら、説得性があったろう。里美の姉は30近くまで“結婚しそびれ”ていたのだが、突然、金持ちでハンサムの年下の実業家と結婚して間もなかった。

姉の言葉にいくらか嫌味は感じたものの、ペンダント欲しさに、ふだんは勝気な妹だが、よけいなコメントは差し控えた。あげない、と言いだしたらまずい。それだけそのペンダントには魅力があった。

「きっと、いいことがあるわ。 ・・・私のように。」

姉はにっこり笑った。

 

「玉の輿にのると、ああも気前よくなるものなのかしら。」

姉と別れて歩道を歩きながら、小野里美はつぶやいた。

梅雨がまだあけない7月なかば。久しぶりに晴れたが、かなり蒸し暑い。

「前は、服を借りただけでヒステリー起こす性格だったのに。」

問題は里美が姉に黙ってドレッサーをあけ、しかも小さいながら取れそうもない調味料のシミをつけて返したことだったのだが。 妹は、ささいなことは棚にあげてしまうか忘れきってしまえるタイプだが、姉のほうはあいにく、忘れることができないタイプだった。

性格の微妙なずれは、真反対であるより摩擦を生じやすい。

姉の付き合い始めたばかりの恋人があっさり妹に乗り換えたことで、姉妹の仲は徹底的に悪化し、それは姉が結婚するまでそのままだった。

妹に、結婚という大きなリードをとったためか、姉もようやく、妹と仲直りする気になったらしい。

「整形でもしたのかしら。」

姉は子供のころからシミやそばかすが多く、吹き出物も多くて肌は荒れていた。 隠すための厚化粧がさらに皮膚を傷め、皮膚科の女医に引導をわたされてからは化粧をあきらめ、ボサボサのつやのない髪と、フレームの厚いメガネをかけたパッとしない姿が姉のトレードマークだった・・・はずだ。 それがいつのまにか、妹のイヂ悪な目で見ても“ずいぶんキレイになった”と評価せざるを得ない変身をとげていた。

なにもしていないって言ってたけど、きっと必死でエステにかかって、こっそり整形したんだわ。

自分の、つややかな腕を見、なめらかな頬にさわって、残念そうに里美は思った。

子供の頃から可愛いといわれ、むろん自分でもそれを自覚している。 容姿については姉に絶対的優位を保ちつづけてきた。その自己評価は今も変らない。

「わたしだって、きっかけさえあったら・・・。」

姉からGETした男はアマチュアミュージシャンで、今もぼちぼち続いている。

しかし姉の新たにGETしたのは一般の合コンなどには100%現れない男。 同種のタイプと知り合うきっかけが、中小企業に腰掛け気分で勤めている里美にはない。 一応一流企業に勤めている姉の方が、肩書き的に“上”の男と接触する機会が多いのはいたしかたなかった。

ラブストーンって言ってたけど・・・。

里美はバッグからケースを取り出した。 ペンダントを引っぱり出す。強い日差しの中でみると、喫茶店では気がつかなかったわずかな紅みが石にはあった。ほどよい重量感と存在感。

「ムーンストーンだと思っていたけど、ローズクォーツ(紅水晶)なのかしら。」

ローズクォーツなら、恋愛方面に効果が大とされるパワーストーンの代表格だ。パワーストーンとしては安価なほうだが、透明度が高く、曇りのない高いグレードのものは珍しい。

「じゃ、姉さんの彼のようないい男を、わたしにもお願いね。」

そう言って長めの紐を首に通しペンダントをつけて、里美は上機嫌で家路についた。

 

 

「あの、お客さま・・・?」

さっきまで妹らしい相手とにこやかに話していた女性に、ウェイトレスは我慢ができなくなってついに話しかけた。

「お顔の色がおわるいようですが・・・・あの、」

のぞきこむように相手の顔を見た彼女は、むこうのテーブルに給仕していた店員が、トレイの上のものを全部ひっくりかえしてしまうほどの大きな悲鳴をあげた。

 

 

「悠美ちゃんも、ほんと運がないねえ。」

「心臓麻痺だって。心臓が悪いなんて話、聞かなかったのに。」

「でも、かなり体が衰弱状態だったんですって。」

「里美ちゃん、気がつかなかったのかしら。 気がついていたらひょっとして・・・。」

永遠に続くかと思われた姉の葬式も、ようやく終わりに近づいていた。里美は姉の死を悲しむよりは、もううんざりといった気分のほうが強かった。

あの日、喫茶店に残った姉は、急な心臓麻痺を起こし、そのまま亡くなったのだった。

結婚しており、嫁ぎ先のペースで万事運ばれたため、自然手持ちぶさたになった小野家側の親族達は、もっぱらひそひそ話に時間を費やしていた。

優等生タイプで礼儀にはうるさく、したがって親戚受けのよかった姉の突然の死去を悼む声は大きく、直前に会っていた妹に対しては無遠慮な非難のささやきも噴出していた。

「確かに(厚化粧でもわかるくらい)顔色は悪かったけど、フツ―にしてたし、わたしが出てから死んだんだもの。わかるわけないじゃないの!」

夏向きのフォーマルドレスがなく、あわてて買ったためサイズがどこかあわないような気がして、落ち着かない。 両親はひたすらオイオイ泣くばかり、自分が死んだ時こんなにも泣くんだろうかと疑いたくなる。 出棺まで少し時間があると言われ、里美はこうるさい親戚連中から離れて広大な寺の敷地内をひとりブラブラしていた。 姉は気の毒だと思うけど、号泣するほど仲がよかったわけではない。泣き顔の強制は、自身に正直な彼女にとって苦痛だった。

「あら。」

「あ。」

土塀のかげから現れたのは義兄の沢村等だった。喪主の彼だが、すこし骨休めに席をはずしたらしい。

やつれているけど、ほんといい男。

「里美さん・・・。あなたも、ぼくと同じ気持ちのようですね。

いまだに信じられない、悠美が死んだなんて・・・。」

義兄は、里美がひとり居るわけを都合よく勘違いしてくれたようだ。 里美はがぜん元気になったが、しおらしくうつむいてみせた。

「最後に悠美にあったそうですね。」

「え、ええ。 ペンダントをプレゼントしてくれたんです。そのあと―。」

「ペンダント、ですか。」

義兄の目が曇り空の空を見上げる。

「結婚前から悠美がずっとつけていたのは、紅い石の―」

「紅?」

思わず里美は言ってしまった。ドレスのポケットから取り出す。アパートで喪服を着たときあわせてみて、つけたくてたまらなかったのだが、さすがに思い留まった。持ってきてしまったが、姉の形見であるのは間違いないのだから文句はあるまい。 義兄はまたもよいほうに解釈してくれたようだ。

「少し・・・違うようですね。同じ形だけど、色が違う。そう、血のように赤い―。」

男の手の平にある石を見て里美はまばたきした。 義兄は否定したが、石の色はこの前見たときより紅味をましていた。ほのかな薔薇色だったのに、今はあざやかなピンク色に輝いている。

「東欧の田舎町の骨董屋で買ったと言ってました。 きっと、色違いであなたのぶんも買ったんでしょうね。」

しってるわ。 結婚できなくてヤケになったのか、一時期、旅行ばっかしていたらしいもの。

里美はつぶやいた。絶交状態になったあとであり、両親ごしに聞いた話だ。 むろんお土産などくれやしない。

等は手の中のペンダントをしばらく見つめていたあと、里美に返した。指と指がふれあった。

里美は義兄の目をじっと見つめた・・・・・。

 

 

新調したドレスのファスナーを上げ、鏡の前で出かける前の最終チェック。胸元には例のペンダントが光っている。 里美は上機嫌だ。

「また、紅くなってる。色が変る石なのかしら。」

石をつまみあげ、すかすようにして見る。また紅くなった気がする。もう、ローズクォーツの色ではない。色が濃くなった分やや透明感が薄れたものの、輝きと存在感はまして、より美しい。

あれ以来、姉の“形見”のこのペンダントはずっと里美の胸に輝いている。 宝石には、オパールのように持ち主が病気だと輝きを失うという俗説のあるものが少なくないが、もしそうなら、石の輝きは里美の心の高揚をあらわしているに違いなかった。 もともと“かわいい”キュートな目鼻立ちだが、妖艶な色気が附加し、紅い宝石のように見るものの目を射た。

「たしかに、ラブストーンね。」

里美はくすくす笑った。

「義兄さん・・・いえ、等さんとあれから急にしたしくなれたわ。 このペンダントがきっかけで。 本当にありがとう、姉さん。」

今夜は義兄と、レストランの個室でフレンチを楽しむことになっている。 食事後の予定はない。今のところ。しかし、チャンスがあれば、辞退するつもりは全然なかった。

 

「それは・・・悠美の?」

沢村等は、亡き妻の妹の胸に輝く石を見て思わず聞いた。

「ええ、そうよ。」

里美は相手の背中に回した指に力をこめた。

「でも、姉さんの話はしないで!」

 

 

広い敷地を持つ、瀟洒な一戸建て。豪邸といって恥ずかしくない部屋数と造りと調度がそろっている。新婚夫婦用に新築されながら、一月もたたぬうちに主の片割れを失ったその家に、今日は来客が訪れていた。

「いつになったら、わたし達、結婚できるの?」

来客はベッドの中にいた。甘いけどわずかに苛立ちをこめた、それでも可愛い声。

相手はしばらく沈黙を保っていた。

「悠美が亡くなってまだ数ヶ月・・・しかも、きみは妹だ。

せめて一周忌があけるまで待ってくれ。」

そのあとはしばらく言葉での交流はなかった。

「いつまでも、こんな秘密の関係じゃイヤよ。」

すねる声。そして、困りはてながらもなだめる声。

「・・・でも、ぼくのこころは、もうきみのものだ。きみの魔力のとりこになってしまった・・・。」

「姉さんより?」

「・・・彼女の話は、止めてくれ。」

 

「送るから、ちょっと待ってくれないか。緊急報告が来ている。」

等がモバイルを持って隣室にひっこんだので、里美はきょろきょろと部屋部屋をのぞき始めた。妻亡きあと、等はほとんどを都心のマンションの方で過ごしているので、この家はほとんど無人に近かった。家具はそろっているが妙によそよそしい。

「こっちは姉さんの部屋ね。」

姉の私屋だとすぐわかったのは、部屋の二面を占める大型の本棚だった。結婚生活は短かったとはいえその前から運び込まれ、きちんと整頓されていた。 本棚もサイドテーブルもいかにも高そうな輸入家具で、品よく配置されていた。

悪く思わないでね、姉さん。 でも、もともとわたしの方が等さんにふさわしかったのよ。

里美は(昔からの悪いくせで)あちこち引出しや開き戸をあけてみようとしたが、急にめまいをおぼえてバランスを失い、サイドテーブルに軽くぶつかった。

「もう。また、めまいだわ。貧血気味かな。」

このところ環境の変化めまぐるしいせいか、体がかったるい。 まだ秘密交際の段階だが、頻繁に濃密な等との関係もあるし・・・。ドリンク剤でも飲まなきゃね。

「あら。」

ぶつかったテーブルの側面がパックリ割れていた。

「引出しではないとこが外れているわ。壊したかしら。」

あんまり自責感もなく、里美は、はずれた象嵌細工のほどこされた板を元通りにはめ込もうとして、奥に何か入っているのに気がついた。 どうやら隠し扉を偶然強く押してあけてしまったらしい。出てきたのは、ベルトに鍵のかかった古風なデザインの日記帳だった。 姉のものに違いない。 さすがにどうしようかと思っているうち、等が戻ってくる気配がした。 慌てて板をはめ込むと元通りにぴったり収まった。日記帳を手に残したまま。

「待たせたね。」

里美は、姉のものに違いない日記帳を後ろ手に隠して、とっときの微笑を浮かべた。

 

 

「結局、家まで持って帰ってしまったわ。」

自分のアパートの中、ねそべって友達のTEL話を聞きながら、里美はぼやいた。あんなところに隠してあるものなら、等さんが知ってるはずがないから、持って帰ったって、誰からも何も言われないはずだが。日記には鍵がかかったままだ。

「・・・里美、聞いてるの??」

情報通の友達は、少し前から生返事になっている相手の声に気がついたのか、じれていた。

「あんた、死んだお姉さんのダンナだった人とつき合ってるんでしょ。」

 

 

                ―夢見の井戸に戻る―